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食い物のはなし

食い物なんて表現がなんとなく下品に思われる方もいらっしゃるかも知れないが、しばらくお付き合いいただきたい。

日々口に入れる食い物にどの家のお母さん方も頭を悩まされていることであろう。

食事を作るのが私の係ではない。
我が家では特に担当は無く、気の向いた人間が調理のために立ち上がる。
食いたいものを食わんがために立ち上がる。
要は生存のためである。

元気な老人となるために動物性タンパクを摂りなさい、一日に何百グラムの肉を食いなさい。というのがあるが「どんなものか」と個人的に思っている。
私は肉は嫌いじゃない。
それこそ若い頃には毎日焼肉でもいいと思い、京都河原町九条の焼肉「はやし」に先輩に誘われると作業服で喜んでついて行き、祇園の「安参」にもよく行った。でも歳とともに今では魚がよくなり、肉は出て来れば食べる程度になっている。

今は食いたいものを身体に入れるのが一番いいんじゃないかと思い、厨房に立つようになった。
たぶんその時身体に必要なものを食いたくなっているんじゃないかと思うようになったのである。

私は百まで生きよう、生きたいなんて全く思わない。
天寿というものが全う出来たあかつきであるならば明日死んでも構いはしない。

経団連の会長時に「めざしの土光」で有名になった土光敏夫がわりと好きである。
80歳過ぎて「土光臨調」で行政改革を実行した。
公に私をいい意味で貫いた人だと思う。
食い物じゃなく生きる思いではないかと思う。
「個人は質素に、社会は豊かに」
という言葉は記憶に残っている。
こんな上司のもとで働いてみたかったと思ったものである。
そして今、この言葉を思い出す。

気が向けば魚、食いたい時に肉でいい。
と、いうことで、今晩はサバの煮つけ。
明日は餃子かな、、

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