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点と点がいつか繋がるとして

これまで長い間、情報誌やWebサイト作りに携わってきた。私が何かを書いたり伝えたりするベースとなる記憶を振り返るとき、そこには岡田あーみんの存在がある。

生粋のりぼんっ子だった私に、ある日事件は起こった。がんばって描いた天湖森夜のイラストが誌面に掲載されたのだ。

(解説しよう。天湖森夜とは、岡田あーみんのギャグ漫画「ルナティック雑技団」のキャラクターで、誰をも魅了するカリスマハンサム男子学生である。完璧な美しさゆえに実母を含めた周囲の人間をひたすらに惑わせる。しかし、なぜか本人はそれを「嫌われている」と捉えてしまい、ひたすら奇想天外な行動に出るのだった)

当時りぼんは各漫画それぞれのページでイラストを募集しており、選ばれた作品は漫画の両端にあるスペースに掲載されていた。私は自分のイラストが選ばれたなんて露ほども思わず、何なら送った事実すら忘れていた。

同じくりぼんっ子だった従姉妹に「あれ、Micaちゃんだよね?」と言われて背中がヒョッと寒くなった。身震い。あわてて確認すると、たしかに私のイラストが掲載されていた。

後日、ルナティック雑技団オリジナルの缶ペンケースが自宅に届いた。当選した記念品。きっと岡田あーみん先生も私のイラストを見てくれたに違いない。チラ見程度でも構わない。田舎の片隅でひっそりと愛を叫んだら、作者本人に届いたのだ。この上ない喜びだったし、自慢だった。


「誰かに想いを形にして届ける」

もしかしたら、これが原体験だったのかもしれないと思う。もっと絵を描く能力があったのならば、漫画家を目指していたはず(たぶん)。美術系で3以上を取れなかった私は早々にそっちは諦めた。やがて興味は、キャッチコピーや歌詞といったプロフェッショナルな言葉の表現へと赴いていく。


2021年は「攻め」か「守り」かと聞かれたら、完全に後者だった。全体的にそうだけれど、能動的になれなかったのは文章に関することもそうだ。

春ぐらいだっただろうか。「文章たるもの」といった語りの類を完全に受け付けない時期があった。上手くなりたいとも思わなくなった。何に対して抵抗感を覚えていたのか、よくわからない。ただ、私がちょうど黒子仕事への誇りを取り戻した時期と重なっている。


2年ほど前、noteを書けば書くほど自信を失うような日々を過ごした。圧倒的な文才やスター性がある人をどれだけ横目で見てきただろう。コツコツ書いても一向にたどり着きそうもない場所まで、あっというまに登り詰めてしまう人たち。

羨望と嫉妬がない混ぜになった感情。描写力、語彙、ユーモア、あれもこれも自分にはなくて、設計図を書くスタートにすら立てない。負けが身に染みついたような感覚のままでは、能動的な生み出しは困難なのだ。自信は、一度見失うと転げるように逃げていく。


私が「黒子として仕事をがんばる」と改めて決意したのは、もしかしたら自尊心を保つためだったのかもしれない。私は私のやってきたことを否定するわけにはいかなかった。素敵なクライアントさんに恵まれてお仕事自体は楽しい。そうやって健全にお金を稼ぐ事実が埋めてくれる穴が確実にあって。燻っては割り切り、割り切って燻り。

これまで培ってきた知識や経験への自負。その裏に隠れる、言葉や文章や表現に対する自信のなさ。仕事は仕事。それだけでいいの?どうやら否らしい。どこを目指しているか分からないままに、それでも歩き続けたかった。アンバランスでも、必要とされなくても。



だから本当に本当にびっくりした。こんな私が「ファンレター」をいただける日がくるなんて。


書いてくれたのは、かわいいナマケモノアイコンでお馴染みの薫(kaoru)さん。過去のnoteを全部読んでくれて、熱く丁寧に紡がれた言葉と共にお手紙を残してくださった。

薫さんといえば日本酒。喩えます企画で受け取った人なら知っていると思う。彼がどれだけ相手に対して誠実で、真摯に言葉を贈ってくれるかを。

お手紙を拝読している途中から、涙が止まらなかった。それが何の涙なのか、自覚できるところもできないところもあって、今でも私はその気持ちを簡単に表現したくない。心のぐっと奥深くに届いた丸ごと包み込んでくれるような優しさを、そのまま大切に仕舞っている。生涯の宝物。

