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夏の雨の記憶

金曜日の夕方、稽古に向かう途中、急な雷雨に出会いました。

すぐに道着に着替えるこんな雨は何も気になりません。

大阪で仕事を終えて母のいた愛知のグループホームにへ向かった頃を思い出しました。

私は雨男じゃないと思うのですが、なぜか電車で母のもとへ向かうと雨が多かったように記憶します。

JR飯田線小坂井駅から母のいるグループホームまで雨のなかを歩きました。

びしょ濡れになり到着すると、母は部屋で休んでいました。

施設のドライヤーをお借りして濡れた衣類、荷物を乾かします。

母は、時々眼を開けてこちらを見て微笑みます。

こんな風景が子どもの頃にあったような気がします。

私たちが昼寝をする横で母はいつも働いていました。

私たちの着るものを繕ったり、内職もよくしていました。

もう半世紀も前のことが灰色の空から落ち続ける雨とともに思い出されます。

まだクーラーなど普及する前の時代、父の勤めていた会社の社宅の狭い部屋での日常でした。

ものは無く、でも皆に公平に明るい未来のある時代でした。

兄に障害という荷物を背負わせて世に送り出し、以来気の休まることは無く走り続けて来た母が安堵出来た時間だったのかも知れません。

誰でも失敗や過ちはあるものです。

悔いることは必要でしょう。

でも、過度な悔みは時間の無駄です。

前を向いて歩くべきです。

いつも生乾きの靴下を鞄にしまい裸足で革靴を履いて母のもとから大阪へ戻りました。


稽古が終わると雨は止んでいました。

少し涼しくなるどころか重い湿った空気はそのままで熱い夜をかき分けるようにして天王寺駅に向かいました。

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