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県警本部長の辞任

 その事件は夜起きた。
 車が海に落ちたと連絡が入った。
 その県警本部長は定時後の休憩で、タレ多めの天丼を食っていたところだった。
 嫌な予感がする。何だこれは?
 現場には、本州を結ぶ大橋があった。そこで追突事故が起きて、ランドクルーザーがガードレールを突き破って、海峡に落ちたらしい。大事故だ。一瞬何かの犯罪ではないかと疑った。
 「……いつ起きた。発生時刻を教えろ」
 部下が時刻を報告する。県警本部長は、腕時計を見た。
 事故発生時刻からすでに5分以上経過している。
 「ヘリを出せ。対策本部を立ち上げろ――」
 県警本部長がタレ多めの天丼をかき込むと、部下は走った。直轄事件となった。
 「――海保にも連絡は入れているな?」
 「はい、すでにダイバーに待機させています」
 用意がいい。ヘリで運んで、空から飛び込ませよう。
 「屋上のヘリで現場に行く。回せ」
 「え?本部長……」
 部下は驚いていた。まさか海難現場に行くつもりか。
 「馬鹿野郎!俺を止めるな!事件は現場で起きているんだ!」
 テレビドラマ風の台詞を発すると、県警本部長は屋上のヘリポートに向かった。部下も仕方なく続く。対策本部の責任者が真っ先に現地入りする。これはいい事なのか?
 県警本部長は左脇のホルスターを意識した。拳銃はある。残弾は八だ。
 ――テレビドラマ『西部警察』に憧れて、警視庁に入った。
 無論、大門さんだ。いつもショットガンで狙撃する。無茶苦茶だ。
 あれは散弾銃だから、弾が飛び散って、本来狙撃に全く向いていない。
 しかし大門さんが撃てば、必ず核マル派は撃ち抜かれて倒れる。痛快だ。
 『西部警察』の西部とは、関西という意味ではなくて、西部劇のホースオペラらしい。だからバンバン撃つし、毎回車が爆発する。そして裕次郎がブラインドから窓の外をチラ見する。
 コンクリート・ウェスタンとはよく言ったものだ。マカロニ・ウェスタンのもじりか。
 それにしてもアメリカ西部のホースオペラが、西部警察に異世界転生して、その大門さんに憧れた少年が今、県警本部長をやっている。これは一体どういう聊斎志異なのか?――
 県警本部長は警察のヘリに乗ると、海峡の大橋に向かった。
 途中で海上保安庁の救難ヘリと連絡を取り、現地で合流する。
 ここまで15分。間に合うか?
 海保の海猿たちが、ヘリからロープで降りて、ダイビングする。ちょっとした離れ業だが、これも訓練の賜物だろう。動きは悪くない。これなら助かるかもという希望が湧く。
 海中に没したランドクルーザーから、若い男女がすでに脱出しており、救助されているという連絡が入った。だがまだ車に、子供が二人残されているという話だった。
 「ヘリを降ろせ。海面スレスレまでだ」
 「……え?それは危険です」
 部下が叫んだ。この県警本部長は何を考えている?
 「ダイバーが上がって来た時、すぐに病院に運ぶぞ!」
 海保も船を回している筈だが、流石に間に合わない。これは時間との勝負だ。
 県警のヘリが海面ギリギリまで降下する。海保のヘリもダイバーを待った。
 ダイバーたちが海面に上がってきた。首を振り、ハンドサインを送って来る。
 ダメだ。ネガティブだ。見つからなかったのか?
 「俺が行く」
 県警本部長は上着を脱ぎ始めた。ホルスターから拳銃を外す。
 「ダメです。ダイバーに任せましょう」
 流石に部下も止めた。意味が分からない。テレビドラマの見過ぎだ。
 ダイバーたちは再び潜って、沈んだ車の近くを探した。
 程なくして、海上保安庁の巡視船が現場に到着した。すでに30分を経過している。
 「……ここは任せて引き上げましょう」
 部下がそう言った。県警本部長は悔しそうだった。夜の海面を見る。
 「海保に連絡。大橋の追突事故を見るぞ」
 県警のヘリは海難現場を離れた。大橋近辺のヘリポートに降りる。
 車に乗り換えて、今度は大橋の事故現場に向かった。
 電話で簡易的な報告を受ける。飲酒運転らしい。呼気の判定も出ている。
 ――何だと?
 追突事故を起こした車のナンバーと運転手の名前が判明した。
 県警本部長の息子と同姓同名だった。地方公務員をやっている。
 いつもであれば、この時間帯なら、とっくに帰宅している筈だ。
 職場を出て、真っ直ぐに帰らず、飲酒して運転したのか?
 なぜだ?何と言う事だ!
 県警本部長は、最初に感じた嫌な予感はこれだったのかと思った。
 だが今更どうにもならない。とにかく確認だ。ただの同姓同名であって欲しい。
 しかし車が事故現場に到着すると、情けない顔をした自分の息子の姿を見た。
 それから、県警本部長の辞任までは早かった。
 大事故を起こした息子の父親なので当然だ。警察は務まらない。
 息子は現場検証を経て、逮捕された。証拠も固まっている。弁解の余地はない。
 裁判が始まる前に謝らせたかったが、本人は浴びるように酒を呑んでいて、とてもじゃないが、遺族に先に謝罪なんてできなかった。仕方なく元県警本部長が謝罪に行った。
 二人の子供を亡くした両親は、元県警本部長の謝罪を受けて、何も言わなかった。
