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『日蓮』ノート

(新潮社 佐藤賢一著)
 作品全体は概ね日蓮の遺文に則り書かれ、随所に遺文の文章が日蓮の話し言葉として表現されており、全体として非常に緊張感のある内容である。鎌倉時代の、仏教史観からみて末法にあたる時期の民衆の悲惨な様子と、為政者の戸惑う姿が具に描かれている。
 遺文を読むと、日蓮は北条時頼と一度だけ会っていると推測されているが、その場面を表現するのに、『立正安国論』の十問九答の構成に沿って日蓮と時頼の面談の様子が活き活きと描かれている。そしてこの面談の内容を後日文書にして渡すと時頼に、面談の終わりに伝えている。これは大変面白く工夫した構成である。
 そして遺文に書かれていない場面は、遺文を読み込んだ作者の想像力(創造力)で埋められており、法華経の弘教者としての人間〝日蓮〟の思想や日々の姿が破綻なく描かれており、面白く読むことができた。
 残念なのは一点…P288に2箇所、P300に1箇所出てくる「拝受」という言葉である。これは「摂受」の明らかな間違いである。
「摂受」とは、「折伏」に対する反対語で、正確には摂引容受(しょういんようじゅ)といい、その略語である。 文脈からみても、この「拝受」というのは間違いで、「摂受」とするべきであろう。
 これが単なる誤植なのか、著者の引用時の見間違いなのか、間違った文献からそのまま使ったのか不明であるが、著者は日蓮遺文をよく読み込まれており、これまでに読んだ何冊かの日蓮の伝記物のなかでは出色の内容であることは疑いもない。市井の日蓮研究者に過ぎない私であるが、そのことは強調してもしすぎることはない。

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