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空虚はロックを鳴らせなくても

幼少の頃から感情を表に出さないタイプだと言われ続けて、文字を扱う仕事をしてもそれは情報の切り貼りであって、noteを始めたのは「自分の言葉や文章を探す旅に出る」名分で、それはつまり私が物事や現象に対してどのように感じるかを知る目的だった。

マイペースにやっているから3年続けても約160記事。多いのか少ないのかはわからないけど、何も持っていなかった私にしてはがんばったほうだと思う。

でも、書いても書いてもわからない感情はあり、むしろ手応えのなさは広がるばかりだ。

伝えたいことも、あんまりない。こう表現すると悲観的に聞こえてしまうし、それを求めている時期もあった。いや、実際にはあれもこれもたくさんあるのだが、強さが足りない。「これ」って想いの強さ。

ずっと自分で不思議だった。特に書きたいことも伝えたいこともないのに、どうしてこういう場に居続けているのだろう。大ごとに悩んでいるわけじゃない。労力も時間もかかる書く作業。ただぼんやりと思うのだ、主張も訴えもない自分の感情を見つめ続けて意味はあるのか、と。別になくてもいいんだけど。

そんなふうにもやった思考に、新しい風を吹き込んでくれたのがロッキンオン・ジャパン編集長の山崎洋一郎さんがやっているpodcastだった。時代を彩ったアーティストを1組ずつピックアップして、山崎さんがテリー植田さんとZUZOMARIさんと共に思い出を語る「JAPAN RADIO」という番組なのだが、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの回が鮮烈だった(以下、山崎さんの語りを抜粋)。

「何もなれない自分の虚しさとか哀しさみたいなものがゴッチの中にはあって、それがすごくアジカンの音楽の本質でもある。」
「ゴッチは常にそうやって、あそこがない、これが失われている、ここが足りない、とかいって動く人なんですよね。今の俺、最高ー!ってゴッチが言っているのを聞いたことない(笑)。ないものねだりって言うのかなぁ、何かを常に探している。自分の中に欠落とか空虚があって、それを埋めようとしてもがいている感じ。」

聴きながら、以前開催された「いまから推しアーティストを語らせて」投稿コンテストでアジカンを題材に書いた人が多かった理由が、ちょっと分かった気がした。ゴッチが持つ葛藤は、物を書きたい人のそれと親和性が高いのかもしれない。

「失われた感覚とか、満ち足りることができない感覚って、ロックとは結びつきにくいじゃないですか。もっと悲しみを切なく歌うとか、メランコリックな音楽になったりしがちなんだけど、その空虚な感じをロックに落とし込むってのを、唯一アジカンがやれている。」


「失われた感覚や満ち足りない感覚は、ロックとは結びつきにくい」

この発言が、ものすごく心に残った。そして自分自身に照らし合わせて妙に納得した。そういうことか。私の中には、別に大きな感情は何もない。つまりロックを鳴らせない人間なのだ。文章という名のロックを。

一方で、欠落や空虚には心当たりがある。得体の知れない穴。私がタグに「ひとりごと」と付けながら見つめ続けているのは、それなのかもしれない。別に暗いわけでも黒いわけでもない。ただずっとそこにある。

昔は、いつか埋まるものだと思っていた。たくさんの友達に囲まれたら。愛する人と一緒にいたら。お金をいっぱい稼いだら。やりたい目標が叶ったら。ところが、何を達成したとしてもまだそれは存在し続けていて、愕然とした。だったら、どうしたらいいのだろう。何をすれば満ちてくれるんだろう。

そんな心細さを払拭してくれたのが、アジカンの話だった。そうか、別に穴を埋める必要なんてなくて、ただ見つめたらいいのかもしれないって。彼らの音楽がそうやってロックへ昇華されたように。

私が私の心を見つめて、言葉や文章にするだけで、もしかしたら、誰かのことをほんの少しだけ、癒したり励ましたりする可能性もある。100万人に届かなくても、たった一人でも。

書いている内容は、ばらばらだ。前回は音楽、前々回は子育て、前々々回は酔っ払いのたわごと。共通点なんてないんだけど、いつも日々ぐちゃぐちゃの泥みたいな感情の中から、ひとさじの光る砂粒のようなきらめきを取り出したいとは思っている。

だから、嬉しかった。ハイエイタスの音楽を初めて聴いてくれたこと。育児エッセイを読むとホッとすると言ってくれたこと。酔い言に共感してくれてメッセージをくれたこと。それだけで、私にとって書く意味は充分にあった。

じゃあ、このプラットフォームを選び続ける理由は?

度重なる炎上はもちろん目に入っている。去っていく人たちを止める術もない。そりゃそうだろうな、とすら思う。

私が残る理由は、ただ一つ。ここで知り合った大切な人たちと、まだ一緒にいたいからだ。切磋琢磨したり、声をかけ合ったり、そういう関係性を失いたくない。それだけ。内輪と言われようが甘いと言われようが、一向にかまわない。

書きたいものを書き、守りたいものを守る。たとえロックを鳴らせなくても、そうやって生きていく。

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