見出し画像

自分らしい色を小瓶に詰めていく

子供の頃に家から少し遠いところにあるれんげ畑に連れていってもらったことがある。蜂がいると怯えていたら「ミツバチだよ」と言われたので離れて観察することになった。黄色い大きな塊を体につけて飛んでいく様は幼心ながらに不思議だった。どこかにある巣に持ち帰ってあのハチミツを作ったりするのだと知った時の驚きといったら。小学生の低学年の私は知的好奇心が旺盛だったため、そこからいろんなことを質問して親を困らせた。

生まれたばかりのきょうだいが病院通いをしていたため待ち時間の暇つぶしにと訪れた場所ではあったものの、退屈した様子のない私に親は知っている限りの知識を与えてくれたように思う。授業で習わない、そしてみんながまだ知らないことを知るのが楽しかった。


帰りに近くのお店で瓶詰のハチミツを買った。どろっとした琥珀色の液体があの小さなミツバチ何匹もの力で集まったものだと思うと目がちかちかする。普段何気なくホットケーキにかけてしまっているハチミツがまるで宝石か何かのように見えたからだ。つやつや、きらきらとしたそのテクスチャは私の心を熱くさせた。

帰ってから母にいろんな花ごとのハチミツがあると教えてもらった。「これはれんげだけど普段使っているのはアカシアなんだよ」とも。みんな甘くて香りがよくおいしいけれど、アカシアはわりとさっぱりとしてくせがない味らしい。ミツバチは本当にすごい、こんな綺麗でおいしいものを作れるなんてと私はただただ圧倒されてしまった。


次の日の朝、母がホットケーキを焼いてくれたのでさっそくハチミツをかけて食べた。ふわっとしたホットケーキとほんのり甘いハチミツが絡んでとてもおいしかった。少しだけ混ぜたバターもまた風味豊かで味わい深い。今までのミツバチの働きに対して思わず心の中で手を合わせる。母はメイプルシロップの存在も教えてくれたものの、ハチミツの方が何だか神聖なものに思えて私は好きになった。まるで遠くに住んでいるおばあちゃんからたまに届く、おいしいものがたくさん詰まった宅配便みたいだと思った。


私はひとつ学んだような気持ちがしていた。今、目の前にあるものは決して自分の手で一から作ったものではないことを。私たちは誰かに必ず助けてもらって生きている。目の前にあるスマホも、お店に売っている野菜も、今着ている服ですらも必ず誰かの手を介在してできている。それは誰かからの想いの欠片を少しずつもらって生きているようなものだ。

そんなことを思い巡らすと、日頃誰かの歯車でしかない事実に疲れ切っていた私の心の奥深くへ光が差したように思えた。私が必死に集めたハチミツを喜んでくれる人はいるんだろうか。どうかいますようにと願いながら、今日も想いを小瓶に詰めていく。

この記事が参加している募集

至福のスイーツ

散歩日記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?