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年収280万の平凡な会社員だった私が年商1億5000万の一人社長になるまで(7)

前回の、「色彩感覚がある」と言われたこと。
それは、私の強い励みになりました。

さて今回は、建築業界への第一歩の話。

1. いざ就職活動へ

専門学校を卒業する間際、就職活動を始めました。

もちろん、理想の会社に就職するのは困難と聞いてはいました。

ただ、私の場合、


どこでもいいんです。笑


こんな会社で働きたい!という理想は特になかったので。

インテリアコーディネーターの仕事ができればどこでもいいや、
そんな軽い気持ちでした。


そして数社面接にいき、最初に合格した、
家から近い会社にしました。


2. 最初の就職先

就職先は、営業プランナーで、
メインはリフォームの仕事をとってくる営業の仕事でした。


「あれ、インテリアコーディネーターじゃないの?」


そうなんです。笑

デザイン会社や設計会社に限らず、
コーディネーター以外の分野も応募していました。


その理由は、先生に言われた、

「コーディネーターは現場を知らないとダメ」

という言葉が、頭に強く残っていたからです。


単に、表面の色や形だけを
組み合わせられるだけではダメ。


建築の現場の細かい箇所や収まりなど理解できるようになってこその、
プロだということを。


なるほど。


そうして私は、「まずは現場」という概念を持ち、
建築の道に一歩進みました。



3. またまた過酷な日々

何も考えず就職を決めた私。

入った会社は、小さなリフォーム会社。

社長を入れて、4名の会社。


私に与えられた仕事は、

競売物件を落とした不動産業者に電話でアポをとって、
リフォームさせてくださいと営業をかけること。


何にも考えずに就職先を決めると、
こうなるんですね。

新卒で入った不動産業者に続き、またまたストイックな営業畑。


もちろん、頑張りました。 
私なりに。


電話でアポをとって、いろんな不動産会社を回りました。
アポがなくとも飛び込みました。

オフィスがめちゃめちゃ狭い一室だったり、

明らかに映画で観る反社のような人たちがたくさんいたり。


人生で一番、いろんな人と話しました。


ただ、仕事はとれませんでした。


どうしてか、、


今思うに、私の中身がなかったので、
単に女の子と会話して終わり、というだけ。


しかし、当時の私は、ある不満が沸々と湧いていました。


競売物件を扱う業者は決まっています。

なので、数年前からうちの会社の営業マンが訪問して、

工事を受注してたりもします。


ある日、飛び込みをした会社の人から、
こう言われました。

その会社は、競売物件を常に多数扱っている、
業界では有名な会社です。

「以前におたくに工事を何度か任せたら、ずさんで、
今その手直しに追われているんだ」と。

60代手前くらいの、工事部長さんでした。
私に当たるでもなく、とても悲しそうに穏やかに話されました。

忙しいだろうに、私に席を用意してくれ、
長々と話をしてくれました。


工事の基本的な補償は1年で切れるので、
工事会社が向き合ってくれない限り、自分で直すしかないのです。

施工不良ではなく経年劣化です。
と言われたら終わりです。


驚きました。


私が頑張って営業をしていた商品の中身が、
実は全くオススメする価値もないものだったのです。


そこで私はその人に約束しました。

「今の私にはどうすることもできません。

ただ、悔しいです。

私はこれから、真っ当な工事を提供する人間になりたいです。」と。



そしてその数日後の社内会議、

社長に、「どうしてお前は仕事をとってこれないんだ」と詰められ、

言ってしまいました。


「この会社がずさんな工事をしているからです」


そしてそのまま私は荷物をまとめ、永久退社しました。


そこで自己分析として一つ自分のことがわかりました。

私は気が強いんだと。



今思うと、仕事が取れなかったのは、自分のせい。

自分の営業のスキルがなかったから。

どんな商品であろうと、スキルがあれば、売れる。

今はそう思っています。


ただ、それを商品のせいにして、
あの時の私は、投げ出してしまいました。


もちろん、人に迷惑をかけるような商品は売りたくないので、
やめて正解だったと思います。


でも、数ヶ月でしたが、不動産営業の時と併せて、
私についたスキルがあります。


どこにでも飛び込める、度胸です。


一つ、自分の得意分野が増えました。



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