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創作は、自分の居場所

しばらくの間、めっきり書けなくなっていた私の足枷になっていたものは、おそらく羨望と嫉妬で、他人との比較作業からきていた。

「あの人みたいになれない」

ここに入ってくる「あの人」は、時々で変わる。刹那的な美しい文章を読めば、それが羨ましくもなるし、ユーモアセンスのある文章を読めば、それが妬ましくもなる。

何より、そうやって芯がなく他人の文章にあっけなく影響されてしまう自分がいやだった。直視できないこともある。気になるけれど読みたくない、そんな文章が溜まっていく。

一ヶ月ほど、晴れない気分で過ごして、どうしてだか、書くこととは関係ない作業、そうだ、夕飯の玉ねぎを切っているときに、ふと思い出した。私は編集者であり、かつて「書かない人」だった。そして書く人を「支える人」だった。

あぁ、わたしは「書くことが好きな人」が好きだったなぁ。違うよ、今も好き。言葉を愛する人。文章を愛する人。それに気付いたとき羨望も嫉妬も不思議なほどにするすると消えていった。…ちょっと嘘ついた。消えてはいない、萎んだという表現が正しいかもしれない。

けれど、他の人が書いたものを読むベースとなる心がずいぶん清らかになった気がする。よし、ちゃんと飲めるぞ。心に響いたフレーズを上手に体へ取り込める。戻ってきた。よかった。これからは、羨望や嫉妬の類も正しく持て余そう。

「言葉と文章を愛する人が好き」

雪解けのキッカケになったのは嘉晶(Yoshiaki)さんのnoteだった。つまづくたびに何度も読み返そうと思う。

だから自分にとっての創作は、自己表現の場と言うより、自分の居場所だったのかなあと、思った。

この一文に胸が詰まって、ふと泣きそうになった(タイトルにもお借りしています)。なんて素敵な考え方。そうありたい。だったら、自分にとって心地よい居場所を作っていかないと。

私は、どんな空間にしたいだろう。少なくとも、意図して誰かを傷つけるような場にはしたくない。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。これからも仲良くしてもらえると嬉しいです。