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八尾の青空と白い雲

多少は暑さはおさまったのかもしれない。汗をかきながらだが、酒の力を借りずとも朝まで熟睡できている。

金曜日の夕方、稽古に出かける途中である。
稽古に来る中学生の夏休みももう終わりなんだなと、八尾の青空と白い雲を見上げて駅に向かう。
大学時代の合宿に向けての稽古を思い出した。道場で軽く準備体操をして、練馬区の江古田から中野区の哲学堂公園まで走る。着いたらトレーニングである。腕立て、腹筋、なんでも百回単位だった。そしてまた走って大学の学生会館6階にあった道場に向かう。道着に着替えて1時間以上稽古したと思う。フラフラになって稽古が終わるともう昼近くである。それで解散にはならず、水泳部には心の中で拝借の挨拶をして勝手にプールに入り込む、バトルロイヤル方式で全員で沈めっこを小一時間ほど、昼はとうに過ぎて休み時間に入りかけた晩は飲み屋の「お志ど里」に駆け込む。皆、350円のカツ丼を頼み誰かがビールを注文する。それから2時間ほどウダウダと酒を飲み、店は毎度のことと私達を無視してくれた。(私の同級生が店の息子だった。)そこから夕方開店と同時に駅前のスナック「ママン」になだれ込み、薄い水割りを飲みながら歌を歌いまくる。これで合宿前稽古の一日の行程が終了する。いつも日が変わっての解散だった。
朝には全員道場に顔を見せた。今では考えることのできない毎日だった。私達は4年生の夏合宿までが幹部だった。それから就活、それでも皆そこそこの会社に就職していった。

私達の面倒をよくみてくれた先輩が脳梗塞で寝たきりになり、もう15年経つだろうか。その間、3回だけ富山まで顔を見に行った。身体は動かず言葉も発することもできない。私も言葉は無く互いにただただ涙を流すばかりであった。最近支援施設から介護医療院なる聞き慣れない居に移ったと連絡が来た。新たな段階なのかも知れない。同期が言い出し、11月に顔を見に行くことになった。まだ、先のことゆえ、他の連中もギリギリまで行けるかどうか分からない。それにしても最近のほんの少しの時間で、皆自分の思いで動きやすい年齢になった。
仕事で苦しみ、親の介護、子どもや連れ合いの病気、皆それぞれ乗り越えて、また乗り越えつつある。
しかし、どうもならない先輩の今、これからの境遇に胸が詰まるばかりである。
できることは顔を見せるしかないのである。これが人生なのであろう。最後に平均すれば人生は皆公平なんだろうと考えていた時期もあったが、どうもそうじゃないなって最近思うのである。
あと10年、出来ればあと20年の間、やり残すことなく生きたいと思うようになった。私も相応の年齢になったのである。

出がけにポストをのぞくと東京から手書きの葉書が届いていた。
なんて事は無い内容なんだが、文字から文面から相手の気持ちが伝わる。
やっぱり手書きがいいなと思うのである。
青い空と真っ白な雲を仰ぎ見て先輩と自分の短き半生を思う。
やってもやらねどもどうせ一度は死ぬ人生、同じ人生ならば、やはり思ったことをやって生きていこう。
そう先輩も私の背を押してくれているような気がするのである。

八尾の青い空と真っ白な雲はあの時の東京の空と変わらないような気がした。

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