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日々考えることのはなし

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毎日考える何か、何かが引き金になり考える何かを綴ってみました
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2021年7月の記事一覧

暑中見舞い申し上げます

昨日は休み、半年ぶりに会う男と難波で酒を飲んだ。 暑さは少しましであった。 にもかかわらず、私の知る難波の活気は無かった。 遅れている大阪のワクチン接種が影響しているのだろうか、それとも連休明けでみんな仕事にいそしんいるのであろうか、と二人で会話しながら眠眠で餃子を食い、正宗屋でカステラをつついた。 でも、年々異常さが常態化するこの夏の暑さ。 本来ならばこの時期にしかできない野外での活動も阻害し、その熱さに拍車をかけるように流行り病は、今なお合気道の稽古もしにくくさせる。

些細なけつだん

いつもいろんなことを考えている。 誰もが同じだと思う。 そのいろんなことは、何かのタイミングでチャンネルが変わり、考える中心やコンテンツが変わる。 その時はアイドリングしていた考えが動き出すようなそんな感覚を持つ。 考えは止まったままではおらずに常にアイドリングしており、ひとりでに進んでいることが多い。 三十歳、ゼネコン営業一年目での上司に受注目標物件を期中受注物件を中心に中長期物件まで複数仕込むようにと教えられた。 同時に複数の事案を考え進める訓練を受けた。 そして一人

創造的破壊

まだゼネコン営業マン駆け出しの頃に『創造的破壊』っていう言葉が流行った。 いい言葉だなと思ったけれど、毎回の営業戦略会議で大の大人を涙させるような営業担当の副支店長がよく口にする言葉だったから耳をふさぎたくなった。 そんなことってあると思う 強いイメージを持った人間が発するためにその言葉が持つ本来の意味が損なわれてしまうようなことが。 久しぶりに梅田で昼から酒を飲むことになり八尾からJRで大阪駅に向かった。 久しぶりに新今宮駅を通過すると星野リゾートのホテルはその異形を現

酒を飲むじかん

男の言い訳ではあるが、仕事のストレスで飲まなければ帰れなかった時期があった。 仕事を引きずって帰るようで、家でまで酒を飲むことはなかった。 本来酒は楽しいものであって、心に余裕が無ければ飲むものではないと今は思うようになった。 そうでない時の酒はカラダに悪いし、酒に失礼だ。 今は料理をする時に飲む酒がいい。 楽しい事と楽しい事の取り合わせであろうか。 あとは仕事が終わって深夜に一人少しだけ飲む。 この時は考え事か、好きな本をながめる、ラジオを聴く。 これも楽し

猫を見ていておもうこと

私の猫のすきなところ。 猫には必ずこの時間にこれをするというルーチンは無い。 腹が減れば飯を食い、眠くなれば眠りにつく。 寝る場所やお気に入りの定位置にも必ずの決まりは無く時々変わる。 気候、大きくは気温が関係したり、その時のブームがあるようだ。 集団で生きない猫であるから可能なのでもあろうが、ある意味非常に合理的な気ままさである。 生態を観察したわけではなく、想像の上でのことだが野良猫はもっと合理的に生きているのだと思う。 敵は同じ野良猫や動物ばかりでなく、人

雷とミートソースやきそば(その3)

雷雨の深夜、おじさんが軽自動車で迎えに来てくれた。 私が東秋留駅と西秋留駅を間違えていたのだ。 ちなみにこの西秋留駅は現在秋川駅となっている。 おばさんが今住むあきる野市は市町村合併前で、この頃はまだ秋川市だった。 この時、おばさんの新居には二泊させてもらった。 あくる日、学校で栄養士の道子さんは夏休み、私を連れて銀座まで出かけた。 洗ってもきれいにならないTシャツと革のサドルの黒がその形で染み込んだ短パン、顔も手足も真っ赤に日焼けし「恥ずかしいからいいよ」という私に「男の

雷とミートソースやきそば(その2)

東秋留のおばさん一家はあきる野市に引っ越すまで、品川区戸越の木造共同住宅に住んでいた。 母と兄と三人でそこによく世話になった。 兄貴の都内の病院巡りのためだった。 六畳一間、トイレは共同、なぜかいつもおばさんが掃除をしていた。 いつもきれいな和式便所だった。 その時ぶら下がっていた黄色の芳香剤の匂いを今でも覚えている。 六畳間におばさん家族は四人で生活しており、そこへ母と兄、私の三人が転がり込むのだ。 おばさんも、後に栄養士となった道子さんも料理が上手で賑やかな夕食は楽し

