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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2021年12月の記事一覧

新年はトラ年ですね、みなさんお世話になりました!

大晦日、これまでいろんな大晦日を迎えたが楽しい記憶は子どもの頃だけである。子どもの頃は『もうういくつ寝ると、お正月 ♪ 』と素直に迎える正月を楽しみにする自身がいた。母はせわしなく年明けの準備をし、父は朝から家にいて、何とはなしに浮かれた雰囲気になる家の中が好きであった。 社会人になってからは、私と連れ合いの実家に帰ることは当たり前のことになっていて、車に連れ合い、息子の二人を乗せて年末続いた飲み過ぎの疲れも同乗させて愛知・三重を移動した。行く先々では飲み、食い、気を遣い

大晦日を前に二日酔いでおもうこと

ああ、なんてことであろう。 大晦日を前にして二日酔いである。 今日という今年残された大切な一日を前にいろいろやることを頭に描きつつもまた二日酔いである。 久しぶりに会った男と思いながら、久しぶりに行った店と思いながら、飲み過ぎるまで飲む必然性はまったく無かったのであるがまた二日酔いである。 こんなのを人間の性というのであろうか。 ここまで生きてきた中でどれだけ同じような思いをしてきただろうか、まったく学習能力が無いと反省する。 しかし、呑んでいた時間は鮮明に記憶する。 私よ

年の暮れにかんがえた、年功序列

昨日の日曜日、合気道の稽古納めの日であった。 こんな時期でなければ近くの中華屋あたりで、皆で円卓を囲んで納会といきたいところだがここはまだ一つ我慢のしどころだろう。 ご自身の家庭を持つ皆さんとともに稽古する以上、私には責任がある。 皆さんにご挨拶申し上げてとぼとぼ帰る道すがら長く稽古を休んでいた先輩とばったり会った。 わざわざ挨拶に来てくれたのである。 ならばと、二人で久しぶりに立ち飲み屋に寄った。 大阪は酒飲みに優しい町である。 陽の高いこんな時間から飲み屋は店を開けて

消えゆく砂漠の夢、そしてクールファイブ

先日に引き続き唐突ですが、クールファイブが好きです。 前川清のあの渋い声と背筋の伸びた姿勢が好きです。 京都祇園のクラブで『中之島ブルース』を歌っていたら、大阪支店に転勤となった私です。 子どもの頃から砂漠の国に憧れていました。 何も無いところに行きたかったのです。子どもながらに自分が置かれている環境にやるせなさを感じていたのだと自己分析をしていました。砂漠にいる夢もよく見ました。でも嫌ではありませんでした。 最近、インターネットで砂漠の真ん中にあるオアシスの写真を見てそ

椿のいさぎよさ

先々週、愛知県田原市まで兄貴をたずねて行ってきました。 大阪から新幹線です。 今の流行り病は関係なく、こだまに乗れば新大阪から豊橋までほぼ貸切り状態の車両に揺られて毎回私の自由時間はスタートします。 見慣れた車窓からの風景はいつも私の慰めでもありました。 JRから表彰を受けてもおかしくないくらい新幹線を利用しています。 いつも車中では実家の両親兄貴の看病や介護を考え、時には心が潰れるような決め事も流れる景色を見ながらしてきました。 サラリーマン時代にはこれもややこしいやり取り

クリスマス・イブも関係なく、時には一人で居たい場所

唐突ですが八代亜紀が好きです。 八代亜紀の唄が好きです。 この時期よく『舟唄』を口ずさんでいるかも知れません。 歌詞がいいですよね。 阿久悠です。 阿久悠がこの世に残した言葉が好きです。 ♬お酒はぬるめの 燗がいい  肴はあぶったイカでいい  女は無口な ひとがいい  灯りはぼんやり 灯りゃいい このぼんやり灯る灯りが好きです。 このまま灯りに吸い込まれてしまいたいのですが、稽古です。 またの機会にしましょう。 最近は一人がいいですね、こんな場所は。 もしくはこの時だけ

クリスマス前に梅田に沈没

夜勤を明けてその足で心斎橋まで。 いつもお世話になる先輩に挨拶に伺った。 自営のご商売、古希を迎えいつまで続けるか分からないとおっしゃる。考えれば私もとうに還暦を過ぎ、世話になった先輩方が隠居を迎える年齢になるのは当たり前のことである。 流行り病はどこへ行ったのか、 そろそろミナミへ繰り出すぞ、とのお誘いだけ受けて昨日のところは引き上げた。 帰って二時間ほど仮眠した。 梅田で夕刻待ち合わせであった。 NPOの理事長、もとは役所にお勤めの方、20年も前に立場も高収入も投げ

