全力でバットを振ろうと決めた日
LINE MUSIC×noteの #いまから推しのアーティスト語らせて 投稿コンテストで「等身大を越えてゆけ」という作品が準グランプリをいただきました。温かいお言葉をくださった皆様、ありがとうございました。
今日、これから書くのは裏話です。
無粋だなぁとは思いつつも、自分にとっても大きな出来事であり、また「読みたい」と言ってくれる人もいたので書くことにしました。
締め切り2週間前までスルー予定だった同コンテスト。応募のきっかけとなったのは昨年の秋に開催された「教養のエチュード賞」でした。
コンテストに落ち続けた一年
2109年の当初からnoteに力を入れるぞと決めて、コンテストだって書けそうなものにはチャレンジした。でも箸にも棒にも引っかからないというのは正にこれといった感じで「選ばれた人」との圧倒的な違いを痛感してはヘコむ日々。
一番ひどいときは2ヶ月ぐらい闇の中にいた。長いあいだ真っ暗な道をさまよった私は、ある日吹っ切れて「好きなことを書こう」という方向性に切り替えた。
やがて、個人主催の企画も増えてきた。嶋津亮太さんが主催する「教養のエチュード賞」はその中でもひときわ盛り上がっていたように思う。
私も応募した。結果はダメだった。
本来の賞とは別に「20選」枠もあり、確率が高い中で選ばれなかったのは、私にとってもそこそこインパクトがある経験だった。
賞と20選が発表された翌朝だったか、ある書き手さんが悔しい胸の内をつぶやいていた。共感したのでコメントを残したのだけど、しばらくして大いに後悔した。だって、その人と私はコンテストにかけた本気度がまったく違っていたから。私なんかが軽く「わかります」なんて言っちゃいけなかった。
私も発表されたあとに落ち込みはしたが、半日もすればケロッとしていた。「まぁ、こんなもんだよね」と。
あれ?どうして?
ふと立ち止まる。私はいつから「選ばれないこと」に慣れてしまったんだっけ。落選した事実そのものよりも、それに気付いたときのほうがショックだった。立ち直りが早いのはコンテストにかける情熱が足りないからじゃないかって。
心に火をつけた言葉
そんなモヤモヤに気付いた数日後、プリマドンナ賞に選ばれたillyさんが「Road to Prima Donna : 第1回教養のエチュード賞 感想戦」というnoteをアップしていた。そこに記述されていたある言葉に、ハッとする。
" フルスイング "
「全力で、賞を狙うことを決めた」と。
その言葉通り、最後には涙を浮かべながら一つの作品を作り終えた経緯が達成感とともに綴られていた。
記事を読みながら、自分の身を振り返った。もちろん、一つ一つを丁寧に書いてきたつもり。時には数時間、時には数日かけて。コンテストへの応募作品ならば尚更。
でも、あれは本当に全力だったか?もう書けないというところまで出し切ったか?そもそも私は "フルスイング" で記事を書いたことが一度でもあっただろうか?
ここは書き手の猛者が集うnoteだ。そんな場において、なぜ私は簡単に選ばれようとしていたのだろう。
心にメラメラと火が灯った。
2019年はあと一ヶ月半で終わる。空振りしたっていいから、最後に一本だけフルスイングでバットを振ろう。そうして身の程を思い知ろう。さらなる傷を負うのは覚悟の上。他の誰との戦いでもなく、自分との戦いの始まりだった。
戦いの舞台はどこだ
自信喪失していたゆえに、全部スルーする気でいたコンテスト案件に改めて目を通した。
実は #いまから推しのアーティスト語らせて は、当初から「応募ナシ」と決め込んでいたコンテストだった。これまでレビューをうまく書けた試しがなく、好きな理由を言語化する難しさを痛感していたから。
しかし、同コンテストはある一点において他と違っていた。それはグランプリにはLINE MUSIC公式noteでの "ライター権" が与えられるというもの。
ライターは基本的に自分事を語る職業じゃない。取材対象が明確にある。このコンテストで言えば「アーティスト」。エッセイ枠における自分の能力に限界を感じ始めていた私は「ここならまだ可能性があるかもしれない」と応募を決めた。
いざ、制作へ
ELLEGARDEN(エルレ)について書くと決めたのは、最愛のバンドであることはもちろん、この段階の応募作品でほとんど語られていなかったから。もし圧倒的に熱量がある、完成度が高い作品を見つけていたら挑戦できなかったかもしれない。アジカンじゃなくてよかった。本音。
締め切りまで2週間。当然ながら日中は仕事、育児、家事と日常生活がある。
「コンテストがあるので、夜は引きこもります」
と夫に宣言をした。そうなの?がんばってね〜と、彼はいつでも応援6と無関心4がブレンドしたようなスタンス。
子どもたちが寝付いたあと、夜な夜なパソコンに向かう。
まずは構想を練った。ただの「アーティスト論」では足りないだろう。音楽雑誌やWebにプロが寄稿している記事には到底叶わない。noteとコラボするからこその "何か" がいる。
視点?
