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[英詩]ディランと聖書(9) ('Precious Angel')

※ 旧「英詩が読めるようになるマガジン」(2016年3月1日—2022年11月30日)の記事の避難先マガジンです。リンク先は順次修正してゆきます。

「英詩のマガジン」の主配信の7月の1回目です(英詩の基礎知識の回)。

ボブ・ディランと聖書の関りを考えています。今回は、'Slow Train Coming' (1979, 下) に収められた 'Precious Angel' です。

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今回はディランの罪のヴィジョンを考察したリクス (Christopher Ricks) の見解を参考にしますが、リクス自身はキリスト教の信仰者でなく、無神論者であると述べています。この発言には勇気が要ると思いますが、それは別にして、英文学者としては、聖書の深い知識は必須です。(*) リクスはディランが意識していない部分までもすくい上げて、聖書のなかにディランの歌の思想を跡づけます。キリスト教の信仰者でない人でも、リクスの見解は参考になるかもしれません。

(*) 英文学と聖書の関りについて基本的なことをおさえるには、最低でも AV (欽定訳聖書、1611年) を一度は通読しておく必要があります。対象となる文学者によっては、それに加えて、英国国教会祈祷書 (The Book of Common Prayer, 1549/1662) の詩篇の訳も随時参照する必要があります。これらは頭に入れておくのが理想ですが、むずかしい場合は、各種のコンコーダンス (総索引) や電子テクストの検索機能を活用する方法があります。16-17世紀の英語であるため、OED でその時代の意義や用法を確認する必要もあります。

本マガジンは英詩の実践的な読みのコツを考えるものですが、毎月3回の主配信のうち、第1回は英詩の基礎知識を取上げています。

これまで、英詩の基礎知識として、伝統歌の基礎知識、Bob Dylan の基礎知識、バラッドの基礎知識、ブルーズの基礎知識、詩形の基礎知識などを扱ってきました。(リンク集は こちら )

また、詩の文法を実践的に考える例として、「ディランの文法」と題して、ボブ・ディランの作品を連続して扱いました。(リンク集は こちら )

詩において問題になる、天才と審美眼を、ボブ・ディランが調和させた初の作品として 'John Wesley Harding' をアルバムとして考えました。(リンク集は こちら)

最近、7回にわたってボブ・ディランとシェークスピアについて扱いました (リンク集は こちら)。

最近は、歴史的には、そして英語史的にも、同時代の英訳聖書と、ディランについて扱っています。

「ディランと聖書」シリーズの第1回でもあげましたが、ディランと聖書の問題を考えるうえでの基本的文献は次の通りです。

(1) Bradford, A[dam]. T[imothy]. 'Yonder Comes Sin' [formerly 'Out of The Dark Woods: Dylan, Depression and Faith'] (Templehouse P, 2015)
(2) Cartwright, Bert. 'The Bible in the Lyrics of Bob Dylan', rev. ed. (1985; Wanted Man, 1992)
(3) Gilmour, Michael J. 'Tangled Up in the Bible' (Continuum, 2004)
(4) Heylin, Clinton. 'Trouble in Mind: Bob Dylan's Gospel Years - What Really Happened' (Route, 2017)
(5) Karwowski, Michael. 'Bob Dylan: What the Songs Mean' (Matador, 2019)
(6) Kvalvaag, Robert W. and Geir Winje, eds., 'A God of Time and Space: New Perspectives on Bob Dylan and Religion' (Cappelen Damm Akademisk, 2019) [URL]
(7) Marshall, Scott M. 'Bob Dylan: A Spiritual Life' (WND Books, 2017)
(8) Rogovoy, Seth. 'Bob Dylan: Prophet, Mystic, Poet' (Scribner, 2009)

