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雨の七夕にかんがえたこと

毎年この七夕は曇天、もしくは雨天のような気がする。

梅雨明け間近な微妙な時期であり、晴天でなくともおかしくはない。
迷惑なのは、織姫と彦星のラブロマンスを教えられた子ども達ではないだろうか。
短冊に思いを書き笹に結び付け、天の川を見上げてもそんな夢ある出来事がなかなか現実と化すことがないのだ。

父の故郷、長野県飯田市の中でも南側の山村、祖母が寝たきりとなり看護師であった母にその看病の順番が回ってきて、ずいぶん長い間、私と兄は母に連れられて山村の少年と化したことがある。
母は生まれた時に実母を失っており、父の母の面倒を看ることは嫌でなかったと晩年言っていた。
祖母も母のことが好きだったようだ。
祖母は元気な頃、一人で飯田線に乗って愛知県豊川市の当時私たちが住んでいた父の会社の社宅にやって来て、しばらく滞在していたことをかすかに憶えている。
狭いが落ち着く末息子の家だったのだろう。

しばらくの間の山村の少年となった兄と私にはそこでの友だちは出来なかった。
出来ないのは山の中の一軒家であったからで、隣は見えたが遥か彼方の向こうのその先であった。
景色がきれいならば、空気もきれい、もちろん川の水もきれいで私たちは川や池の小動物をつかまえ、沢蟹やゲンゴロウ、タガメを図鑑以外で初めて見たのだ。
ゲンゴロウやガムシをタライに一杯つかまえたが、翌朝全部飛んで逃げていなかった。
まさか水中の生き物が飛ぶなんて思わなかったのだ。
自然のなかに、人間の教師はおらず自然全てが私たちの教師だったのだ。

夜空の星もそうだった。
それまでも、とりたてて星の観察をしたことはなかった。
二十四時間看病の母はいつも疲れていた。
そんな母を夜中に起こしてトイレに連れていってもらった。
家の外にある汲み取りのトイレである。
電気など無かったと思う。
こわくて子どもが一人で夜に行けるような場所ではない。
母も疲れてしんどかったのだろう、ある晩部屋の窓を開けてそこから畑に向けてしなさいと言われたことがある。
そのことに関してはなんの罪悪感も持ってはいないのだが、夜空がきれいで驚いた。

緑がきれい、水がきれい、空気がきれい、そして夜空の星がきれいだった。
満天の星の中、母に教えられなくとも天の川はわかった。
うるさいほどの星の数、星が音を立てる、という表現もよく理解できる。
人工衛星もチカチカと夜空を横切っていった。
流れ星が上から下へではなく、下から上へも、右から左へも、左から右へも縦横無尽に行き交っていた。
それを見て地球の存在が分かった。
宇宙における地球の立ち位置が理解できた。
織姫と彦星のラブロマンスなんて頭には無かった。

今考えれば二人を思い、そんな思いを持って天の川をながめてみればよかった。
こんな話をしていると、「雲の上だから私たちに見えないだけ、いつでも逢ってるかも」と言われた。
満天の星空をキャンバスに縦横無尽に飛び交う流れ星を見た時のように腑に落ちた。

しかしながら、当時の私はまだまだ子ども、小学校にあがる前の当時流行った『シェ―』の得意な子どもであった。

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