自分のことを話せるようになった&人の内心が過度に気にならなくなった

気付けば、自分のネガティブなことを、ごくカジュアルに、人に伝えることができるようになった。同時進行で、それについて人が私をどう見るか、気に病まなくなった。

私はいつも私の味方で、安全なところに置いてくれるという、安定した安心感なのだと思う。

例えば、写真関係でお世話になっている方の奥様。私を何故か気に入っていて、たびたびランチをしていた。ご主人が中座された際、何かの話の流れで、その奥様が、「外から見てちゃんとしていても、家で家族に暴力を振るう人もいるじゃない?」と言うので、「あ、それウチです!」と言うと、二度ほど、「そんな事ないわよ〜」と遮るように、取り合わないように笑った。普通のテンションで、「え、なんで信じてくれないんですか?」と言うと、「だって(misakiさん)明るいから……」と。
「そうなんですよ、日常的に暴行されてて、、」と少し話を続けているとご主人が戻ってきたので、そのタイミングで話題を変えた。
以前は、おかしく思われたくなくて、表面上の私を気に入っている人に対しては、より本心を話せなくなり、それが苦しくて距離を置いてしまうことも、少なくなかった。
今では、それで人が離れていったとしても、本当の自分でいられてそうなったなら、かえって清々しい。

別の時。ある写真家の女性と、あるギャラリーで鉢合わせ、軽く食べて帰らない?と誘われた。なんとなく行っても良いかなという気分だったので、連れ立ってお店に行った。彼女は、自身の写真ギャラリーを経営するほど熱心で、長年続けているだけあって、楽しい写真の話をたくさんした。写真家の世界の人間関係についての話題の流れで、「私、そういう人間関係のいざこざがイヤで、つい人を避けてしまうんですよね……」と告げた。彼女は、一旦頷いてから、「うん。でも関わっていくと、そのうち、写真の世界でも大切な友達できると思う。」というようなことをおっしゃった。それは全然押し付けがましくなく、良い意味で宙ぶらりんで自由で、すっと心の中に入ってきた。
以前の私は、「人との関わりを避けている」なんて、よく知らない人に言えなくて、まともに見られたいから陽気な人物を演じていて、でもきっと仕草の端々に恐怖心や嫌悪が滲みでているような、不気味な人だったのだと思う。

また別の時。音楽関係の場所、お手洗いの列。顔見知り程度の女性が、最近どうですかと聞くので、ちょっと忙しくて全然ライブに来れなくなってしまった、と告げた。すると彼女は声を張り、「素晴らしいじゃないですか!充実してるって事ですよね!??」と言うので当惑していると順番が来たので、その場を離れた。
かつての私も、こういう感じの時あったな……と思い出した。私の場合、怖かったり、ポジティブ思考を演じたり、またはうまくまとめて早く会話を終わらせたかったりだった。彼女の理由はわからないけれど、彼女も昔の私も、壁みたいだなと思う。
理由はなんであれ、関わりの拒絶ということで、すっと気にせず離れる。

以前は、人と関わるたびに自分が消えてなくなってしまいそうになったけれど、今では、人との関わりの中で、次第に自分が見えてきている。


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