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夢見るアトランティス、眠れるムー

 新大陸に向かう空母信濃の艦上、前総理は読書会を開いた。
 イグナティウス・ドネリーの『アトランティス、大洪水前の世界』(注105)とジェームズ・チャーチワードの『ムー、失われた大陸』(注106)の二冊だ。どちらも英語の本で、邦訳は存在しない。前総理が読み上げて、その場で訳す。
 今向かっている新大陸は、太平洋にある。火山が噴火していて、大地を形成している途中だが、各国に先駆けて上陸し、日本人による植民活動を行う予定だ。
 だがそもそも大陸の浮上は何で起きるのか?最近、北米大陸西海岸が沈没したが、関係があるのか?大陸が沈んだり、浮上する事があるのか?それに対する回答を探す形で、少数の有志を集めて、食堂の一角を借りて、読書会を行う。
 「英語で、ウィキペディアを読むと、ドネリーもチャーチワードも詐欺師で、疑似科学を唱えた人と書かれている。とにかく評価が低い」
 前総理がそう言うと、魔法少女が尋ねた。白猫も膝に乗っている。いい子だ。
 「……本当にそうなの?」
 「それは実際に読んでみないと分からない。だから私は読んだ」
 「……どうだった?」
 魔法少女が尋ねると、前総理は少しの間、考えてから答えた。
 「ドネリーのアトランティス論は、まだソースにアクセスできる。だがチャーチワードのムー論は、そもそもソースにアクセスできない。そういう違いがある」
 「……それは情報源の話?」
 天花娘娘が尋ねた。アマビエも膝に乗せている。いい子だ。
 「そうだ。ドネリーはまだ第三者検証性があるが、チャーチワードはそれがない」
 「……え?どういう事?証拠もないのに話ができるの?」
 天花娘娘は、不思議そうに尋ねた。
 「チャーチワードは、極少数の人にしか解読できない謎の古代文字をインドで教わり、自分で解読して、ムーの存在を突き止めたと主張している」
 「……それだと、他の人には分からないね。ただ話を聞くだけになるね」
 天花娘娘は、呆れたように言った。
 「ドネリーは、古いデータ、古い資料を基に、議論を積み重ねている。考古学、言語学、植物学、動物学などだ。これらの情報源は今でも、確認・検証できる」
 「……それでも疑似科学、詐欺師扱いなんだ」
 魔法少女が言った。前総理は少し考えてから言った。
 「当時でも、ドネリーのアトランティス論を支持したのは、ドイツの神智学系統のルドルフ・シュタイナー(注107)と、ヘレナ・ブラヴァッキー(注108)ぐらいだ」
 「……神智学?」
 「霊能力を前提とする学問だよ。ドイツ思想の裏街道だ。古くは、ヤーコブ・ベーメ(注109)に遡れる。ベーメの主著『アウローラ』、明け初める東天の紅だよ」
 前総理がそう答えると、魔法少女は尋ねた。
 「……この二人は霊能力があるの?」
 「ドネリーはないだろう。だがチャーチワードは、あるいはもしかして、という可能性も少しあるが、明確にあると本人は言っていない」
 「……ふ~ん。そうなんだ。今で言うと、誰が一番近いの?」
 天花娘娘が尋ねると、前総理は答えた。
 「グラハム・ハンコックじゃないか?確実にドネリーは読んでいる」
 「……『神々の指紋』で有名な人だね」
 魔法少女は読んだ事がある。エジプトのピラミッド論などが有名だ。
 「ハンコックも学問として認められていない。フィールド・ワーク、もしくはジャーナリズムの一環として、失われた過去の文明を研究している人という扱いだ」
 前総理は、少し考えてから言った。
 「実はこういう人は、常に一定数存在して、いつも常識に疑問を投げかける」
 「……例えば?」
 天花娘娘が尋ねると、前総理は答えた。
 「昔、恐竜の骨をハンマーで割らせて、中身を調べさせてくれという男が現れた。あとで、接着剤で直すから、問題ないと言っていた。この男は全ての博物館から出禁を喰らうと、今度は自分で恐竜の骨や卵の化石を発掘して、ハンマーで割った」
 「……どうだったの?」
 「新発見の連続さ。お陰でこの男は、恐竜の研究者として有名となった」
 「……面白いね。恐竜の化石を壊してはならないという常識を破ったんだね」
 天花娘娘は感心した。アマビエも小声で、一声メーと鳴いた。
 「その通りだ。最終的には、この手法は認められた」
 前総理は改めて、少数の読書会の参加者を見た。
 「だから霊能力より、気が付く事の方が重要だ。常識の向こう側に真実はある」
 「……この二つの本は、何かに気が付いていて、常識の向こう側にあると?」
 天花娘娘が尋ねると、前総理は頷いた。
 「そうだ。私は実際に読んでそう思ったから、今回紹介する事にした」
 最初に、前総理は、『アトランティス、大洪水前の世界』を取り上げた。
 「前段が長くなった。本論に入ろう。まずはドネリーからだ」
 前総理は付箋だらけの本を広げた。
 「アトランティスが存在した事を示すため、ドネリーは新大陸と旧大陸を調べ、両者に共通したものを見つけた。これだけ離れた両大陸で共通のものが見つかるのは、大西洋に何か両者を繋ぐものがあったとしか、考えられないという見解だ」
 「……その共通のものとは?」
 魔法少女が尋ねると、前総理は答えた。
 「まずは植物相と動物相の共通性だ。ロッキー山脈から、ウラル山脈まで、同じ動植物がいるが、これは大西洋で断絶していないのはおかしいという意見だ。昔から人がいて、新大陸と旧大陸を自由に行き来していないとできないと主張した」
