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タペストリ

”Tapestry” by Carole King (from the album "Tapestry")

https://drive.google.com/file/d/1etIPqTVo8uYNRziB579ZZmXuENMzOucJ/view?usp=share_link
今日母と父と一緒に鹿児島さんの、織物の作品展に行った。
展示会場の最寄り駅で3人で集合して、お昼ごはんにお蕎麦を食べ、ギャラリーを訪れた。
私は、あれ、そういえば…、と思いながら中を覗くと、さとこさんと、そしてウタ君がいた。

ウタ君というのはさとこさんの息子さんで、私と同い年である。
さとこさんと母は、50年来の友人である。「子供が生まれた」という連絡を受けたころから知ってるわ。」とギャラリーを後にし、コーヒーを飲み、「スフレパンケーキ」をつつきながら母は言っていた。
私は、鹿児島さんのおうちに母と父と一緒に、 3回ほど訪れた記憶がある。一回目は小学四年生。 2回目は、高校二年生だったように記憶している。

さとこさんは私のこと、久しぶりやねえと言って、あみちゃんはうちに来た時にピンクのカーディガンを着ていたの覚えているわとおっしゃっていた。私はそんなことを覚えていなくて驚きながら、さとこさんの、短い髪に刺した鳥の羽、淡いグリーンと淡い赤の色のついたささやかな鳥の羽と、彼女が羽織っている自分で織られたのであろう、ペールグリーンの羽織ものを見ながら、フェアリーテイルだ、と呟いた。フェアリーテイルの意味も、対して深くも考えずに口から出てしまったので、後で検索して意味を調べたら、おとぎ話という意味だった。うっすら自分の記憶と意味が合っていたのでほっとしたが、おとぎ話という脈絡のない言葉を発してしまったことに、相手が気を損ねていなかったかあとで反芻したがわからなかった。
まるで妖精と妖精が作った織物を見たように思えたから、思わずそれを口にしてしまったのだった。

ここに、もう少し居られるものなら居たかった。そして本音を言えば、ウタ君と、もっと話をしたかった。
もう絵を描いてはいないのだろうか。さとこさんは。機織りに専念しているのだろうか。
彼女は「結局、絵を描いていたのと同じように、織っているんよね」と話していたから、過去形。いまはもう描いていないのかなと思った。神戸をさまざまに、水彩で描いたあの風景の絵。私はそれも今日みたかった。
ギャラリーに、作品を織った機織り機が目の前にあった。その機織り機や織物自体について彼に質問をしたり。母親の「どの色がいいかな」と織られたストールを選ぶことにつきあったりしながら、時間を過ごした。
私にとっては、もうここで彼と会えたこと自体が。すごいことだった。考えてみればこの再会は20年ぶりということになる。そして、そうだ。私は彼のことが好きだった。どういう意味での好きというものか分からないまま、強い気持ちを記憶の中に置き去りにしていた。
私が「好き」という気持ちに対して不可解なままきっと生まれて死んでいくのだ、と感じていたころの好き、だ。いまだにやっぱりその不可解さは解明されないままだ。このぶんだと、これからもそのままだろう。でも、好きだと思うのはまぎれもない真実なのだ。それだけはなぜか解るのだ。
私は彼が私の質問に対して答えてくれるその説明を聞きながら、その声がずっと自分の中に吸い込まれていくのがわかった。

* * *

それを聞きながら、もしかしたら私はそもそも声にも意識がいきがちなのではないかと感じた。なんとなく気になるのだ。例えば昔、池澤夏樹がとても好きだった時。池澤夏樹がインタビューに答えている音声を聞いたとき。ちょっとがっかりした記憶がある。私がイメージしていたよりも声が高く、早口だったのだ。でも作品はずっと好きだ。
それから米津玄師が好きなのも。彼のしゃべっている声がとてもいいなと思ったことにも気づいた。大輔君も。しゃべっている時の声が、特に電話越しの声が。いつも知ってる声のはずなのに、少し違うように聞こえて、あれ、とドキドキするということに気づいていた。
私は好きなシンガーもどちらかというと、ハスキーボイスで声が低めの人が、女性でも男性でも好きなように思う。なんだかんだで私はそういう好みの傾向があるのではないかと思う。

* * *

ともあれ、不意打ちではないにせよ実際にウタ君と顔を合わせてしまったことで、私は動揺した。当然何が起こるわけでもないのだが。私はもっと彼の顔を見ながら、彼の話している声を聞きたかった。けれど、それはもう叶わなくて、私と彼が個人と個人で。会話をする機会ももう一生ないのだと思うと、とても信じられないような気がした。こんなに近くで目も合わせて話したのに。会えてしまったことで、かえってそう思ってしまった。2人で会える機会も、会う理由もどこにもなかったし、もしかすると今日こうして再会してしまったことによって、私は昔会えた時よりも彼にもっとがっかりされているかもしれない。いや、そもそもなんの印象も私に持っていなかったかもしれないし、当時もやたら質問ばっかりしていたから印象なんてマイナスかゼロしかなかっただろう。

私は、この先もう会えない人で、とてもとても会いたかった人に再会してしまったことで、余計記憶を掘り返してしまって、一人で追憶を巡らせているのであった。そういえば、とキャロル・キングの「タペストリ」という曲を思い出した。聴きながらどうしようもなく、あのころとこれからの間に取り残された気がしてとほうにくれた。


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