【書評】酒寄進一の訳に外れなし━━カイ・マイヤー『魔人の地』

酒寄進一が絶好調だ。彼の訳すものならなんでも読みたくなる。

ドイツ・ファンタジーの『魔人の地』(創元推理文庫、2015)は空飛ぶ絨毯に乗る若者と砂漠の魔人との対決という千夜一夜のような物語。生き物のような絨毯と魔人の描写がリアルで惹き込まれる。

物語は空飛ぶ絨毯の競争から始まる。スターウォーズの宇宙船さながらの、ものすごいスピード感だ。空飛ぶ絨毯とは、こんなに速い乗物だったのかと驚く。千夜一夜物語で受けたのどかな印象の修正を迫られる。

空飛ぶ絨毯の操縦技術にまず度肝を抜かれるが、この技術が砂漠を渡る際には生死を分けるほどの重要性を帯びる。砂漠には自在に飛行する魔人がいて、容赦なく人間を襲うからだ。運転の判断ミスが直ちに死を招く。

ところが飛行するのはこの二者だけでない。旋風を操る嵐の王まで出てくる。この物語の主戦場は空中なのだ。

舞台は8世紀のサマルカンド(現在のウズべキスタン)。そこからバグダッドまでの二千キロを空飛ぶ絨毯で旅する若者三名をさまざまの危難が襲う。なんの障害がなくとも六日はかかる旅だ。魔法が暴走して以来、砂漠は魔人の支配する地となっており、人間は城壁によってかろうじて守られている。

そんな砂漠を超えてバグダッドへ連れていけと頼む宮廷の謎の美女サバテアとは何者なのか。サマルカンド一の絨毯乗りのターリクはその頼みを断る。だが弟のジュニスは兄への対抗心もあり、引受ける。未熟な弟を放っておけない兄はあとからついてゆき、結局三人の旅となる。

そこへ凶暴な魔人たちが襲いかかる。それだけでも大変なのに魔人の首領アマリリスが途方もない能力者である。かつてターリクの恋人マリヤムを奪い去ったのがこの怪人アマリリスだった。右目は女の青い目をしており、左目は男の黒い目である。「魔法なき世が見える」と怪人はいう。この怪人の男の目によりターリクは金縛りにされた。

〈嵐の王〉三部作の第一巻。一つだけはっきり言えることがある。本書を読み終えた人はここでやめるのはぜったい無理なことだ。続きが待ち遠しい。

翻訳は酒寄進一と遠山明子の共訳になっている。このファンタジーの魅力を読者に届けるべく工夫をこらしている。例えば〈〉という語が何度も出てくる章(20章「コッペ・ダグ山脈」)があるのだが、ドイツ語でなんというのだろうと原文を調べると全部ちがう言い方であるのに驚く。これらのドイツ語をそのまま訳せば、とてもこれほど生き生きとした場面にならなかっただろう。あとがきを読むと酒寄は吉川英治の『三国志』を分析してその言葉を翻訳に織りこんだという。訳者がそこまでするだけのことはある素晴らしいファンタジーの幕開きだ。

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