 「……だから大西洋に何かあったと?」
 「そう。それがアトランティス大陸に違いないとドネリーは考えた」
 前総理は遠くを見た。
 「他にもエジプトとマヤの暦の類似性を取り上げている。あと新旧両大陸の言語的な比較も行っているが、これはどの程度、正しいのか分からない。だが今の言語学であれば、再検証は可能かもしれない。新たな発見があるかもしれない」
 前総理はそう言うと、本のページをパラパラと捲った。
 「この本では、アトランティス文明の中身については、殆ど触れていない。断片的にしか分からないとしている。ただエジプトについて、こんな事を語っている」
 前総理は、『Atlantis The Antediluvian World』の360ページから読み上げた。
 「There is no evidence that the civilization of Egypt was developed in Egypt itself ; it must have been transported there from some other country.」
 前総理は、『アトランティス、大洪水前の世界』の引用箇所を訳した。
 「エジプトの文明が、エジプトで発達したという証拠はない。エジプト文明は、どこか他の国から運ばれたものにちがいない」
 「……そうだったの?」
 魔法少女は驚いた。てっきりエジプトで発生した文明だと思っていた。
 「通説とは異なるが、少なくともドネリーはそういう見方をしている」
 前総理は、『Atlantis The Antediluvian World』の363ページから読み上げた。
 「The state of society in the early days of Egypt approximated very closely to our modern civilization.」
 前総理は、『アトランティス、大洪水前の世界』の引用箇所を訳した。
 「エジプトの初期の社会状態は、我々の現代文明に非常に近かった」
 この内容は、読書会の出席者に少なからず、驚きと疑問を与えた。
 前総理は、ドネリーの本を閉じると、今度はチャーチワードの本を開いた。
 「”During the night” Mu was tom asunder and rent to pieces. With thunderous roarings the doomed land sank.」
 前総理は、『The Lost Continent Of Mu』の44ページを読み上げた。
 「”夜中”、ムーは砕けて、粉々になった。雷鳴の轟と共に、破滅の地は沈んだ」
 前総理は、『ムー、失われた大陸』の引用箇所を訳した。
 「Down, down, down, she went, into the mouth of hell-“a tank of fire”.」
 前総理は、抑揚をつけて、ムー大陸最後の日を語った。
 「下へ、下へ、下へ、ムーは、”炎の溜め池”、地獄の口に落ちた」
 前総理は、『ムー、失われた大陸』の引用箇所を訳す。
 「As the broken land fell into the great abyss of fire, “flames shot up around and enveloped her.” The fire claimed their victim.」
 前総理は、チャーチワードの『ムー、失われた大陸』の44ページを読み上げる。
 「砕かれた大地が巨大な火の深淵に落ちると、“炎が周囲に吹き上がり、大地を包み込んだ”。火炎で犠牲者が出た」
 前総理は、『The Lost Continent Of Mu』の引用箇所を訳した。
 「“Mu and her 64,000,000 people were sacrificed.”」
 前総理が、数字を読み上げると、読書会の参加者は、その人数に驚いた。
 「ムー大陸とその6,400万人の人々が犠牲になった」
 「……それがムーの最後の日なの?」
 魔法少女が尋ねると、前総理は頷いた。
 「どうして分かるの?まるで見てきたように語っているけど」
 天花娘娘も尋ねた。前総理は付箋だらけの本を閉じた。
 「それは分からない。だがムーもアトランティスも沈んだとこの本は言っている」
 「……なぜ沈んだの?」
 「その問いに答えるためには、我々はこの本を乗り越えて行かないといけない」
 それが夢見るアトランティス、眠れるムーだった。前総理は深淵に向かった。
 
注105 Ignatius Donnelly(1831~1901)『Atlantis The Antediluvian World』1882 490page
注106 James Churchward (1851~1936)『The Lost Continent Of Mu』1931 342page
注107 Rudolf Steiner(1861~1925)神秘思想家、教育家、哲学者、ドイツ
注108 Helena Petrovna Blavatsky(1831~1891)神智学の創始者。ドイツ
注109 Jakob Böhme(1575~1624)神秘思想家。生涯靴職人だった。ドイツ

            『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』補遺009

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