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余白をたのしむ帰省旅

たぷん、とコップから水が溢れるように、頭や心に言葉が溜まりすぎると外へ出したくなる。今の私にとって、プライベートで文章を書くのはそういう位置づけらしい。

シカゴ郊外にあるオヘア国際空港から羽田空港へ。フライトは13時間半。機内持ち込みの貴重品に加えて、もし、体調を壊したら、ジュースを溢したら…と考えると、リュックはパンパン。中身はプレッシャー。元気真っ盛りの小学生&幼稚園児を、今回は私ひとりで引率する。

それでも「2歳と赤ちゃん」なんて時代よりは、うんと楽になった。映画とタブレットに面倒を見ていただく。機内は治外法権。

彼らが落ち着いたのを見計らい、私も映画を選んだ。「そばかす」。恋愛感情を持たない女性の話。最近、小説も映像も摂取できなくなっていたけれど、じんわり沁み入る世界観が思いのほか心地よかった。


エンドロールで流れる楽曲の声を聴いて「好き!!!だれ!!?」と思い、クレジットを確かめると、歌っていたのは主演の三浦透子ちゃん。そういえば前回の帰省で観たのは「ドライブ・マイ・カー」だった。佇まいと同じく、歌声も独特の透明感。瑞々しくて伸びやか。

イントロの作りも好みで、降りたら制作者を検索しようと誓う。狭い機内で人知れず、目(耳?)をキラキラさせていた。映画も観終えたし、素敵な音楽に出会たし、うれしい。

ずっと雲か海の景色


九州で生まれ育った私は、東京を知らない。それなのに、車で首都高を走っていると、少しだけ郷愁の痛みを覚える。街名の看板が、いつかの私が抱いていた憧れを想起させるのだ。心のずっと奥深く、ふつふつと。

日本へ行く前、これまでの経歴を一旦まとめたいと個人サイトを作ってみた。作業しながら気付いたのは、メディアに関するお仕事の中でも、私は「旅」や「街」を中心に、良いものを誰かに紹介する仕事をしてきたんだなぁという軌跡だった。

ずっと地元にいたせいか、見たことのない世界が知りたかった。実際に、出産前まではよく動いていたと思う。

東京湾の景色を視界いっぱい吸収していたら、「つぎはインバウンドかな」と急にお告げが横切った。これまで海外に目を向けて、現地情報を日本人向けに発信する機会は多々あった。もし今後メディア作りに関わるなら逆はどうか、なんて。

日本の美しさや楽しさを、コンテンツを、海外の人に知ってもらう。到着した横浜のガンダムファクトリーでは、英語や韓国語がたくさん聞こえてきて、わずかに芽生えた気持ちを後押しするみたいだった。

興味をもつと繋げたくなる。帰宅してすぐに該当メディアを調べてみた。だけど、次の一手には及ばず、そっと画面を閉じた。

まだ、掴まなくていい。ふわふわした想いの芽を、今は漂わせておくんだ。

躍動感がすごかった


人生で覚えていないぶりにやりたいことがなくて、何かを目指すとか目標を持つとかしたくないんだよね。

そう語る私を、親友は「健康」と称してくれた。本当に必要な栄養だけを摂り始めたんじゃない、と。するすると重たい鎧を脱ぐ心地よさの一方で、柔らかくて薄い膜みたいな不安に包まれていたけれど、これでいいんだと思えた。

今年は予定も少なめに。お土産を減らしたり増やしたりしながら、久しぶりに実家へ帰る。すると、前回とは違う心持ちの自分がいた。

余計な荷物を抱えすぎていた私は、心を許せる誰かに託したくて、でも結局どこにいようと自分で持つしかなくて、ずっと苦しかった。昨年は、小言の多い父にも、隠れて煙草を吸う母にも、不要な物が多い家にも、いちいち突っかかっていた。

今年は、長く居させてもらえるだけでもありがたい、なんて感じている。スペースが空いた分、俯瞰できる余裕が生まれたのだろうか。あるいは、人生を見つめ返す時間の中で、私はもうこの家の娘ではない部分のほうが大きいのだと、お客さんの自覚を持ったのかもしれない。

地元への定住はむずかしいと感じるほどには、よその人になってしまった。それでも、ときどきは戻りたくなるし、受け入れてもらえたら。身勝手さを見ないふりして、地元もnoteも、そういう場所であるといいなと思っている。

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