これら以外にも、一般のディラン研究書のなかにも聖書関連の言及は多く含まれています。それらについては、参考文献 のリストを参照してください。

※「英詩が読めるようになるマガジン」の本配信です。コメント等がありましたら、「[英詩]コメント用ノート(202107)」へどうぞ。

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英詩の実践的な読みのコツを考えるマガジンです。
【発行周期】月3回配信予定(他に1〜2回、サブ・テーマの記事を配信することがあります)
【内容】〈英詩の基礎知識〉〈歌われる英詩1〉〈歌われる英詩2〉の三つで構成します。
【取上げる詩】2018年3月からボブ・ディランを集中的に取上げています。英語で書く詩人として新しい方から2番めのノーベル文学賞詩人です。(最新のノーベル文学賞詩人 Louise Glück もときどき取上げます)
【ひとこと】忙しい現代人ほど詩的エッセンスの吸収法を知っていることがプラスになります! 毎回、英詩の実践的な読みのコツを紹介し、考えます。▶︎英詩について、日本語訳・構文・韻律・解釈・考察などの多角的な切り口で迫ります。

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これまでのまとめ

シリーズの (1), (2), (3), (4) についての簡単なまとめは こちら

(5)'I Want You' の聖書との関りを考えました。その歌は「自由連想技法」または「ポインタ技法」とも呼べる技法を用いています。指し示す先はコヘレトの言葉の12章1-7節です。世界文学のなかでも詩的比喩的表現で知られた有名な箇所です。そこへの言及を歌のなかにちりばめています。文脈をこわして自由に連想をひろげるやり方は現代詩的です。

(6)'Do Right to Me Baby (Do unto Others)' の聖書との関りを考えました (前編)。その歌は旧約聖書のヘブライ詩研究で見つかった並行法でヴァースが組立てられており、一方、コーラスは、これも聖書と関わりの深い do right をめぐって唄われています。ヘイリンがそれをイエスの金言〈人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい〉に基づくものと捉えたのに対し、ギルモーは議論の余地ありとしています。リクスはヴァースの変奏をあとづけます。do right to one another (互いに正しいことをする) を誠実にはたせば、do right by others (人を公平に扱う) に至る見込みは大きいというのですが、言うは易く、狭き道です。

(7)'Do Right to Me Baby (Do unto Others)' の聖書との関りを考えました (後編)。アーティストの仕事は、〈見返りほしさ〉臭をいかに除去するかであるとリクスは指摘 (例としてジョン・ミルトンの 'Lycidas')。ディランはユーモアを用いて功利臭を消毒します。山上の垂訓に始まり、園の墓の場面が続き、イザヤ書の預言を経て、詩篇の詩行に至る1連は、触覚 (touch) を最初に出してくるおもしろさがあります。その2行 'Don’t want to touch nobody, don’t want to be touched' は、touch の相互的性格から、自分が人にしてもらいたいように人にするという内容が含まれており、題の Do unto Others (黄金律) そのものです。全体を通して、do right (正しいことをする) の意味をさまざまな角度から考えさせる歌になっています。

(8) は 'I Believe in You' の聖書との関りを考えました。詩篇的な世界観が冒頭の they (敵) から始まること。「彼ら」が私に敵対するわけは、私が主なる神 (You) を信じているからであること。一見して問答形式に見えるやりとりは、実は、「彼ら」の一方的な問いに対し、「私」が詩篇のような祈りの言葉で応えていること。その意味でディランは 'I Believe in You' において「祈る人」です。詩篇のことばそのものでなく、その趣旨を自らのなかで深く咀嚼した上で、濾過されたものとして、ことばが出てくること。ボブ・ディランはしばしば聖句をそのように扱います。


Precious Angel

今回は、'Precious Angel' (下) を、聖書との関りで考える。詩テクストはリクスらの校訂版を用いる。

動画リンク [Bob Dylan, 'Precious Angel']


ディラン は/を 信じる

ディランの 'Precious Angel' は、(同種の歌の中でも特に) 聴き手に 厳しい決断を迫るようなところがある。2連でディランは次のように唄う。

Now there's spiritual warfare, flesh and blood breaking down
You either got faith or you got unbelief and there ain't no neutral ground

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