クリスマスが来る前にちょっぴり驚いたはなし

長く生きて来れば誰しも一つや二つ驚くような経験をしてきたことであろう。 私も漏れることなく仕事や家族のことでいろんな驚く経験をしてきた。 今からここに綴るのは、そんな気の滅入るような話ではない。 つい最近、いや昨日、ニューヨークにダイソーが進出していることを知って意外だった。 しかもそこで愛知県出身の『しるこサンド』が売られているという。 これにはちょっぴり驚いた。 甘いものが子どもの頃から得意ではない、食べれないことはないのだが、金までは払って食べたいと思わないのだ。

クリスマスが近づき思い出す、まったく関係ない『鮫』のはなし

クリスマスの近づくこの時期、それとは関係なく営まれ続ける様々な『生』があります。 『環世界』って言葉をご存知でしょうか。 人間は自身の持つ五感を当然のものとして自身を中心に物事を知覚して考え、自分達の価値観で周りの世界を決めつけようとします。 しかし、地球上の生物で五感や第六感まで駆使して活動しているものばかりではないのです。動物や昆虫達をよく見ていると私達のそれとは違うことを感じる事が出来ると思います。それぞれの持てる知覚のみで作り上げる主観的な世界が『環世界』です。 そし

クリスマスは関係なく、高齢者の転倒事故について、そして企業の経営姿勢

ニュース解説で高齢者の転倒事故の多さを伝えていました。 私はこれを聴いた瞬間にゼネコンでの営業マンをやっていた頃を思い出していました。 1997年に介護保険法が制定され、世の中が高齢者介護に関わるビジネスに動き始めた早い時期に、営業先の大阪の住宅機器、建材も扱う電機メーカーが高齢者介護事業に乗り出しました。 大阪門真に出来た第一号施設を見学に行った時に担当の方から、当時先駆けのバリアフリーの難しさをお聞きしました。 フラットな床で転倒事故があったのです。 高さは同じであって

豊橋の空

兄貴の顔を見にやって来た豊橋の冬空は相変わらずの抜けるような青空だった。 新大阪から豊橋までの『こだま』はJRに申し訳なくなるほどの乗車率、寝過ごすわけにはいかずKindleの坂口安吾を眼を見開いて読んで行った。 着いた豊橋駅はだんだん元気が無くなっている。 兄貴のいる隣接田原市にはトヨタの工場の他、何社もの大企業の生産施設が埋め立て地に進出していて、そこへ行く通過地点の豊橋市が寂れてしまうのが不思議である。 人口減少がその原因であるならば、これは日本全体の問題である。

豊橋ステーションビル

小学生四年の秋から中学生三年の冬まで愛知県豊橋市に住んでいた。 豊橋駅の西口、駅の裏側に住んでいた。 でもそこは誰もが想像する場末の飲み屋街が連なるような駅裏とは違った。 少し歩けば落ち着いた住宅地、駅まで徒歩5分の便利な場所であった。 新興住宅地ではない徐々に人が住みつき広がっていったような、商住混在のあまりに住宅地らしさばかりで納まってなかったのが落ち着いた理由なのかも知れない。 それまで豊橋で買い物をしようと思ったらバスで出てこなければならず、私と兄にとっては夢のよう

雨のスーパーでかんがえたこと

先日の冷たい雨で濡れた空気は私の乾き切った喉を癒してくれた。 気が向き、久しぶりに近所の大型スーパーへ行ってみた。 閑散とした店内は平日ということもあるのだろうが、それ以上に雨の影響が大きいのだろう。 いつもは混み合うレジの女性方は暇そうにしている。 こんな日は時間が経つのが遅く、帰ってからの子どもたちや旦那の晩ごはんの仕度の事で頭はいっぱいなのだろうか。 時間の経つスピード感はその時の環境や精神状態で変わる。 同じ空間にいて同じ時間を過ごしていても客と店の人間と

『勘』のはなし

合気道の稽古をしながら『勘』の良い、悪いをよく考える。 『勘』は経験とその経験の結び付きから来ると思う。 それも生きてきた全てにおいての経験から来るのではないだろうか。 その事と関係ない経験も含めて、という意味である。 はじめてのある事をする時、脳の記憶の引き出しを全て引き、そこから少しでも関係することは全てつなぎ合わせて想像力を膨らませて解決策を導き出しているように思う。 それが『勘』なのではないかと思う。 時には間違った引き出しの中身を繋ぎ合わせることもあろう。 それ