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『勘』のはなし

合気道の稽古をしながら『勘』の良い、悪いをよく考える。
『勘』は経験とその経験の結び付きから来ると思う。
それも生きてきた全てにおいての経験から来るのではないだろうか。
その事と関係ない経験も含めて、という意味である。

はじめてのある事をする時、脳の記憶の引き出しを全て引き、そこから少しでも関係することは全てつなぎ合わせて想像力を膨らませて解決策を導き出しているように思う。
それが『勘』なのではないかと思う。

時には間違った引き出しの中身を繋ぎ合わせることもあろう。
それは勘違いだ。
仮に失敗しようとも、それは経験となる、その経験を脳と心の引き出しにしまっておけば次から同じ失敗はしないだろう。
素直に失敗を認めて次からに活かせばいいのだと思う。
それも『勘』の良さにつながると思う。

『勘』のいい人間に先を走ってもらい追随するのもいいかも知れない。
先人の知恵や経験は大事だと思う。
備えられた『勘』の良さがあれば有り難いだろうが、実際の経験で訓練することで備わることがほとんどで、最初から備わっている『勘』は無いように思う。
いろんなことを繰り返しやってるうちに『勘』は鍛えられることであろう。

合気道の新しい技を覚える時でもそうである。
実は基本の動きの組み合わせであって、あとは相手の身体の骨格がどうやればどの方向に動くかを考えればいい。
まずは身体を動かす、自身の足らぬを考える。
考え抜いて、また身体を動かす。

合気道での『勘』の良さはそんな中で養われていくように思う。

さて、今晩は稽古です。

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