 すでに心ここにあらずという感じだった。無理もない。亡くした子供は、4歳と5歳の姉妹だと聞く。夏休みのキャンプ場の帰り道に事故に遭ったらしい。結局、遺体は見つからず、僅かに車中に残された靴だけが、両親の手元に戻った。哀れだ。
 幼い姉妹に罪はない。成仏してくれ。だが息子はどうしてくれよう?
 今は保釈金を払って自宅に帰しているが、間もなく裁判が始まり、すぐに判決が出るだろう。刑務所に入る事になるが、それは仕方ない。だが本人はどう思っているのか?
 昔から出来の悪い子だった。碌な事をやらない。何とか地方公務員に押し込んだが、向いていない。そもそも公僕という意識がない。今まで大きな問題を起こさなかった方が奇跡だった。
 元県警本部長は、自宅の階段をゆっくり上ると、自室にいる息子と対面した。
 部屋にはチューハイの空き缶が散らばり、赤い目をした元地方公務員が座っていた。
 「……俺は一回死んだ」
 息子は言った。いつもと様子が違っていた。
 「閻魔大王に会った。俺の仕事を増やすなと怒られた」
 「……そうか」
 その父親はとりあえず頷いた。まずは話を聞かなければならない。
 「三途の川を渡る時、知らない爺さんに助けられた。渡し賃を出してもらった。渡し守の婆さんの話では、俺の信用はゼロだったので、カードが使えなかった。破産していたらしい」
 元地方公務員がそう語ると、カードを机に置いた。元県警本部長は黙って先を促した。
 「渡し守の漕ぎ手は、美少女の死神だった。とても可愛かった。ドクロじゃなかった」
 息子はしみじみと語った。部屋にアニメのポスターが貼られている。父親は黙って頷いた。
 「それから閻魔大王に会い、あの世の法廷で裁判を受けた」
 元地方公務員はなぜかパソコンを起動させると、初期化をセットした。データを全て消すつもりらしい。よく意味が分からないが、元県警本部長はその行動に不安を覚えた。
 「最初に、俺が持っていたAVとアニメのリストを突きつけられた」
 父親は黙っていた。パソコンは横の棒グラフを表示し、作業の進捗を伝えている。
 「神様は全部観ているし、全部知っているという事らしい」
 息子はしみじみと語った。父親は黙って頷く。
 「その次に、俺が海に落とした幼い姉妹が呼ばれて、対面した」
 元地方公務員がそう言うと、元県警本部長は目を見開いた。なぜ知っている?
 まだ亡くなった姉妹の詳細までは伝えていない。ただ二人亡くなったと伝えただけだ。名前、性別、年齢などの被害者の個人情報の公開は、裁判所の判断の後になる。
 「なぜ海に落としたのかと姉妹に訊かれた」
 息子がそう言うと、父親は黙って先を促した。
 「俺は飲酒運転した経緯を話したが、それは関係ないと言われた」
 確かにそれは理由にはならない。婆さんのクレームはクソだったが、それはまた別の話だ。
 「俺は裁かれると思って絶望したが、俺が殺した姉妹は、俺を許すと言っていた」
 許す?なぜ許すのか?理由がよく分からない。
 「その姉妹は、閻魔大王の試練に打ち勝ち、現世の両親の元に帰れると言っていた」
 話がよく分からない。死んだ筈だ。あるいはまた同じ親元に生まれ変わると言っているのか?
 「それから、地上で裁きを受けて、頭を冷やせと閻魔大王に言われた」
 元地方公務員がそうしめくくると、元県警本部長は沈黙した。
 全体として、非科学的だったが、道徳的だった。語り得ぬものかも知れないが、語ってはいけないとは言えないだろう。少なくとも、頭を疑ったり、失笑したりはしない。
 それどころか、今までで、一番まともな事を言っていた。それは素直に驚きだった。なぜ与えていない知識を持っているのかという疑問はあるが、それは些細な事だ。それよりも、自分の犯した罪の重さに気が付いて、まともに向かい合おうとしている。そっちの方が重要だ。
 「……お前の話は分かった。全てが終わったら、あの家族に謝罪しろ」
 息子は頷いた。当然という顔をしている。いつもの不平不満は影を潜めている。変わった?
 それから裁判が始まり、すぐに判決が出て、刑務所に入る事になった。だが元地方公務員は模範的に刑に服していたので、遺族に謝罪する機会は与えられた。謝罪は無事に終わる。
 元県警本部長はその様子を見終わると、ひと息ついた。
 確かにまた女の子が二人生まれているのは、傍から見ても、運命的なものを感じないでもなかったが、所詮は外野であり、言える事は特になかった。
 だがこれだけは言えた。事件を機に息子は変わったし、遺族も新しい幸せを手にしている。
 その背景に夢のような話があり、閻魔大王の話が共通してあった。閻魔大王が、第三者検証性を許す存在なのかどうか分からない。そもそもこの話は科学的じゃない。
 みんなで口裏を合わせて、作り話をしているという線もないでもないが、それぞれが与えていない知識を持っていた事の説明ができない。みんなで同じ世界に行って、帰って来たのか?
 世界は劇場かもしれない。人生はテレビドラマのようであり、視聴者は存在するのか。
 その父親は、この後どうしようか、途方に暮れたが、それはまた別の話だった。

          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード34

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