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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2022年7月の記事一覧

夏の雨の記憶

金曜日の夕方、稽古に向かう途中、急な雷雨に出会いました。 すぐに道着に着替えるこんな雨は何も気になりません。 大阪で仕事を終えて母のいた愛知のグループホームにへ向かった頃を思い出しました。 私は雨男じゃないと思うのですが、なぜか電車で母のもとへ向かうと雨が多かったように記憶します。 JR飯田線小坂井駅から母のいるグループホームまで雨のなかを歩きました。 びしょ濡れになり到着すると、母は部屋で休んでいました。 施設のドライヤーをお借りして濡れた衣類、荷物を乾かします

夏の京都はやはり暑かったという話(太郎の青春 京都編)

太郎は酷暑の京都を炎天下、ひたすら自転車のペダルを漕いでいた。 過日、ここで心筋梗塞で倒れた先輩のことを書いたが、実はその人生の先輩は放置竹林整備のNPOの理事長。 面会の出来ぬまま退院し、翌日から現地に出てきていると言うから行ってきた。 いつもは最寄り駅まで理事長が車で出て来てくれていた。 今日はそんなわけにいかず駅のレンタサイクルに乗った。 電動アシスト付き自転車に初めて乗ったが、一言で言えば快適であった。 事故の起こりそうな原因も分った。 NPOの事務所に行くのに京

夏にハガキを書き思うこと

もうずいぶん長い間、カバンに必ずハガキと万年筆を入れています。 ハガキ、手紙をよく出します。 亡くなった母のアルツハイマー症がスタートした時、少しでも脳のトレーニングになればと思い書き始めました。 兄が施設で生活を始めて寂しい時もあるだろうと思い、兄にも送り出しました。 兄は今、毎週楽しみにしているようです。 三人姉妹一人残った東京に住む母の姉と台湾の母の黄絢絢にも忘れません。 思いついた時にいつでも書けるようにカバンに用意しておきます。 でも、この熱く湿度の高

夏の通天閣

これが夏に私がいつも目にする風景である。 社会人になるまで大阪には縁は無かった。小学生の低学年の頃、兄の診察のため朝早くから車で愛知から連れ出され、兄の診察中の数時間を父と『なんばウォーク』で過ごした。それ以外二十数年間大阪も含めた関西には一切縁は無かった 大学進学も東京に目を向け関西には目を向けることは無かった。 なのに人生は不思議なものである。 ゼネコンでの振り出しは生まれて初めての京都の地であった。 その晩にタクシーで八坂神社の鳥居の元まで乗り付けて私のサラリーマン人

夏の朝

朝の少し冷たい空気に触れ 少しだけ得をした気持ちになる まだ誰も目覚めてない そう思うのは私だけ 二十四時間地球は回り いつもどこかで誰かが笑い泣き そして、生まれ死んでいく そんなことは分かっているが 今、ここで、この時間、 一人の私はなにか得をした思いになる ああ、どこかでこんな気持ちになったことがある 子どもの頃、母に早起きは三文の徳と教えられ 行ったラジオ体操の朝の空気の清々しさである 寝ていればただ過ぎていくこの時間 私の朝、私の時間は流れていった 昨日7

わが家の猫への節電協力要請

さて、物の値は上がり、エネルギーにおいては値上がりばかりか枯渇の懸念まで生まれています。 国からの協力要請もあり、どの企業、ご家庭でもこの夏は節電を真剣にお考えなのではないでしょうか。 さて、わが家は、正確に言うと二年前まで住んでいたわが家はトラとブウニャンが元気に飛び回る猫の家でした。人間の都合で家猫にした二匹を一部屋に閉じ込めることも出来ずどの部屋のドアも開けっ放しか、二匹が行き来できるくらいをいつも開け放していました。 前の家は10年前の新築でした。私は父の看取りや

夜更けの考え事と牛すじカレー

一昨日家に帰ってずっと一つの事を考え続けていた。 そしたら頭が痛くなってきた。 風邪でもコロナでもない。 普段使わぬ脳が疲労で出しているSOSであろう。 頭が痛いのに腹が減ってきたのはその証拠だと思う。 安売りで買った冷凍室のスジ肉でカレーを仕込む。 たぶん違う脳を使うからだろう、そんなことが疲れを癒してくれる。 私にとって料理が一番の気分転換かも知れない。 合気道の稽古よりも集中しているかも知れない。 そしてまたスイッチを入れ直して続きを考え直そうと温かく

