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風流な人って憧れる

風の音が大きすぎて飛行機でも墜落してくる音なのではないかと怖くなって目覚めた朝。おはようございます。

ものすごい音が鳴っている。そういえば風の音や雨の音を聴いていると心が落ち着くという人もいるらしい。自然音というものだ。試しに風の音をBGMとして流してみているが、思っていた音と違う。そりゃあ風でさわさわと揺れている音と、天気が悪くて暴風状態になっている音は全然違うか。

鳥の声と草むらがなびいているような音と、絶妙に噛み合っていて実際に自然の中にいるかのように心地がいい。もちろん実際に緑に触れるのが一番癒されるんだろうけど、目を閉じれば光景が浮かんでくるような音を聞くのもいいのかもしれないと思わされる。

雨の音の方は私には今でもよくわからなかった。



昔憧れていた人と話していて「雨の音って聞くと落ち着きませんか」と言われたことがあった。私はむしろ雨の音が気になってしまうたちなので「そうですか?」と普通に返したのだが、その後で何だか素敵だなと思ったのを覚えている。雨の音が聞こえてくる夜にこの人はそういうことを考えているんだなと感じ入ったからだ。

動画を流そうと検索してみれば「不眠症にいい」と書いてあった。あの人の言っていたことは本当に根拠のあったことなのだと思い、懐かしく感じる。単に風流なタイプなのかと考えていた。美しさに対しての感受性が高いところがとても羨ましかった。


こういう何気ないところにも楽しみを見出し、愛でるというのが心の豊かさにつながっているんだと思う。花を見ていても私が「綺麗だな」としか感じていないところをいろんな面から観察し、一つ一つに対していろんな感想を抱く。

世の中には美術館で一枚の絵の前にたたずみ、涙を流す人がいる。私にはわからないものを読み取り、心を通わせている人を見ることで胸を打たれる。自分にとっては感じられないものを他の人を通して感じる。言葉にするのなら二次感動というものだろうか。

思えばさっきの憧れていた人に関する印象ですら「この人は雨の音でいろんなことを思うのだろうな」と想像したからこその感動であり、今も思い出すくらいなのだろう。単に語彙力がないだけかもしれないが、やっぱりその感受性は私にとっては羨ましいままなのだ。



こうして雨の音のBGMを流して過去のことを思い出していても、背景ではあの飛行機が墜落しそうな風の音が依然として流れているのが何だか可笑しい。しとしとと優しさを感じるくらいの雨の音のバックに「ひゅーん」「ごごー」という音が鳴り響く。

この風の音にも風流な印象を抱くくらいだったら私ももっとレベルが上がるかもしれないのに。そんなことを思いつつ、体を起こした。

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