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人生のロスタイム

 爺さんが死んだ。葬式だ。
 孫である自分も呼ばれて、参列する。
 死んだのは一昨日で、今日は告別式だ。
 爺さんの遺影が大きく掲げられていた。坊さんも読経している。
 戒名とやらが付けられて、よく分からない漢字が縦に並んでいた。
 高校生の自分は、手短に済ませて、部屋に戻るつもりだった。
 自分の番が来たら、例の動作を済ませて、立ち去る。それだけだ。
 順番が来たので、ふとお棺に入っている爺さんを見た。眼が合った。
 「!?」
 爺さんは慌てて、目を閉じた。
 いや、今絶対こっち見ていただろ。その口元の笑みは何だ?
 その時、周りから見たら、制服を着た男子高校生が、突然葬式をぶち壊しに行ったとしか見えなかったかもしれない。だが自分には確信があった。だからお棺の近くに行った。
 「おい、爺さん。起きなよ。死んだ振りしているんだろ?」
 「……バレたか」
 死んだ筈の爺さんが蘇った。お棺から身を起こす。テヘペロさえしている。
 たちまち葬式は大混乱に陥った。
 坊さんが泡を吹いて倒れてしまった。救急車で搬送される。病院送りだ。
 周りの大人たちもかなり驚いたが、世間的にない話でもなかったので、事なきを得た。
 病院の死亡診断書では、心臓発作による心肺停止という事になっていた。
 後日、爺さんは、自分の死亡診断書を肴に一杯やった。それに付き合わされた自分は大迷惑だった。そのまま死んでくれて、構わなかったのに。なぜ蘇った?
 「そりゃ、やる事があったからだ。理由もなく生き返らない」
 「……そうかい」
 だがこの時、周りの大人たちの間では、葬儀代が問題となっていた。
 この場合、爺さんは死んでいなかったので、葬式は取りやめとなったが、お寺には全額振り込んでいる。親族は何とか取り返そうとやっきになっていた。坊さんとの交渉は難航を極めた。
 自分には関係ない話だったので、葬儀代の件は高みの見物と決めた。
 「……どうせまた死ぬんだから、その時の分にしておけばいい」
 すると爺さんが、解決策を出した。親族もそれで折れた。お寺に葬式のやり直しを無料で予約。次爺さんが死んだ時、一回目の代金で、二回目をやる事になった。
 「人生で二回葬式をやり、一回の料金で済ませるんだから、これは交渉勝ちだな」
 爺さんは楽しそうにそう言っていた。
 「誰得だよ?」
 葬式は人生で一回だ。そもそも二回目があるのはおかしい。
 「……要するにわしは死んでいなかった。それだけの話だ」
 爺さんは、紹興酒のグラスに氷砂糖を入れていた。その飲み方は邪道と聞いている。
 「病院は一体何やっているんだよ。いい加減な診断をするなよ」
 文句を言うと、爺さんはこちらを見た。
 「いや、確かに死んでいたぞ。だから医者が誤診をした訳ではない」
 「……今、生きているんだから、結果的には誤診だろ」
 「それは結果論だな。過程として死を経験してから、蘇ってきた」
 その時、自分がどんな顔をしていたか、分かっているが、特に語る事もあるまい。
 「へー。じゃあ、臨死体験とかあるのか?」
 「あるぞ。よくぞ聞いた!」
 爺さんは急に身を乗り出した。それから爺さんの長い話が始まった。
 若い男と一緒に三途の川を渡り、閻魔大王に会って帰って来たとか言う話だ。
 ま、パターン的にはよく聞く話だ。面白い処があるとすれば、三途の川の底に大量の小銭が落ちていて、思わず拾いたくなったが、やっぱり止めたという話だ。
 「昭和64年の10円玉はなかったが、平成31年の500円玉があったぞ。レアだ」
 何だよ、爺さん。結局、手にしたんかい。
 「いや、執着になるからな。ちゃんと鑑定してから、元の場所に戻した」
 それは良かったな。罪を作らなくて。気になったのは硬貨の発行年数の方か。
 「で、結局、何しに帰ってきた訳?」
 「……いや、ちょっと頼み事をして、少しだけ死ぬ時期を遅らせてもらった」
 死ぬ事は確定なんだ。じゃあ、何のために蘇ってきたのか?
 「そりゃあ、決まっているだろ。今年の高校野球を観るまで死ねん」
爺さんはまるで我が事のように語った言った。自分は嘆息して、毬栗頭をガシガシ掻いた。
 実は、夏の甲子園に出るかも知れない。県大会では決勝まで来ている。
 自分は4番でピッチャーだ。だから寝る。食う。そして時々、トレーニングして集中力を高めている。爺さんの葬式なんて以ての外だ。今は他の事なんて考えられない。
 「……ところで練習はしないでいいのか?」
 「俺は怠け者なんだ。寝て溜める」
 実際今は、チームでの練習は早めに切り上げて、程々にしている。
 一頃は火が出る程やったが、試合が近い今は、イメージ・トレーニングに励んでいる。
 「……あのマネージャーの女の子はどうした?」
 それは関係ない。どうした爺さん、そっちが目当てか?あいつはチアガールじゃないぞ。
 「とにかく、わしの仇を取ってくれ。試合を観るまで死ぬに死ねん」
 成仏してくれ。何で閻魔大王は、爺さんの我儘を許した。ちゃんとそっちで回収してくれ。
