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ブラジル男子の優柔

その男子は最初っからツイていなかった。

前回紹介したアメリカ女子に悪態をつかれて心がザワついていた頃にエアビーでやってきたのはブラジル男子の一人旅だった。

約束の時間を大幅に過ぎても連絡が入らないのでこちらからメッセージを送ると、「トラムの乗り場が分からないから教えて欲しい」と返事がきた。

到着ロビーを出て駐車場へ行くまでの路上にあるトラムの停留所が分からないという。10~15分置きに発着しているあの大きなトラムが見当たらないらしい。

えっとぉ。

今日ストだっけ?

「出口の目の前にあるはずですが。。。」3、4ターン目のやりとりでやっと「見つけました」と返事が来てひと安心、したのも束の間、今度は券売機が見当たらないという。

「ボックス型の画面の付いた機械がそこら辺にあるはずですよ」と送ると、20分ほどしてから「あった!」と返事が来た。

それは良かった。

ではアパートの入り口のところでお待ちしています。


空港でトラムの乗り場が分からないなんて今まで聞かれたことがない。それくらい目立つものだし、案内看板も出ている。

どんなお惚け男子がやってくるのかとドキドキしながら待っていると、またピコッとメッセージが届いた。

写真が添付されたそのメッセージには、「ここですか?」と、角を曲がったところにある隣りの建物が写っている。もちろん住所も番地も違う。

もうその時点で数えきれないほどメッセージをやりとりしていたので面倒になり、返事もせずに小走りで角を曲がって彼を迎えに行った。

すると向こうから軽装に小さなリュックを背負った、30歳前後の人の良さそうな普通のお兄さんが歩いてくる。スーツケースも旅行かばんらしきものも何も持っていない。手ぶらだ。

私が見ているアプリのアイコンにはイケイケ感満載のマッチョなブラジル男が写っているのだが。。。まさかこいつ、モリモリに盛ったのか?盛りまくったのか?!?

恐る恐る名前を尋ねると、ビンゴ!待ち合わせのブラジル男子だった。

旅行かばんを持ってないから分からなかった、と言うと、とても悲しそうな表情で、「スーツケースは私と一緒には来られなかったのです」と英語で答えてくれた。


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ここで余談だが、エアビーのアプリは最近大幅にリニューアルされて、自動翻訳機能が強化された。だがそれは好きな言語を選んで翻訳するものではなく、スマホ本体の設定言語に則して訳されるので私には少々使い辛い。

私のスマホは日本語設定だ。自動翻訳機能を使うと全ての言語が日本語に訳されてしまう。翻訳の必要がない英語やフランス語までも、だ。

だから私は自動翻訳機能を使っていない。

するとどうだ、自国語でメッセージを送ってくる人の多いこと!

今までならフランス語圏以外の人がメッセージを送ってくる時は、大概英語で書いてくれていた。なのに今年はドイツ語やイタリア語や中国語など、自国語で送ってくる人が多い。

それをいちいち翻訳アプリで英語に訳して読んでいるからすごく手間がかかるのだ。

もちろん私が返信するときは英語で書いている。自動翻訳機能を使っていない人にはそのまま英語で、自動翻訳機能を使っている人にはそれぞれの言語に翻訳されたものが届くことになる。

今回のブラジル男子も最初からポルトガル語でメッセージを送ってきていた。メッセージが届く度に、なんのこっちゃ、と心の声がツッコミを入れながらもせっせと翻訳して読んでいた。

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初対面早々やっと翻訳アプリを使わずに話が出来る、と安堵したのも束の間、荷物が届かないと悲しい顔をする。なんとも気まずい空気が漂った。

あらまあ、大変。大丈夫?

午後5時の便で届くかもしれないからまた空港へ行くのだと教えてくれた。

彼の滞在予定は2日間。荷物が届かなければ軽装のまま過ごして軽装のまま帰らなければならない。なんとまあ、かわいそうなことでしょう!

そう言うと、「メイビー、イッツカミング(多分来るから大丈夫)」と薄い笑顔を浮かべた。


部屋へ案内すると、やたらと洗濯機の使い方を聞いてくる。もしやこやつ、荷物が届かないかもしれないことを想定しておるのか?!