それは間違いない。
熱量?
それもあるはず。
加えて、ライターに求められる能力も必要となってくる。
ウォーキングしながら、ドライブしながら、家でMVを見ながら、エルレの曲をひたすら聴き続けた。その度に泣きそうな思いが込み上げてくる。彼らの歌詞やメロディに、たくさん支えられてきた人生だったと。
どこを切り取ってもポジティブなものばかりだ。前向きさ、ひたむきさ。あの人たちの音楽は、いつだって背中を押してくれた。
そこで「エルレと私」は極めて個人的なものだけど、この経験を普遍的なメッセージに昇華できないだろうかと考えた。私が彼らから得たものは、多分どこかの誰かにとっても必要なものになるはず。
エルレの音楽論 × (私の)人生の歩み
= 夢を追う人へのメッセージ
よし、これでいってみよう。エルレのファンには絶対に失礼のないように。初めて知った人には魅力的なバンドだと思ってもらえるように。
歌詞を読み込み、メンバーのブログを読み漁り、インタビューにマーカーを引き、情報を集めながら輪郭を作っていく。
初稿は6000字にもなった。多い。せめて2000字は削りたい。各パートの文字数をエクセルで管理。考えては書き、書いては消し、消しては考えて…をひたすらくり返す。
コンセプトの歪み、流れの悪さ、不要な語り、導入と着地のズレなどしっくりこない部分に修正を加えていく。
なんども再構築して、歌詞を入れ替え、違和感を消す。パソコンから、スマホから、音読、音読、音読。プリントアウトして赤ペン先生。最後までタイトルが降りてこず、公開を2日延長。
「ねぇ、世界中が敵みたいな顔してるけど大丈夫?」
先に寝るね、と言いにきた夫が私の顔を見て笑っていた。
手に入れたものは「切符」
公開ボタンを押したのは締め切り前日。もうこれ以上のものは書けないと思った。いまの私にとって精一杯。ちなみに我ながらタイトルはとても気に入っている。
結果的に何が審査員の方々に刺さってくれたのかはよくわからない。正直、運がよかったのだとも思う。
まだ本気出してないだけ。ずっと、心のどこかでそうやって逃げていたのかもしれない。熱くなればなるほど、思うような結果を得られなかった絶望は大きい。もちろん今回の作品だって悔いはめちゃくちゃある。
今回フルスイングで記事を書いてみて。得たもの、いや、取り戻したもの。それは「創作する喜び」。
集中して物作りをしているとき、頭の中には誰かへの羨望も嫉妬も一切なかった。とても苦しいけど、とても楽しかった。好きなのだ、私はこれが。
今回の受賞は、なんだか「切符」をもらったような気持ち。少しだけ自信も。創作と一言で表せど、さまざまな道がある。この切符を手に、さぁこれからどこへ行こう。
今がnoteを始めてから一番肩の力が抜けている。2020年は、もっともっと創作を楽しみたい。それは喜びや楽しさだけじゃなくて、怒りや哀しみも含めて。時には一人で、時には仲間と。
いつでもフルスイングである必要はないと思う。ただ「ここぞ」というときは、おもいっきりバットを振れる書き手でありたい。そして今年はその力を自分以外の人にもどんどん使っていく。
実のところ、今年の前半はまったく別の目標に向けて大きなエネルギーを注ぐ予定。それは「書くこと」とは少し違う。でもいずれ繋がるはず。
腹をくくって全力を出せた自分なら、きっと叶えていける気がしている。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。