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豊橋の空

兄貴の顔を見にやって来た豊橋の冬空は相変わらずの抜けるような青空だった。

新大阪から豊橋までの『こだま』はJRに申し訳なくなるほどの乗車率、寝過ごすわけにはいかずKindleの坂口安吾を眼を見開いて読んで行った。

着いた豊橋駅はだんだん元気が無くなっている。
兄貴のいる隣接田原市にはトヨタの工場の他、何社もの大企業の生産施設が埋め立て地に進出していて、そこへ行く通過地点の豊橋市が寂れてしまうのが不思議である。
人口減少がその原因であるならば、これは日本全体の問題である。
行政としてこの豊橋の強みを前に押し出して前に進まねばならないであろう。
この流行り病を境に変わった企業人たちの勤務形態で、私は東京、大阪へのベッドタウンでも可能な場所だと思うのだが、、、

愛知の名酒『蓬莱泉』の故郷、愛知県北設楽郡設楽町に源を発する豊川(とよがわ)は、トンネルの数の多さで知られているJR飯田線とともに南下し、長篠城址を横目で見ながら豊川市、豊橋市へ流れ込む。
肥沃な豊橋平野の農地を作り、家康の時代、それ以前から豊穣の地である。

日本全国どこでも無償の空気や、選ぶことの出来ない水道水の良質さ、自然の豊かさや気候は子どもたちの成長に、人間形成に大きく影響を与えると思う。
毎日が晴天の太平洋岸気候を好まぬ人間は少ないと思う。
大阪から新幹線で豊橋に向かう途中の、琵琶湖の向こう岸や米原当たりのほぼ裏日本のこの時期の気候と対照的である。
子どもの頃、北陸支店から転勤でやって来たご一家の奥さんが母との会話の中で「毎日布団の干せる晴天が嘘のよう」と言っていたのをいつも思い出す。

誰もがあまり意識していないと思うが、たまたま生まれた場所によって人生の損得があるように思う。
何を主に考えるかでその損得も変わるように思うがそれもあまり皆考えないことであろう。

兄貴の生活する愛知県田原市も抜けるような青空が広がっていた。
こんな場所で兄貴が生涯を送るのであれば私は安心なのである。

この地平線の向こうは太平洋、白い砂浜は続きその先には『恋路が浜』がある。
「名も知らぬ 遠き島より 流れよる 椰子の実ひとつ」の島崎藤村の抒情詩の舞台でもある。

あのお笑いコンビ『オアシズ』の光浦と大久保はこの田原市出身、この青空を見てあのように育ったのであろう。
やはり、気候風土は人間の生育に無関係ではないように思えるのであった。

豊橋にはまだチンチン電車が健在です。

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