説明しているうちになんだかすごく、わびしくてかわいそうな気持ちが込み上げてきた。

ブラジル男子、大丈夫か?


2日後のチェックアウトの時間を確かめるために帰りの飛行機の出発時間を尋ねると、「アット シックス(6時)」だと言う。次のお客さんが到着するまで2日間空きがあるから、チェックアウトの時間を午後まで延ばしても構いませんよ、と伝えると、「オー!サンキュー」と感謝された。

何かあったらすぐに連絡してね、と言って部屋を後にした時、手を振る彼の肩にはまだあの小さなリュックが背負われたままだった。

ブラジル男子、大丈夫そ?


その日の午後5時前、ピコッとアプリに通知が届いた。心配していたブラジル男子からだ。

アイコンの写真は相変わらずイケイケマッチョマンなので、実物とのギャップに笑顔が洩れる。

「スーツケース届きました。オブリガード」

あぁ、良かった良かった。

良かったけれどたった2日の滞在なので、翌日の夕方には退室手順の確認メッセージを送らなければならない。


「チェックインの時にも言いましたが、午後まで滞在して構いません。冷蔵庫の中とゴミの処分だけお願いします。鍵は机の上に置いたままドアを閉めて、部屋を出る時にメッセージを送ってください」

そう送るとすぐに、「ありがとう。ところでトラムの始発と最終の時間を教えてもらえますか?フライトは早朝6時なのです」と返事がきた。

朝6時!?!?

あらあら、6時って朝だったの?!とんだ勘違いをしてしまった。でもトラムの始発は5時前だから、ギリギリアウト。フライトには間に合わない。タクシーかウーバードライブで行くしかないですね、と返事をした。

空港までは荷物が少なければ自転車や徒歩でも行ける距離だが、スーツケースを転がして行くには少々厄介だ。車で行くのが賢明。

早朝移動の会話が落ち着いたところで、またピコッとメッセージが届いた。何だろう?と思って開いてみると、「ところで鍵を机の上に置いたままドアを閉めるとはどういうことでしょうか?」と書いてある。

どういうことって、そういうことよ。私の英文がちゃんと翻訳されていないのかと思い、「ドアは自動ロックで閉まるので、鍵を置いたままドアを閉めて下さい」と書き直した。

「はい、わかりました!そうします」と返事が来たとき、無意識に大きなため息をついていた。

ちゃんと伝わっているといいな。。。


その日の深夜前、もうすぐ日付が変わろうとする時刻にまたピコッとアプリからの通知が届いた。こんな夜更けに何事だ?そう思いながらメッセージを開くと写真が添付されていた。

「なぜ私はトイレの蓋が閉まっていることに気付かなかったのか、残念でなりません。本当にすみません」とメッセージが添えられている。

写真には、真っ二つに割れた便座の蓋が写っている。

な、ぬぅぅぅ?ぬぬぬ???

なぜ割れている?!便座の蓋ってそんなに脆いものなのか!?

「ごめんなさい」
「どうしたものか」
「私の不注意で。。。」

小刻みにメッセージが送られてくる。もう深夜0時を回っている。今日も暑い中いっぱい動いたので私は疲れている。寝たい。もう寝たい時間なのに、ブラジル男子からピコピコとメッセージが送られてくる。

あんたも明日の朝、早いんちゃうんか?

もう寝ろよ!分かったからもう寝ておくれ!

そう心の中で叫びながら、「大丈夫、明日私が直すから。おやすみなさい」とメッセージを書いた。

「オブリガード。ありがとうございます。はい、おやすみなさい」

もちろんブラジル男子はすべてポルトガル語で書いて送ってくる。

もうマジでお願いだから、深夜にポルトガル語は勘弁してよ!

つくづくそう思っても、彼のアイコンを見ると現実とのギャップに笑いが込み上げるのを抑えられない。なんなんだ、こいつ。笑わせないでよ。


物を壊したり何かやらかしたりした人は、アプリのメッセージで謝ったりしないものだ。大抵は紙に「ごめんなさい」と書いて置いてある。それか、チェックアウトの日にギリギリで告白してくることもある。

深夜0時に平謝りするようなメッセージを連打で送ってくる人はいない。

なんだよ、ブラジル男子。素直でいい奴だって分かるけどさぁ、今日はもう静かに寝てちょうだい。



翌朝6時前になってもブラジル男子からは何の連絡も入らなかった。フライトは6時のはずだ。

むむ?