あの日、幼い私が岡田あーみんの漫画が好きで、想いを込めたイラストを描いたように。数十年のときを経て、自分が想いを受け取る側になるなんて。

岡田あーみん先生が自分の漫画を卑下していたら、私はなんだか寂しい気持ちになる。こんなに笑わせてもらったのに、って。
だから、もう二度としないと誓ったのだった。「私なんかの文章」みたいな自ら落とすような発言を。


その後、薫さんのお手紙をきっかけにカラストガラさんも全noteを訪問してくださり、しかも一つ一つにコメントまで付けてまとめていただいた。

まるで、一生懸命書いた不器用な日記に、先生が付けてくれるお返事みたい。心にじんわり染み渡る感想たち。書いた私にとっても発見や気付きが多いのは、カラストガラさんご自身が多角的な視点をお持ちだからだと思う。そして温かい。他の人へ向けたnoteのシェア文を見ていると、その多くに労りの言葉が添えられている。

さらに遡って年初には、深澤さんがミスチル企画でこれまたたくさんのnoteを読んでくださった。

記事へのボリュームあるコメントがとても嬉しく、その中でも曲紹介の前に添えられた一文にドキッとした。

いや、でも最近のnote読んでいるとMicaさん元気?ってときもあるので。もし元気なくなっちゃうことがあれば、忘れるぐらいに音楽の話でもしましょうよ。

このとき、私は前述したような葛藤の最中で。noteやTwitterに漏れ出ていたのか、でも誰も気付いていないはずだった。そんな心の部分を細やかに感じ取ってくれる懐の大きさに、当時とても救われた。今ではよく、隠れ引っ込み思案の私を「深澤プレゼンツ」名の下、Zoomに引っ張り出してくれる。

スキは数じゃない、人なんだという事実を気付かせてもらった2021年の出来事。
がんばって書いたnoteがあまり読まれなかったとき、つい今でも落ち込んでしまうのだけれど。そんなときはちゃんと思い出したい。とても大切なこと。


先日また忘れかけていたので、ふと思い立ちnoteをシェアしてもらったツイートをTwitterのブックマーク機能に集めた。過去2年分ほど。2時間ぐらいかかったし、指も吊ったのだが、そこにはたくさんの人とのたくさんの交流があった。一つ一つを改めて刻んだ。
これまでに受け取ったものはあまりにも大きくて。初心に立ち戻れる我ながら良い作業だったと思う。


天湖森夜のイラストと、いただいたお手紙と、数え切れないほどの交流と。

あのときがあって今がある。あのときとこのときが繋がる喜び。

書いた達成感も、書けない苦悩も、届いた感慨も、受け取った感動も、がんばって書いた作品も、選ばれずに涙した夜も、何かと何かが点として繋がって、もしかしたら線になって、最後には大きな面を作る。そこに描かれる絵はきっと唯一無二だ。賢明に言葉を綴った時間と体験がちゃんと下地に根付く。全てが無駄じゃないとは綺麗事すぎて言い切れないが、きっと渦中にはわからなくて、後から後から編み込まれて、それは思いもよらない形で自分の手の中に残る。

noteの2021年レポートを開いたら、私が書いた上位記事は、Cエモ説 、旅立ちエッセイ息子の語彙、だった。思い起こせば、3年ぐらい前はサンフランシスコの記事を一生懸命書いていた。

なんて統一性がないのだろう。しかしそれも点なのである。バラバラに書いてきたものが、いつか一つの作品に集約して活かされるのだとしたら、それはそれで楽しみだとも言える。そのために来年は新たなチャレンジもしたい。


ここでの書く経験や交流は、点といった表現には収まりきれないほどの濃い時間。企画への参加も乏しく、偉そうに語るほどnoteにも周囲にも貢献できていないのだけれど。

せめて、かかわってくださるみなさまとは引き続き楽しいひとときが過ごせますように、と祈らずにはいられない年末です。今年、たくさん遊んでいただいてありがとうございました。また来年もよろしくお願いいたします!

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