抗う力がもう無いところから始まる

歳をとると、無理がきかなくなるそうです。
中年期になって急に鬱を発症したりというのも、そういう理由だったりすることがあるみたいです。

私は現在、アラフィフと呼ばれる年齢になりまして、もう色々耐えられなくなりました。
これが加齢によるものなのか、トラウマケアで自分の痛みや不調を感じられるようになったからなのか。きっと両方なのでしょう。

心も身体も正直になりました。先日の、頼まれて出した写真展での出来事は、すごくストレスだったみたいで、謎の倦怠感からの、ギックリ腰ならぬギックリ背中になってしまい、整体に3回通いました。以前なら、痛み止めを飲んで、自分の不調を傍に置いて、主催の方々に気を遣ったり、体力と気力の限界を超えても、元気な私を演じ続けたと思います。今ではもう、「調子悪いので帰ります。」とその場を離れ、一応お礼の短いメールだけは送るものの、必要以上のことはしません。
これからは、もっと早く気付けるようにならなくては。

無理なんだ、イヤなんだ、と真正面から認めるところから、始まるんですね。これに関しては、もっと経験値を重ねて行かなくては。

仕事も、以前は120%でやっていましたが、今では、大事なポイントだけしっかり押さえて、プライベートの予定をまず優先するようになりました。人の仕事を拾って夜中まで働くようなことは、まずしなくなりました。
やたらと頑張っていた時は、恨みがましい態度が滲み出ていたり、ギリギリの精神状態で余裕がなく、きつい言い方をよくしていたと思います。
そんな風に人を遠ざけてしまっていては、長期的に良い仕事とは言えない、と今はわかります。
功労者のような、被害者のような、攻撃的な姿勢だった私は、色々な人に許されてきたんだと思います。穴があったら入りたくもなるし、同じような人を見ると、ただそっと離れてあげます。

話を戻します。

無理がきかない身体というのは不便ですが、不調の時に身体(心を含む)の言うことを聞かざるを得ないということが自分を守ることに繋がっているので、まあ仕方ないというか、ありがたく思うべきなのでしょうね。

以前は、自分を守るどころか自分を壊したいという虐待者のコピペが真ん中に居座っていたので、なんだかんだ行動というのはロジカルで、行動を変えるなら、根本をロジカルに治していくしかないんだなあと、改めて思いました。

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