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雷とミートソースやきそば(その3)

雷雨の深夜、おじさんが軽自動車で迎えに来てくれた。
私が東秋留駅と西秋留駅を間違えていたのだ。
ちなみにこの西秋留駅は現在秋川駅となっている。
おばさんが今住むあきる野市は市町村合併前で、この頃はまだ秋川市だった。

この時、おばさんの新居には二泊させてもらった。
あくる日、学校で栄養士の道子さんは夏休み、私を連れて銀座まで出かけた。
洗ってもきれいにならないTシャツと革のサドルの黒がその形で染み込んだ短パン、顔も手足も真っ赤に日焼けし「恥ずかしいからいいよ」という私に「男のくせに何言ってるのよ」と本当にケツを叩かれ資生堂パーラーに入ったのを覚えている。
なんだか場違いを感じつつもオムライスをごちそうになった。
美味しいオムライスだったのだろうが、味は記憶には無い。
後日、道子さんと話すると「あの時、君は遠慮してオムライスしか受け付けなかったのよ」と言われたがそれも記憶には無い。

たぶん、生まれて初めての銀座だった。
キラキラ輝く街だった。
私はその時もミートソース焼きそばを思い出していた。
銀座でも、戸越銀座に行きたかったのである。

道子さんは、きっぷのいい男前の姉さんだった。
考えれば酒を飲まないのに、私が成人しないうちからいつも酒を勧めてくれた。
弟のようにかわいがってくれた。

そんな道子さんは二年前に急な病気で他界している。
そんなものである。
もうあのミートソース焼きそばは食べることが出来なくなってしまったのである。

この歳になり痛感している。
やりたいことは出来るうちにやっておこう。
そう思うようになった。

道子さんの家で世話になり、一路、山形県南陽市に向かった。
国道4号を走るのは、ただただ熱かった。
福島から山形に抜けるあたりにトラックの桃の路上販売を見つけ、財布と相談し、氷水で冷えた桃を一つ買い食べた。
驚くほどの甘さとみずみずしさに驚き、再びペダルを踏む足に力が入った。

母の実家では常識外れの私の旅行に驚きながら歓待してくれた。
三日ほどの滞在中は最盛期のブドウ畑の作業を手伝い、夜は蔵王温泉で真っ赤に焼けた肌を癒してくれた。
遠縁の宿屋には摘みたてのデラウェアを持って行った。
一箱は遠縁の宿屋のご主人に、一箱は風呂上り皆で食べた。

国道4号から見渡すその時期の南陽市赤湯の風景は風にたなびく広がる水田の緑の向こうに背の低い山々が控える。
その山々にはブドウ畑が張り付く。
種類と、樹の年齢でその色は微妙に違う。
盛夏の強い陽の降り注ぐ緑色だけのパッチワークは美しいという表現しか私の頭には浮かばなかった。



ここまでが私の自転車旅行の往路です。
往路でミートソース焼きそばの話は終了してしまいました。
片道7日間、途中滞在5日間くらい合計20日間くらいの旅でした。
若さゆえ無謀な山間部のルートを選択して復路は続きます。
またいつの日にかその復路の話にもお付き合い下さい。
愛知に向けて山の中を走り喜多方、猪苗代湖、奥只見ダム、田子倉ダム、十日町、長野市善光寺、白馬村、安曇野わさび農園、松本城、諏訪湖、駒ケ根、飯田を通って帰って来ました。
今思えば、過酷な無謀な自転車旅行でした。




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