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雷とミートソースやきそば(その2)

東秋留のおばさん一家はあきる野市に引っ越すまで、品川区戸越の木造共同住宅に住んでいた。
母と兄と三人でそこによく世話になった。
兄貴の都内の病院巡りのためだった。

六畳一間、トイレは共同、なぜかいつもおばさんが掃除をしていた。
いつもきれいな和式便所だった。
その時ぶら下がっていた黄色の芳香剤の匂いを今でも覚えている。
六畳間におばさん家族は四人で生活しており、そこへ母と兄、私の三人が転がり込むのだ。

おばさんも、後に栄養士となった道子さんも料理が上手で賑やかな夕食は楽しかった。
そして夜は、本当に雑魚寝である。
でもカラダの小さな私はいつも布団の出払った押し入れに寝かせてもらえた。
そこから自宅では決して観ることの無い大人のテレビドラマをみた。
キーハンターの千葉真一も野際陽子も当たり前だが若かった。
いつも最後まで観ることはなかったが、普段ならば決して入ることを許されない大人の世界に入り込んだような、豊川の自宅では感じることの無い幸せの中、眠りに落ちていった。

毎日母は兄を連れて朝早くから出かけた。
足手まといで置いていかれた私をおばさんも道子さんも不憫に思ったようだ。
母が作れない料理を食べさせてくれ、飲む事のなかったジュースを飲ませてくれた。
生まれて初めてコーラを飲ませてもらったのもこの時、トマトケチャップのかかったオムライスもこの時初めて食べた。

そして、ある日道子さんが戸越銀座まで買い物に連れていってくれた。
愛知県豊川市で見たことの無い商店街、歩く人は多く、賑やかで見たこともない店がたくさん並び楽しかった。
その帰りに食べさせもらったのが『ミートソース焼きそば』なのである。
どんな店だったか覚えてない。
大阪のお好み焼き屋のような所だったのか、普通の定食屋だったのか。 
その時妙に大人に見えた小学生の道子さんがいつも頼んでいたのであろう。出てきたのはこれまた生まれて初めて目にしたミートソースのかかった焼きそばである。
実はミートソースも初めて食べた。
ミートソースは美味く、ミートソースのかかった焼きそばは、この世の物と思えないほど美味かった。

でも、私はこの時分かっていた。
私を気遣うおばさんが道子さんに私の気晴らしに戸越銀座商店街まで行かせたことを。
初めての楽しい雰囲気での食事ならば何を食べても美味かったかも知れない。
でも、このミートソース焼きそばでなければ私は今まで記憶に残すことは無かったと思う。
実はこれまで何度もこのミートソース焼きそばを作ったが、納得した味になったことはない。
あの時の、あの状況設定が一番だったのだ。

40年以上前、雷雨のシャワーを浴びながら、自転車を漕いで、そんなことを思い出していた。


続きはまた明日にします。

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