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幽霊のお〇ぱい A面

 若い夫婦でアパートに住んでいる。幸せだ。
 その日、旦那は寝込んで、会社を休んでいた。
 熱で意識は朦朧としている。布団の中で腹が鳴った。
 「……お腹すいた」
 嫁に言った。何か食べたかった。
 「はいはい」
 近くで微笑みを感じた。
 「……それとお〇ぱい」
 無性に吸いたかった。
 熱でうなされていたせいに違いない。
 「はいはい、お嫁ちゃん特製のお粥を食べましょうね」
 嫁が立ち上がって、冷蔵庫に向かった。
 「あ、いけない。タマゴ切らしている」
 台所から独り言が聞こえた。
 「先にお米炊いて、ネギを刻んで……」
 嫁が食事の支度をしている。
 「……アイスが食べたい。冷たくて甘い」
 旦那は布団の中から言った。
 「ハーゲ〇ダッツのラムレーズン?」
 そうだ。定番だ。冬に食べるとおいしい。
 水が流れる音がした。お米を研いでいる。
 ラジオから曲が流れていた。
 それは昔の歌だった。
 嫁も鼻歌を歌っている。
 ウチの嫁はよく歌を歌う。
 お嫁ちゃんミュージックだ。いつも勝手に鳴り出す。
 曲はPRI〇CESS PRINCE〇Sの『ダイヤモ〇ド』だった。
 昔の曲だ。ガールズバンドの走りだ。
 軽快なノリで、夏の高速を走っている。そんな感じだ。
 気分はもうオープンカーだ。助手席に嫁さんが座っている。
 出会って最初の頃、ゲーセンで車のドライブをやった。
 夏の海岸線を突っ走る『リ〇ジレーサー』みたいな奴だ。
 二人でゴールすると、笑い転げて、揃って座席から落ちた。
 「……またゲーセンに行こうな」
 微笑みを感じた。
 布団の中だったが分かる。
 「ちょっとタマゴ買ってくる」
 嫁はひよこのエプロンを外してそう言った。
 「……ラムレーズンは?」
 「はいはい、元気になってからね」
 どうやらお粥が先らしい。
 でも言えば、きっとスプーンですくって食べさせてくれる。
 ちょっとだけ味見もされるが、毒見だ。
 旦那が食べるものに、万が一があってはならないとか言っている。
 布団の中で考えていると、出かける前、嫁が近寄ってきた。
 額に手を置かれて、熱を測る。
 ちょっと冷たい。ひんやりしている。
 「……お〇ぱい」
 旦那は手を伸ばして、乳繰ろうとしたが、叩き落とされた。
 残念。一機撃墜。残機が減った。
 「早く元気になってね」
 軽く頬に触れると、ウチの嫁さんは立ち去った。
 それから少し眠った。
 遠く、救急車のサイレンで目を覚ました。
 気が付くと、嫁が台所に立っていた。
 いつの間に帰っていたのか。
 「……おかえり」
 返事がなかった。
 冷凍庫に何かをしまい、タマゴを割っている。
 「……ラムレーズンは?」
 返事がなかった。
 ずっと背中を向けている。
 旦那は布団の中で、首を傾げた。
 機嫌でも悪いのか?
 タマゴ粥を作っている様子だけ、伝わってきた。
 ふんわりいい香りも漂ってきた。
 嫁の食事だ。色々なものが混ざっている。あとお〇ぱい。
 布団の中で、うつらうつらしていると、携帯電話が鳴った。
 会社からだろうか。電話を取った。
 見ると、それは嫁の電話番号だった。意味が分からない。
 とりあえず出る。
 「……もしもし?」
 「○○さんですか?こちら○○総合病院です……」
 台所を見た。嫁の姿が見えない。
 さっきまでいた。おかしい。
 それからが大変だった。
 病院の話では、嫁は心肺停止状態で運び込まれていた。
 部屋の中で嫁を探したが、どこにもいなかった。
 病院に行ってみると、嫁はすでに死んでいた。
 通り魔に刺されたらしい。即死だ。
 バカな。さっき部屋に帰って来た。間違いない。
 だが警察の話では、コンビニの駐車場で死んでいた。
 旦那は茫然とした。意味が分からない。
 嫁は腕の中で、買い物袋をしっかり抱いていた。
 タマゴとラムレーズンは無事だった。
 馬鹿野郎!お前が死んでどうする?
 旦那は一度、部屋に戻った。信じられなかったからだ。
 まだ熱でふらふらするが、寝る気になれない。
 これは何だ?夢か?悪夢なら醒めて欲しい。
 旦那はふと台所が気になった。
 黄色いタマゴ粥が完成していた。
 冷蔵庫を開けると、ラムレーズンも入っている。
 ちゃぶ台に座ると、タマゴ粥を食べた。
 なぜか目に染みる。
 嫁さんが作った最後の食事だ。
 思い出が去来する。
 ドジな女だった。
 いつも肝心なところでしくじる。
 ドジっ子だ。死んでどうする。
 タマゴ粥は死ぬほど旨かった。
 意味が分からない。
 嫁が作るタマゴ粥はなぜ美味しい?
 自分の事を知り尽くしているからか?
 旦那は何が何だかよく分からなくなって寝た。
 すると嫁が帰って来た。
 微笑んでいる。
 そのまま布団に一緒に入る。
 いつに間にか服が脱げて、二人は枕を交わした。
 嫁はしなやかに体をくねらせ、その楽しさはたとえようがなかった。
 朝起きると、布団に精を吐き出していた。夢精だ。
 旦那は首を傾げた。
 意味が分からない。
 夢で嫁と寝たのか?
 だがもう嫁はいない。
 死んだ。幽霊だ。魂だ。
 それから暫くの間、旦那はぼんやりしていた。
 四十九日を過ぎると、人は現世を旅立つと言う。
 最後に一目、嫁の姿が見たかった。
 あとお〇ぱい。
 ――これが本当に最後だからね。
 不意に嫁の声がした。
 イメージが広がる。
 初めて部屋に来た時の記憶だ。
 とうとう嫁がきた。やった!
 見てよし。眺めてよし。愛でてよしだ。
 今なら漏れなくお〇ぱいが二個ついてくる。サービスだ。
 あと歌を歌う。お嫁ちゃんミュージックだ。
 とても楽しかった。暖かくて、柔らかく、嫁の味がした。
 ――ごめんね。ずっと一緒にいたかった。
 ラジオから曲が流れていた。イントロが始まる。
 『M』だ。PRI〇CESS PRINCE〇Sの。
 これが幽霊のお〇ぱいA面だ――B面に続く。
 
          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード41

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