絶望感の中身について再び

必要な気がするので、久しぶりに、少し物騒なことを書きます。
機能不全家族の話なので、心配な方は読まないことをおすすめします。


小学生時代、家族から死の方へ追いやられた記憶が、二つほどあります。

一つめは、兄です。それまでも、父や兄から日常的に暴力を受けていました。身体的、心理的、両方です。
「死ね」だったり、「お前さえいなければ」と言われるのは日常でしたが、
それでも、視覚的に死を促されるのを見た時は、ショックで動揺し、目の前のことを理解するのに、長い年月が必要となりました。
8歳の時。部屋に帰ると、大切にしていた人形が、カーテンレールから首吊りの形で、ぶら下がっていました。兄の仕業です。大人になって俯瞰し分析すると、ここから色々なメッセージが見て取れます。当時の私は、ただ混乱しました。

二つ目は、母親です。
唯一殴ってこない母親は、過干渉と心理的ネグレクトのハイブリッドでしたが、私にとっては最後の砦でした。父と兄からの暴力がつらくて、「死にたい」と何度も言ったと思います。その言葉は、こんなに痛くて辛いならもう消えてなくなりたいという思い、そして、助けて欲しいというメッセージでした。今思うと、ただ寄り添ってほしいというのも、含まれていたかもしれません。
12歳頃だったと思います。隣に座る母親に「もう死にたい」と言うと、母親は、「じゃあもう死ぬか」と言いながら、両手で私の首を絞め、床に押し付けてきました。ショックと混乱のうちに意識が遠のく中見た彼女の顔と、生暖かいがさがさした気持ちの悪い手の感触は、今も覚えています。
(今も、首周りにアクセサリーやスカーフを付けたくないのは、その感覚を思い出すというのが理由です)

精神科医の先生が言うには、家族、特に親に殺されそうになるというのは、第一級のトラウマだそうです。
私自身振り返ってみると、ここからフェーズが変わった気がしています。
解離が進み、精神的にかなり荒れました。母親はそんな私に、精神安定剤を騙して飲ませようとしました。荒れる=虐待に対し抵抗するのは、生命にとっては正常な反応ですが、母親はその部分を薬で殺そうとしたんですね。

家族に対する皮膚感覚は、自分の家族から殺されかけた経験のある人とそれ以外で、大きく変わってくるのだと思います。

大人になってからはこんな記憶に蓋をし、昔のことだからと忘れたふりをし、何もなかったように家族と接していましたが、今思うと、当時の私の家族への執着に戦慄が走ります。普通の家族が欲しいという強い思いが原動力だったのでしょう。そんな状態だったので、パートナーとの関係も上手くいかないというか、上手くいくはずのない人ばかりを選んでいました。

トラウマ治療で自分の過去と向き合えるようになると、自然と幻想の中から出てこられました。なんという狭い場所にいたのだろうと思うし、あんなとるに足らない人達に支配されていたのかと知ると、心からがっかりします。

あえてポジティブな見方をするなら、あの殺されかけた経験の記憶があったからこそ、迷わず関わりを断つことが出来ました。

親から加害されたことのない人達から見た私は、ひとりで寂しそうに見えるみたいです。なんとなく理解はできますが、今のところ、「やっと一人になれた」という思いの方がまだ大きいので、しばらくはこのまま行くと思われます。



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