みち@のんびり一人社長

年収280万の平凡な会社員から、建築施工会社代表取締役へ。 会社設立10年目、一人社…

みち@のんびり一人社長

年収280万の平凡な会社員から、建築施工会社代表取締役へ。 会社設立10年目、一人社長にて年商約1億5000万円。 現在はヨガの指導者としても活動しながら、セミリタイアでのんびり生活。

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年収280万の平凡な会社員だった私が年商1億5000万の一人社長になるまで(10)

リフォーム営業部に配属された、みち。 1. リフォーム提案書 さて、私がここで任された仕事は、 中古マンションの仲介不動産業者さんへの営業。 HPを検索して、大きな会社も小さな会社も、 手当たり次第飛び込み訪問。 「仲介のお客様のリフォームプランを提案させてください」 と言って信頼関係を築く作戦です。 中古マンションを購入を希望されているお客様は、 設備の交換や間取りの変更も併せて検討されている方が多いです。 その際に、リフォーム会社の提案書(簡易図面+簡易概算

    • 年収280万の平凡な会社員だった私が年商1億5000万の一人社長になるまで(9)

      社会というRPGの中で、 みちが最初に手に入れたアイテム。 「度胸」 その最初の武器で、みちは一気に前進したのでした。 1. 夢のインテリアコーディネーターへ 注文住宅のインテリアコーディネーター。 設計士と組んで、ソフトの面を決めていきます。 照明計画を作ったり、カーテンを決めたり、壁紙を決めたり。 現場にも行って確認したり。 どれも私にとって楽しく、 やりがいのある仕事でした。 先輩方もいい人たちで、仲良くしてくれて。 やっと自分の理想の仕事に就けたな

      • 年収280万の平凡な会社員だった私が年商1億5000万の一人社長になるまで(8)

        さて、度胸がついた私。 そして入社3ヶ月ほどでまた辞めた私。。 次なる就職先は・・・ 1. 営業活動 就職活動がまた始まりました。 ただ、その時の私は、 もう以前の私ではなく。 度胸があれば人はなんでもできるんですね。 私がやったことは、 HPで検索して、 いろんな会社に営業をかけること。 そうです、就職活動ではなく、 営業活動です。 「専門学校を卒業したばかりなのですが、 インテリアコーディネーターは募集されてませんか?」と。 たくさん電話しました。 た

        • 年収280万の平凡な会社員だった私が年商1億5000万の一人社長になるまで(7)

          前回の、「色彩感覚がある」と言われたこと。 それは、私の強い励みになりました。 さて今回は、建築業界への第一歩の話。 1. いざ就職活動へ 専門学校を卒業する間際、就職活動を始めました。 もちろん、理想の会社に就職するのは困難と聞いてはいました。 ただ、私の場合、 どこでもいいんです。笑 こんな会社で働きたい!という理想は特になかったので。 インテリアコーディネーターの仕事ができればどこでもいいや、 そんな軽い気持ちでした。 そして数社面接にいき、最初に合格

        年収280万の平凡な会社員だった私が年商1億5000万の一人社長になるまで(10)

          年収280万の平凡な会社員だった私が年商1億5000万の一人社長になるまで(6)

          前回は、資格や学歴のお話をしました。 もちろん、それが全てではないですが、 あるには越したことがないということ。 今回は、専門学校のお話。 1. 専門学校へ インテリアコーディネーターの専門学校に入学。 朝から夕方まで、月〜金。1年間。 課題もたくさんあり、それなりにハードでした。 そこで痛感したのは、 自分には才能がないということ。 クラスには、美大を卒業した後に入ってきた人が2名いました。 課題の発表の度に、圧巻されました。 そしてエビちゃん似のあの

          年収280万の平凡な会社員だった私が年商1億5000万の一人社長になるまで(6)

          年収280万の平凡な会社員だった私が年商1億5000万の一人社長になるまで(5)

          前回は、怒られまくりの過去をお話しました。 今回は、私の最初の転機についてお話します。 1. 本当に私がやりたいことは さて、怒られ続けながらも1年が経ち、 契約期限が来る頃、 私は本当は何がしたいんだろう、と考えました。 不動産の仕事も、大学職員の事務の仕事も、 得意ではない、向いていない、好きじゃない。 (ただのワガママです) 何をすればいいんだろう。 何が好きだったのかなぁと思った時、ふと、 「不動産に最初入ったのは家が好きだったからだ」 と思い出しまし

          年収280万の平凡な会社員だった私が年商1億5000万の一人社長になるまで(5)

          年収280万の平凡な会社員だった私が年商1億5000万の一人社長になるまで(4)

          前回は、資格取得についてのお話をしましたね。 さて、今回は健康を取り戻した後の職場での出来事。 1. 大学職員 当時、23歳でした。 大学を卒業して、2社すぐに辞め、3社目。 特に社会のマナーや常識など学ぶことなく なんとなく生きている私。 そんな私には、次の職場は過酷でした。 配属先は、国際交流を扱う部署。 留学したい学生のサポートを行います。 そこには、帰国子女の先輩ばかり。 ハキハキ、キビキビ。 お察しの通り、 私とは正反対の方達。 私はというと、

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          前回は、会社を辞めたいと思ったらいつでも辞めていい、 と言う話をしました。 今回は、学歴や資格についてのお話。 1. 再就職面接 健康を取り戻し東京に帰ってきて、 次の仕事はどうしようかと考えていました。 ちょうどその時、ルームシェアをしていた姉から、 いい知らせが。 「私の母校の大学で、1年限定の臨時で大学職員を募集してるよ。」 とのこと。 とりあえず面接を受けてみたら、 見事合格。 理由は、英語が少しできた(高校の時に1年留学していたので)のと、 宅建の資

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          年収280万の平凡な会社員だった私が年商1億5000万の一人社長になるまで(2)

          前回は、これから始まる波乱万丈のスタートで終わりました。 今回は、2社目のお話し。 1. ディベロッパーに入社 肋間神経痛って知ってますか? 肋間神経痛とは、肋骨に沿って走っている神経が、 何らかの原因でジクジク、ピリピリ、痛むこと。 これは、ストレスが原因でも起こります。 新卒で入った会社が業務停止命令を下されたあと、 60名ほどいた同期は一斉に散りました。 そうですよね、未来への期待と希望を抱いて入った会社が、 2ヶ月で業務停止になったのですから。 私はとい

          年収280万の平凡な会社員だった私が年商1億5000万の一人社長になるまで(2)

          年収280万の平凡な会社員だった私が年商1億5000万の一人社長になるまで(1)

          はじめまして。みちです。 過去の振り返りとして、そして将来に向けて、 noteを始めてみました。 辛いこと、大変だったこと、たくさんありました。 もちろん、この世を去りたいと思ったことも、、 今現在、生きづらさを感じている人達へ。 私の投稿がきっかけで、 一人でも多くの方の背中を押せればと思います! 1. 自己紹介 現在39歳。 建築施工会社の代表取締役をしています。 といっても、従業員は私一人。 小さな工務店です。 「え、工務店って、一人でできるの?」 でき

          年収280万の平凡な会社員だった私が年商1億5000万の一人社長になるまで(1)