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虐待サバイバーです。トラウマケア約一年半にて完了。複雑性PTSD、解離性同一性障害のこ…

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虐待サバイバーです。トラウマケア約一年半にて完了。複雑性PTSD、解離性同一性障害のこと、心理療法のメモ、その他心に浮かんだあれこれを書いてます。日英バイリンガルの、ひとりで身を立ててるひとです。

最近の記事

心と形について、考えた

若い時分の私は、形式が嫌いだった。 始まりは、形ばかりまともに見せて、その内実は正反対ということを軽蔑していて、 それが拗れて、形式をきちんとすることに対して、反抗的になったのだった。 マナーだったり、TPOに合わせた立ち居振る舞いや服装を、馬鹿馬鹿しいと感じていた。 そこに心があるなら、形なんて問題じゃないという言い分だった。 もちろん原因は、私の機能不全家族。 スーツを着て立派な社会人みたいな顔をした父親は、家では、気分次第で言う事が変わり、他責的で、女子供を殴りつけ

    • 気付けば年末なので、今年を振り返る

      いつもだとこの時期は、いろいろ思い出すことがあって、落ち込みがちでしたが、今年はとても安定しています。 今年は、自分都合で決断する、というごく当たり前なことが、板についた年でした。 自分の感情を認識するというのは、辛い記憶の多い私には、かなりしんどい作業ではありましたが、怒ったり笑ったり泣いたりしながらのそんな工程を経て、より自分を知ったり、自分への信頼を深めたりすることができました。 (私にとって)良い意味で、「諦念」が実践できたのも、今年のことでした。 過剰な執念と努力

      • 内なる虐待者(家族)とは、もう同調しない

        トラウマケアの効果で、フラッシュバックはなくなりました。 フラッシュバックは、単に思い出すといった理解をされる事が多いと聞きます。 実際には、その時の状況に引きずり込まれる、といった感覚です。 今でも時折、被虐体験の感覚は蘇ってきます。ひとつ変わったことは、過去の体験の渦中に引きずり込まれる手前の崖に、留まることができていることです。 フラッシュバックよりはかなり楽ですが、心が恐怖で震え、手が同じように少し震え、力が入りにくくなります。 臨床心理士の先生が言うには、これは、

        • 絶望からの離れ方を、学んでいる

          以前にも何度か書きましたが、快復の過程は、螺旋階段のようだと思います。 何度も、家で虐げられた記憶に戻ります。 トラウマ治療前は、いつも同じ絶望感の中にいました。 家族と連絡を断ち、治療が進むにつれ、希望や楽しみを感じる時間ができ、その間は家族の事を思うことがなくなりましたが、それでもまた、ふとした時、同じ虐待の記憶が戻ります。反応は変わって、絶望感の代わりに、彼らに対する怒りだったり、混乱が生じました。 怒り尽くし、彼らへの期待がなくなり諦念の域に達すると、今度は、彼らの

        心と形について、考えた

        マガジン

        • 多重「人格」のこと(まとめ)
          15本

        記事

          (メモ/雑談)不思議だった日のこと

          ある北関東から南東北の土地を、二日ほど、目的なく放浪していたのですが。いつもならしないようなうっかりで、降りたかった駅を乗り越してしまいました。 駅と駅の間の距離がひたすら長く、おまけに乗っていたのが特急なものだから、次に停車した駅は、降りるつもりでいた駅から、ずいぶん離れたところでした。 時刻表によると、次の逆側の電車は、一時間後。 途方に暮れながら、降りた駅のあたりをトボトボ歩いていると、『◯◯電機』という看板。◯◯の部分は、昔、ごく短い期間会っていた男性の苗字。 あれ

          (メモ/雑談)不思議だった日のこと

          心の深部に、触れたのかもしれない件

          自他境界線というものが、発達してきたみたいです。他人のネガティブな感情が侵入してくることがなくなり、誰かの代わりに役割をこなそうとする姿勢がなくなりつつあります。 同時に起きた変化、というか、以前より更に深化したことがあって。 それは、絵画や音楽に共鳴して、それをきっかけに、深いところに隠れていた思いが、水門が開いた時のように、強く吹き出してくることです。 以前からこの傾向はありましたが、近頃では、ずっと激しく、わかりやすい形で、それが現れるようになりました。 他人に乗っ取

          心の深部に、触れたのかもしれない件

          まだよく整理がつかない、抽象的な話

          ここ数日、不思議なことが続いて、なんだか導かれているような気分になっていた。 霊感もなければ、霊的なことをあまり信じていない私でも、理解できないことに出会うと、何かしら大きなもののせいにして納得する方が簡単で、ついそうしたくなる事がある。 似たような事だと、過去に解離して怒りが暴発した時。「悪霊に取り憑かれたのかも」と、うっすら思い付き、つい検索してしまったことがあった。 悪霊なら不可抗力だし、理解できない事象は、そこで思考停止した方が、楽で合理的だった。 ミレニアムあた

          まだよく整理がつかない、抽象的な話

          「意識が変わると、世界が変わる」を考える

          ミラーニューロンて、ありますよね。 他人の行為を観察する時に活性化する、脳の一部の、あれです。 最近改めて思うのは、認知の外側で、明かされているよりもずっと細やかなセンサーで、ごく微細なところまで分析してるのでは、と。 トラウマ治療以前の私は、無自覚に、虐待者(家族)と迎合し、彼らと一緒になって、私自身を貶めていました。 当時は、ぼんやりしていると、私をやり込めたり下に置きたがる人とばかり、関わってしまっていました。 思い返して思うことは、彼らは、私のそんな自虐的なところ

