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深夜の考えごと

また夢をみた。
ここでそう書き綴った記憶があるが、私は夢をあまり憶えていない。たぶん極端なショートスリーパーだからだと自分では思っている。ひょっとしたら夢を憶えている時は寝ていないのかと思ってしまったりする。身体をベッドに横たえて目を瞑っているのではあるがずっと考え事を続けている。日中も絶えず考えてはいるが、どうしても一つに集中することは出来ない。それはまだ現役で仕事を中心に生きていた頃、もっと極端だったように思う。

よく先輩に「人間ものを考えるのには7つが限度だ」と言われた。ゼネコンの営業マン時代、今のようにパソコンの無かった時代、頼りは手書きの資料であり、自分の記憶力だった。期中の案件、来期再来期の案件、その先の中長期案件を追いかける、忘れないためにちょうどいい数だったかも知れない。でも一度に7つの事ばかり考えるていることは無く、案件の会議が迫り進捗状況を考え、そこで焦って考え出したりと何かきっかけ、引きがねのようなものが必要だった。

そして人間として生きるのに会社での仕事ばかりを考え生きるわけじゃ無い、家族の事、離れて暮らす親兄弟の事、人に教える合気道の事、迫り来る考え事は仕事の他にも途切れることなど無くいつもそこにあった。「物事を考えることなくボッと酒を飲む時間」なんてのも実はほとんど無かったのである。仕事と家庭、両案件の切り替えを上手く出来たためしは無かったのである。家庭は当たり前のように後に置いてしまい、山に積み身動きが出来なくなってからやっと動き出したのである。

先輩が言っていた「7つ」ってのがあんがい正しいのかも知れない。この歳になり、考えなければならない対象物が一つづつ減っていった。新たに生まれる対象物もあるのだが以前のような勢いはなくなった。「ああこんなことも歳を取るってことなのか」と思う最近なのである。深く考え違う面から考え対象物を見ることができるようになった。今、本当に7つの考え事に近づいいているのかも知れない。

でもそう考えると夢での考え事は何なのであろう。よく分かりはしないが、深夜私の頭の中にある違うチャンネルに誰かが切り替えてくれているのかも知れない。なんだかわけの分かったような、分からないことを書き綴るが、考え事の質は向上しているように思う。今までと違う考えが出来るのは考え事の数が減ったからばかりでなく、私の積み重ねた人生が「適当」を十分私の頭に染み込ませてくれたからだと思う。アップアップするほど考え悩み抜いて後に到達できる「どうでもいいや」なのである。

深夜の私の頭のチャンネルは仮に3つあれば3チャンネル×7案件=21案件となる。日中の7案件を加えて28案件をたえず考えて生きているということになるだろうか。でも、深夜の21案件は以前からどうでもよい妄想に近いものである。こんなことで心のバランスが保たれていたのかも知れない。
そして日中考えていることも妄想が多くなっている。深夜の考え事も、日中の考え事も質は間違いなく上がってきている。
そんなこんなを考えていると、まだまだ何かが出来るような気がした64歳になったことに気付いた夢の中であった。

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