先日、父のもと部下だった方と出会う機会があった。「ひでき君、親方に似てきたな~」と、言われなんとなくショックだった。
父が他界してもう13年過ぎる。父の他界から10年の間、母はグループホームで生活した。兄は今も愛知の障害者支援施設にいる。
父が死ぬまでの10年間、そしてそれからこれまでの13年間、都合で約四半世紀、家族の介護や看病が続いて来た。遠隔からの一人での介護・看病には無理があった。そんな状況を生み出した総責任者である父が好きではなかった。
母の半生は兄の出生を悔恨し続けることに費やされた。私には「それでいいのか、あなたの人生をそんなことだけで終わらせてしまっていいのか」と疑問を拭えることはなかった。
それに比べて父はお気楽に見えた。
当時高額な兄の治療費を稼ぐと言い長く海外に勤務し、すべては母に任せきりであった。働きながら母は一人で兄の面倒を看ていた。
父もゼネコンにいた電気・機械のプロフェッショナルであった。
長い時間は人の記憶をぼやかし、曖昧にさせる。
それは良いこと、悪いことの両面を持ち合わせると思う。
そしてそれが無ければ人はたいそう生きにくいに違いない。
父の記憶や思いも薄れながら昇華しなければならないように思う。
でも父への感情はいまだ変わっていないことを父の部下の一言で気付いたのである。
ここからは過去の記事に手を加えた再掲です。
父はいつまでもけし坊主の思い出と共に私の心の中で生き続けています。