孝行をしたい時には親は無く
こんな言い回しが今の時代でも伝わっているぐらいだから、たぶん私だけの体験じゃないのだろう。
周りからは孝行息子と言われながらも、両親が元気な頃には盆も正月も仕事を理由に実家に寄りつきもしないくせに、親父の居ない留守を狙ってこっそり母に溜めた祇園の飲み屋のつけを無心しに帰ったこともある。
その頃は親が死ぬなんて考えたことも無かった。
でも時間は誰にも平等で、両親の老いも例外ではなかった。
未来永劫なんて言葉はあり得ず誰もが老い朽ち果てていく。朽ち果ていく両親を見ていながら何も出