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病院でお世話になった私の大好きな看護師さんとお兄さんの話

10年以上前の私は絶望だった

10年以上前、私は死にたくて死にたくて仕方なかった。

発達障害という自分に理解できないまま高校生になり、統合失調症となった私は絶望の中にいて抜け出せなくて苦しんだ。

周りの同級生は進学か就職をしていく。でも私は引きこもり外へなんて出られない。そんな毎日を過ごしていたら「もう未来はない、死にたい」と呟くばかりになった。

「明日が来るのが怖い」

そう毎日繰り返し夜には考えた。

でも、そんな中でも「希望」があった。

それは、私の通う「精神科」だった。

絶望の中に、「精神科の先生なら何とかしてくれるかもしれない」という唯一の希望があったから……。

だからまだ、私はあの時死なないことにしたのだ。

先生と私

私は何年も引きこもり続けながら、通院だけは頑張った。

だって、主治医が「辛いのは今だけです、大丈夫」そう言ってくれたから。たくさん反抗した時もあったけれど、信じることにしたのだ。

そして、主治医の先生の言うようにちゃんと休んで薬を飲んで治療に向き合うほど、私は穏やかになっていった。引きこもっていた自分は少しできることが増えてきて、ある日先生に提案された。

「デイケアに参加してみませんか?」

幼い私と精神科での出会い

デイケアとは精神疾患を抱えた人が社会参加や復帰、就労などを目指しグループ活動を行う施設だ。

私はそこに行くことにした。

実際にデイケアに参加すると、料理の時間やトランプゲームをする時間など様々な活動があった。とても楽しかった。仲間も温かくて毎日通うのがだんだんと楽しみになっていった。

そして、私はそこでひとりの看護婦さんとお兄さんに出会った。看護婦さんはその病院のデイケア専属スタッフさん。お兄さんは精神疾患を抱えデイケアに通うお兄さん。お兄さんは私より10歳くらい離れていたけれど、よく話すようになった。

たくさん通い、何年か経った頃には、そのデイケアが私の第二の家みたいになった。毎日子供のようにはしゃぎすぎて、看護婦さんのスカートをめくってパンツを見ようとしたり、バカみたいに幼いこともしていた。

看護婦さんは怒りながらも、いつもわがままでクソガキな私と向き合ってくれた。母のいなくなった私にまるで母のようにいつも笑ってお話を聞いてくれた。私は自分が幼くても許してくれる人ができて嬉しかった。

数年前結婚する時に言われたっけ。「私のスカートをめくってパンツ見てたあなたが結婚なんて……」看護婦さんの目には涙があった。

それくらい私をずっと、面倒を見てくれた大切な人だ。

また、お兄さんはいつも私にガンダムのプラモデル作りを見せてくれた。私にボールのプラモデルを買ってきてくれて、作らせてくれたっけ。

仲良くなって、プライベートで一緒にガンプラ探しに出かけたりした思い出もある。一緒にシューティングゲームもした。下ネタを言い合ってバカみたいに笑った。兄弟姉妹みたいに楽しい時間を過ごした。

仲間やスタッフさんが温かかった

小さな精神科の小さなデイケアだったけれど、みんな温かくて子供の私を受け入れてくれた。わがままでクソガキだったけれど、話してくれる仲間がたくさんできて楽しかった。

季節のイベントでクリスマス会や新年会などをしてみんなと盛り上がったり、お絵描きをしたり、会費が集まった時にはみんなで日帰り旅行に行ったり、懐かしい思い出がたくさんある。

私は、主治医や看護婦さん、デイケアの仲間のおかげで元気になり、作業所に通えるようになり、アルバイトを始めることが出来るようになった。専門学校にも進学し卒業した。

でも、私が忙しく前に進んでいる間に、そのデイケアは無くなった。スタッフの人が足らなかったのかはわからないが、最後の日にみんなで色紙に寄せ書きを書いて幕を閉じた。

今でもその色紙は大事にしている。

今でも忘れない子供の私とみんな

なんでこの文章を書いているかと言うと、最近旦那と引っ越したため新しい病院に通い始めて

「温かい思い出が残る病院とデイケアルームにはもう戻ることはない」

そう思ったら、懐かしくなってあの頃の気持ちを思い出した。

私は回復したばかりで世間を知らなくて、ただただわがままなガキで、みんなに構ってほしくて仕方なくって、スカートをめくったり、いたずらしたり迷惑な奴だったと思う。

たくさん怒られたし。

でも、受け入れてくれた優しいみんながいて、私は前に進めるようになったんだ。そう、久々に思い出して再確認して、懐かしくって、寂しくって……。色んな気持ちになった。

今、デイケアの仲間やお兄さんと出かけることは無くなった。

専門学校を卒業して、大人になって、社会の辛さを経験して、あの頃の純粋なクソガキの私はいなくなった。色んな経験をして口では表せない細かい色んなことが分かるようになってから、顔色を伺うことを知って、お世話になった看護婦さんでさえあまり通院の時に話さなくなった。

でも、大人になってからもいつも診察室に入ると、先生の背中の向こうにある後ろのドアから覗いて、看護婦さんは手を振ってくれた。

いつも私のことを覚えてくれていて、十数年間、私を温かく見守ってくれた。

もう、デイケアに通っていた頃の過去の自分には戻れない。戻ることはできない。私は前に進み続ける。嫌でも大人になっていく。けれど、子供の心のあの時の私でみんなに会いたいと時々思う。

もう、思い出になっちゃったけれど、私は一生忘れない。

▽大切に生きるをテーマに執筆中▽

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