 「……ウチの高校は、過去に甲子園に出た事はあるだろう?」
 一応、県では強豪校の一つとして数えられている。甲子園への出場回数も多い。
 「わしの時は無理だった。だが孫が出るんじゃ。絶好の仇討じゃないか」
 自分は嘆息すると、引き上げる事にした。部屋で寝る。明日も早い。
 「頼んだぞ。試合の日までは生きているからな」
 嫌なプレッシャーの掛け方だな。でもこっちはこっちで、好きにやらせてもらうからな。
 「……爺さんは死ぬのが怖くないのか?」
 「生まれたからにはいつか死ぬ。それだけだ」
 食ったから、寝るくらいの感じだな。まぁ、分かった。そんなものか。
 県大会の決勝が来た。だが試合は、拍子抜けするくらい簡単に勝てた。
 序盤で大差がつき、すぐに相手の戦意は失われた。今時の人は諦めるのが速い。
 「これで甲子園出場じゃな!仇は取った!」
 夜爺さんは、酒瓶を振り回して、はしゃいでいた。
 親族や自分が呼ばれて、迷惑したのは言うまでもない。
 翌朝、爺さんはまた心臓発作で亡くなった。二回目の葬式が行われる。
 みんな半信半疑だったが、どうやら今回は本当に死んだようだった。迷惑な爺さんだ。
 「甲子園出場よくやった。大往生だ」
 爺さんは昨晩自分でそう言っていた。いや、こちらはこれからが本番なんだが?
 告別式が終わり、遺体を納めたお棺が火葬場に運ばれる段になると、自分は周りの大人たちに言った。この時、どうしてそんな事を言い出したのか、自分でもよく分からなかった。
 「……爺さんを焼くのはちょっと待ってくれないか?」
 意外な事に、周りの大人たちも、少しの間、ひそひそ話し合った後、答えた。
 「それはどれくらいの間、待てばいい?」
 「……俺たちの甲子園が終わるまで」
 それは挑戦だった。爺さんが蘇る訳がない。だが甲子園で勝って、蘇らせてやろうじゃないか。無論、不可能事だ。意味さえ分からない。それでも周りの大人たちもその話に乗った。
 それから大人たちは迅速に動いた。ドライ・アイスを大量に買い込んで、棺桶にぶち込む。火葬は必ずしなければならないものではなかったので、法的な問題はクリアしていた。
 法律ではなく、慣習という領域にあるらしい。昔は土葬だった地域もあるしな。
 爺さんのお棺は、家に運び込まれ、俺たちの夏が終わるまで、埋葬は保留となった。
 甲子園も初戦は勝った。問題は二回戦だった。過去、これ以上進めた例はない。
 我が校としても、我がチームとしても、完全に前人未到の領域に踏み込んでいた。
 流石に全国の強豪たちは強い。だがこちらも持ちこたえ、序盤、中盤と0点で拮抗した。
 状況が動いたのは、8回表だった。
 2ランを2回打たれて、1点取られた。流石に疲労していたかも知れない。
 9回表は完全に抑え込んだ。これ以上点を取られてはならない。
 素早くマウンドを降りる。9回裏、すぐに4番の自分に打順が回ってきた。
 ここまで2アウト3塁。ここでヒットでも打ってば、同点に持ち込める。
 振り遅れた。芯で捉え切れていない。だが打球は大きく伸びる。レフトスタンドに向かう。
 大ファールだった。僅かに左に逸れていなければ、ホームラン。逆転勝ちだった。
 球場に、安堵とも溜息ともつかない声が溢れる。
 その後は凡退した。試合終了のサイレンが鳴る。敗北した。三回戦進出はならなかった。だが過去最高の成績に並んだ。わが我が校としては、半世紀ぶりの快挙だ。
 その時、自分の時間は、世界とずれていたかも知れない。
 全てが遠く、スローモーションで回る。
 ――まぁ、そんな事もあるさ。よくやった。
 確かに聞いた。爺さんの声だ。耳で聞いた音じゃない。心の声だ。
 思わず、自分は甲子園の空を見上げた。青い空が広がっている。
 両チーム整列して、一礼する。何度も思いは去来する。
 あの大ファールがホームランだったら……。
 チームのみんなで、無言で甲子園の砂をかばんに詰め込む。
 昔誰かが言っていた。青春とは後悔する事であると。
 気が付いたら、見知らぬ液体が目から流れていた。未発見の汗だ。成分的には大差はない。
 それを見た女子マネージャーがそっとタオルを出す。俺は心の汗を拭った。
 「……爺さん、終わったぞ。俺たちの夏が」
 翌日、爺さんは焼かれた。約束通りだ。
 成仏しろよ。爺さん。これで帰る場所はなくなった。向こうでも上手くやってくれ。
 なお閻魔大王とやらに会って、一度この世に舞い戻って来た爺さんの話によると、人の人生の価値は、善悪のバランスシートによって決まるらしい。爺さんの判定は悪くなかったらしく、交渉の余地があったため、おまけで数日人生を勝ち取った。人生のロスタイムか。
 閻魔大王はあまりに忙し過ぎて、爺さんの数日分の人生なんて、誤差の範囲内だったらしい。人生良い事をしていれば、そんな事もあるのだろうか。
 甲子園で見上げたあの空は、遠く爺さんがいる世界まで、繋がっていたかも知れない。
 
          『シン・聊斎志異(りょうさいしい)』エピソード31

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