寝坊でもして慌ててメッセージを送付し忘れたのだろうか?心配になったのでこちらから送ってみた。

「おはようございます。フライトには間に合いましたか?トイレの蓋は私が修理をするので気にしないで下さい。気をつけてお帰り下さい」

返答はない。しばらくベッドの中でグダグダと過ごし、8時前になってようやく朝の支度をし始めた。

すると8時半頃「なんだかよく分からないけどありがとう」と返事が来た。

よく分からないけどってどういう意味だ?また翻訳が下手なのか?少し腑に落ちない感じはしたが、その返事はそのままスルーした。

彼は発ったのだ。私は次へと進まなければならない。


壊れたトイレの蓋が気になるし、朝の涼しいうちに片づけてしまおうと思い、午前9時過ぎにアパートの様子を見に行った。

合鍵を使ってドアを開けようとすると、鍵の感触がどうもおかしい。それに中に誰かいる気配がする。

ひょおおおおおおおぉぉぉ!!!

素早く一歩後ずさりをした、と同時に中から寝ぐせで髪をクシャクシャにしたブラジル男子が現れた!!!

到着当日に着ていた同じTシャツにトランクス姿だ。

えええぇぇぇ!!!ななななんでいるのぉぉぉ!?

「グッドモーニング」ねむけ眼をこすりながらブラジル男子は言った。私は驚きで息さえするのを忘れている、が、唐突にしゃべりだした。

「えええ?どうして?どうして?今朝の便でしょ?なんで?」

ブラジル男子はのんびりと答えた。

「明日ですよ。私は明日のフライトで帰ります」

「えええ?!だって今日じゃないの?昨日聞きましたよね?」

「はい、だから明日なんです」

「え?今日は?今日は泊まるところあるの?大丈夫?」

「はい、友達のところに泊めてもらいます」

あぁ、なるほど。

そうよね、一人旅って友達に会いに来たのね。友達が近くにいると分かってなんだか少し安心した。

少し落ち着いた私の顔を見るとブラジル男子は、「ちょっと散らかってますがどうぞ」と私を招き入れようとしてくれる。

いやいや勘違いとはいえ、寝起きを襲った私なんか招き入れなくていいのよ。あ、でもトイレの蓋は見せてもらいたい。

「じゃあ、トイレの蓋だけ確認させてね」そう言って秒でトイレの蓋の取り付けネジの状態だけを確認して、ごめんねごめんねと何度も平に謝ってから、しっつれいしました~と急いでその場を去った。

ひゅ~。ビビったぁ。


午後6時過ぎ、「今から友達のところへ行きます。色々とありがとう。鍵は机の上に置いてあります」とメッセージが届いた。

「こちらこそ今朝は本当にごめんなさい。お気をつけて」

「こちらこそ、オブリガード。感謝しています。ミアシバもお気をつけて」

これがブラジル男子からの最後のメッセージとなった。

なんか喜んでるみたいな文面だけど、大丈夫だったのかな?アメリカ女子みたいに豹変したりしないよね?大丈夫だよね。

いつもに増して気になってしまうのは、今年の客は例年に比べてキャラが濃い目でクセの強い人が多いからだ。


ちなみにその2日後に現れたドイツ人カップルのちょっと厳つい風貌をした彼氏の方は、特大の浮き輪を膨らませた状態で肩から斜め掛けにして現れた。海水浴をする気がマンマンと満ち溢れている。

その状態のままスーツケースを転がしてやってきて、アパートの狭いエレベーターに乗ろうとしてボヨヨ~ンと跳ね返されている様子に笑いが込み上げる。

特大の浮き輪で自分が大きくなっていることに気づかなかったらしい。

なんかめっちゃかわいいんですけど。笑っちゃ駄目だけど笑っちゃう。

プププププッ。



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