ふと思い出したこと

菊地正夫さんのエッセイを読んでいて子どもの頃の出来事をふと思い出した。 エッセイは菊地さんが育った北海道、その自然とともに育った菊地さんの記憶である。 私の引いた記憶の引き出しはたぶん小学校の高学年、遠足に行った時の思い出である。 春だろうか秋だろうか、定かではない。 どこに行ったのか、細かなシチュエーションも思い出せない。 憶えているのはその当時は当たり前だった本当の遠足での事。 歩いた、ひょっとしたら山に登ったかも知れない。 そして、その時期には外れた暑さだった。 そし

食い物のはなし

食い物なんて表現がなんとなく下品に思われる方もいらっしゃるかも知れないが、しばらくお付き合いいただきたい。 日々口に入れる食い物にどの家のお母さん方も頭を悩まされていることであろう。 食事を作るのが私の係ではない。 我が家では特に担当は無く、気の向いた人間が調理のために立ち上がる。 食いたいものを食わんがために立ち上がる。 要は生存のためである。 元気な老人となるために動物性タンパクを摂りなさい、一日に何百グラムの肉を食いなさい。というのがあるが「どんなものか」と個人的

歳を感じたはなし

年齢のことを口にすると、先輩方に叱咤されるのでなるべく口にしないようにしているのだが、最近『アッ、』と思うことがあった。 東海道線でのこと、新大阪で京都方面行きの普通電車に乗り込むと、どこから見ても運動部の真っ黒に日焼けした高校生らしき女の子が座席に座っていた。いつも立つ同じ場所なので、何も考えずにその女の子の前に立った。すると、私の不意を突くように『どうぞ』と立ち上がった。あまりのタイミングの良さに『ありがとう』と言い私はそこに座っていた。 まだ、新大阪に停車中、自分の降

ある女の子の人生(そして、人の人生)

チィ子は小学三年生、去年の秋にお父さんの仕事の都合で隣町から引っ越してきた。 転校してからまだ友達はいない。前の学校でも友達らしい友達は一人もいなかったから「まあいいか」として、心配する母親にも嘯き毎日一人で学校に通った。 チィ子の通学路に大きな白い二階建ての家があった。そして、その二階からいつもチィ子を見下ろしている同じくらいの歳の男の子がいることに気がついていた。 チィ子は気がつかない振りをして雨の日も風の日も毎日同じ時間に大きな白い家の前を通った。七月に入り初めての夏休

逢わずに愛して

ここで何度か言ってますが、クールファイブが好きです。 前川清が好きなのですが、あの内山田洋とクールファイブが好きでした。 でもやっぱり好きなのは歌でしょう。 その中でも好きな『逢わずに愛して』は1969年のリリース、当時私はまだ小学生でした。 豊橋の小学校に転校し、兄と共に通学をしていました。 『涙枯れても夢よ枯れるな』に惹かれていたのです。 大人の色恋の歌詞だなんて知らずによく口ずさんでいました。 泣き疲れてしまうまで泣いて、涙を枯らしても枯らすことの出来ない夢って何だ

猫に教えられたなんでもないような話

明け方に近い深夜、愛猫ブウニャンに起こされる。 私が立つとブウニャンもベッドを降りる。 ああ、腹が減ってるんだなと思い一階で新しい餌をやる。 静かにカリカリを食む間にトイレに行く。 出て来ると新しく替えた水をなめている。 しばらく座ってその様子を見ていると、満足したのか私の脛をペロリとひとなめするとゆっくり二階に上がっていった。 まるで「先に行くわよ」ってな後ろ姿であった。 眼が冴え、そのまま起きる。 これまでたくさんの生き物たちと共に生活をして来た。 田舎の生活だから

早朝におもう

夜が明け、また一週間が始まった。 久しぶりに飲み過ぎて頭が重い。 昨日の朝、いつものように仕事を終えて阿倍野での稽古に向かった。 そして、午後にも他所である稽古に向かった。 所属組織での定期の稽古会、毎回違う師範が指導する。 私の指導もあった。 そんなわけで付き合いもあるが、気になる先輩の指導を見たい好奇心もある。 有意義な二時間を過ごし、誘われるがままに心斎橋の飲み屋まで行く。 そこでは人の話を聞き、考え、楽しくは流れた。 そして、法隆寺に住む仲間とともに帰路についた。