雷とミートソースやきそば(その1)

梅雨の終わりを告げたいのか、まだ夜の明けきらぬ空が吠え、雷が光る。 明け方、ウトウトしながら思い出していた。 昭和51年1976年、高校一年の夏休みの最中、私は東京都あきる野市近くで雷鳴が轟くなか、雨に打たれ自転車を走らせていたことを。 高校はどこでもよかった。 とりあえず何かがあればすぐに帰れる場所がいいと思い、親にはそんなことは言わずに自転車で通学できる公立の新設校に入学した。 目標も夢も持たない高校生だった。 新設校のパンフレットには武道場があり、柔道部と明記もさ

子どもの頃、山にのぼったこと

アルプ・スナフキンさんの記事を読んで山登りに憧れている。 愛知県豊川市に本宮山(ほんぐうさん)という標高789メートルの山がある。 卒業した地元の高校の校歌にも歌われていた。 緑豊かな田畑の続いた先にある三河富士とも呼ばれる端正な形をした山である。 連なる山々の先は南アルプスに向かう。 子どもの私たちにでも自転車で登山口まで行けるこの山に何度も登ったことを思い出した。 現在、市町村合併で豊川市となった旧宝飯郡一宮町に砥鹿神社(とがじんじゃ)という立派な神社があり、その奥宮

夏の始まりのきおく

令和3年7月11日日曜日、大阪の郡部で仕事を終え、朝を迎えた。 前日の雨は上がり、蝉の鳴き声が聞こえる。 まだ梅雨明けは先であろうに乾いた空気もそれを感じさせる。 早いものであと二週間もせぬうちに東京オリンピック・パラリンピックが開催されるらしい。 子どもたちには楽しみの夏休みはいつも通りにやって来るのであろうか。 これまでの流行り病への対応の変則授業でいつのも夏休みとは違うのだろうか。 私にとって7月20日は特別だった。 とにかく夏休みは7月20日に始まるものであった。

いつものわかれのように

大学の同級生から連絡があった。 10年ぶりくらいだろうと思う。 大学時代の付き合いは、ほぼ体育会の連中か、合気道の関係ばかりの中、珍しく在籍していた人文学部の友人である。 当時、私には悪い癖があり、どんなに酔っ払って帰っても必ず本を読んで寝ていた。 その晩は、彼に借りた三島由紀夫の『実感的スポーツ論』を開いた、そして珍しくもどしてその本を汚してしまった。 その本は返しそびれたまま、まだ借りっぱなしで私の書棚の片隅にある。 『元気にやっているか?』とのメールであった。 『元

また会う日のためのわかれ

自身の年齢を感じることが増えてきた。 体力は落ち、酒は弱くなり、食べる量まで減って来た。 こんなことが加齢なのかと実感するのである。 しかし、私に一番それを強く感じさせるのは訃報である。 皆が平等に年齢を重ねるのだから、当たり前のことではあるが。 ゼネコン時代に一番世話になった大先輩の訃報がやって来た。 京都営業所時代に言葉で表現できないほど世話になった方であった。 ご苦労をされてきたから人の気持ちがわかる、そんな見本みたいな先輩だった。 多くを語らないカッコいい人だった

つづく雨で思うこと(私の木枯し紋次郎 考)

関西では雨が続いている。 降れば大雨、吹けば大風、台風は巨大化し、地震も頻発する。 いつからこんな日本になったのだろうか。 永い地球の歴史の中では誤差の範囲と言う専門家もいるが、誤差の中に巻き込まれた人たちはたまったもんじゃない。 今回の雨で、また多くの方々が被災されたことに、深くお悔やみとお見舞いを申し上げます。 雨が降らねば困る、雨が降らねばならないことは理解するが、続く雨は好きではない。 こんな時いつも『木枯し紋次郎』のある回を思い出すのである。 やはり自身を変わ

雨の七夕にかんがえたこと

毎年この七夕は曇天、もしくは雨天のような気がする。 梅雨明け間近な微妙な時期であり、晴天でなくともおかしくはない。 迷惑なのは、織姫と彦星のラブロマンスを教えられた子ども達ではないだろうか。 短冊に思いを書き笹に結び付け、天の川を見上げてもそんな夢ある出来事がなかなか現実と化すことがないのだ。 父の故郷、長野県飯田市の中でも南側の山村、祖母が寝たきりとなり看護師であった母にその看病の順番が回ってきて、ずいぶん長い間、私と兄は母に連れられて山村の少年と化したことがある。 母