          「意識が変わると、世界が変わる」を考える

          残された時間について、考えた

          前回ふれた通り、逆境的小児体験(ACE)について、少し読んでみたのですが、読みながら意識が滑るようになったり、やや呼吸が苦しくなったりしたので、これはやめた方がいいと、ひとまず中止しました。 少し読んだところによると、ACEスコア4の人達は、0の人達と比べて、寿命が20年短いそうで。 もし私がそのケースだったとして、あと20年も生きられないということになり。 (私のスコアは9なものの、今までのことを考えると、おそらく尋常じゃない程丈夫なので、うっかり長生きという可能性も捨て

          残された時間について、考えた

          ACEスコアで、少し振り返り

          治療中は、自分の思春期までのことや、トラウマの原因となった要因について、分析したりするのをあえて避けていました。 というのも、最後の治療にかかる以前は、自分のことは自分が一番わかっているんだと、「自己分析」をしていて。 読み返すと、まるで『カリガリ博士』に出てくる、自身を医者だと思い込んでいる精神病患者のそれで、少なくとも私には、ひとりで自分を治癒することはできない、と認めたということがあったからです。 治療を終え、解離やフラッシュバックがなくなり、日常を切れ目なく送れた

          ACEスコアで、少し振り返り

          被虐待児(私)の原風景

          原風景。 人の心の奥にある、原初の風景、だそうです。 機能不全家族出身の私のそれは、いわゆる健全な愛着のある家庭出身の人達とは、きっとかなり違うんだと思います。 旅先で歩いていると、名もなき廃屋と出会います。そして、写真に収めます。 (扉絵は、その中のひとつのスマホ画像です) いわゆる「ばえる」廃墟ではなく、ひっそりとした旅館の跡地とか、人気のない納屋とか。 内側から、薄い窓の光を撮ることが、多いです。 幼少期、家から閉め出されたことが、たびたびありました。兄でした。も

          被虐待児(私)の原風景

          半生を振り返っていた

          ふと思い出したこと。 トラウマ治療以前なので、おそらく5年前くらい。 同僚に、「朝起きて、今日はこれをしようと楽しみにできるような、そんな仕事につけたらな」と、言っていました。 今も、当時と同じ仕事をしていますが、変わったことは、趣味ができ、それにかける時間や労力が、できたことです。 趣味は写真ですが、最近は、プリントに使う現像液の調合なんかも試していて、それについて調べ物をしたり、明日はこれをやってみようか等と楽しみに眠り、朝も、今日楽しみだな、とわくわくしたり、終わって

          半生を振り返っていた

          猫町のような、占い師さんのこと

          2020年、コロナ禍最初の年のことです。 4年ほど付き合ったり離れたりしていた彼と正式に別れ、2人の男性と、それぞれ短期間デートした年です。 夏の終わり、その2人目の男性と、定期的に会っていた時期のことです。彼は、以前にもふれた、音楽理論の教授です。 わりとよく行く繁華街を1人で歩いていると、「占い」の看板が見えました。吸い寄せられるように入っていくと、60代と思われる女性占い師が座っていました。 チリチリのカーリーヘア、真っ赤なジャケット、ラメがぎらぎら光る黒レースのマ

          猫町のような、占い師さんのこと

          絵画を前に、心の問題を思い出した話

          先日、国立西洋美術館の常設展を見てきまして。 その際、すごく心惹かれる絵と、出逢いました。 ウジェーヌ・カリエールという、フランスの象徴主義に属する画家の作品です。 そこで見たのは、自画像を含む二点です。 なんだか、肉体というより魂が描かれているようで、しばらく目の前に座って、見入ってしまいました。 画像ではおそらく、何も伝わらないとおもいますが、、 ぜひ本物を見ていただきたいです。 2016年に、損保ジャパン日本興亜美術館で展示があったんですね。当時の私は、それどころ

          絵画を前に、心の問題を思い出した話

          コミュニケーションについて、思い出したこと

          今年は、特に秋口以降、新たなフェーズに入ったと感じることが、多々あります。 私の周囲でも、人間関係の形態やダイナミズムが、急激に変化してきています。 かつて近かった人達との距離ができ、逆に別の人達と心の交流ができるようになったり。 意図的にそうしているのではなく、心からの言葉や態度で関わっていくと、自然にそこへ辿りつく、といった感じで。 風や水の流れ、そういった自然現象に似ているかも知れません。 以前は、不思議だと思ったことが、今では、「そういうものなんだな」と、しっ

          コミュニケーションについて、思い出したこと

          日常のささやかな自分軸(2)

          今日、残った発芽米で、マッシュルームのリゾットもどきを、自分一人だけの為に、作りました。 ホワイトマッシュルームを、みじん切りにしていた時。ふと、思い出したことがありました。 かつては、自分ひとりの為に作る時は、食材の切り方が雑でかなり適当だったこと。そのくせ、人(とくにパートナー)に出す時は、食べやすいように、美味しそうに見えるように、丁寧に切っていたこと。更に、一緒に食べていた時は、相手の反応ばかり気になって、自分の味覚や食感を充分楽しめなかったこと。 その時はただ、一

          日常のささやかな自分軸(2)