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☆あの日の記録と現在☆

7/27を最後に更新をストップしていたnote。

書きかけの下書きはいっぱいあったのに、
最後まで書けなかった。

なにを書いても病んでいる気がして…

これは7/28の記録。

少し落ち着いてきた現在、
あの日の自分を振り返ろうと思う。

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現時点では
腰痛でも条件変わらず給料をいただける。

本来であれば
思うように働けない上に
身体のメンテナンスという
急な収入のストップと
支出の増大になるはずの時期だから
とてもありがたい。

一応、在宅ワークしているとはいえ、
腰痛なので休憩もしまくっている。

もちろん、その旨は理解してもらえている。


いっそのこと雑に扱ってほしい。

そうすれば思いきって
コードをブチ切ることができるから。


腰痛で思うように働けない。

自分はもうこの職場で
役に立たない人間なのでは。

続けるのも辛い。

いっそのことやめようか。

何度も頭によぎりながら
それでもしがみつくしかない自分が
情けなかったり。

やめたからといって
今すぐ困るわけでもないが、
今の環境が悪いわけではない。

やめたからといって
どう生きられようか。

仕事内容も人間関係も
自分にとって良好な方だと思う。

私には多少得意なことはあれど
一念発起してなにかをやりたいとかいう情熱もなければ、
気軽に始められるような才能とかももちろんない。

私にはなにもない。

なにかをしようと考えるたびに思う。

生きるということに
真剣になれていないのではないか?

もったいない時間(命)の使い方をしているのではないか?

なにができるわけでもなく
なにをしたいわけでもなく
中途半端に拘束されて
妥協して生きてる?

だからといって
全部捨て去って
思いきりのびのびと過ごせるわけでもない。

ただ漠然と
不安を抱えたり
それなりに楽しく過ごしたり

繰り返し。

そうやって時間だけが過ぎていく。

これでいいのか?

自分を責めても結局解決などしない。

ありのままを受け入れること。

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あの日の記録はここで終わっていた。

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人は一人では生きられない。

自分のために生きることは
なにより大事なこと。

ただそれは
自分のことだけをこなすってことではない。

誰かに求められるとか
誰かにとって自分が存在すること
周りから必要とされたりすることで
自分という存在が再確認され
生きているという実感がわく。

そんな自分にとって
思うように生きられていない自分は
価値がない

そんな風に見えて辛かったんだと思う。


突然大きな変化が訪れた時に戸惑う。

自然の流れではあるけれど、
焦りとか不安とかいう
その時にどうしようもないことをまとってしまうのではなく
ありのまま自分を受け入れて
ゆったり過ごせる度量を持ちたい。

きっとどんな自分だって
受け入れてくれる人はいるし、
心からそのまんまの自分でいられる方が
自分を好きでいられる。

そんな自分を愛してくれる人たちもいるんだって思えるから。

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