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また会う日のためのわかれ
自身の年齢を感じることが増えてきた。
体力は落ち、酒は弱くなり、食べる量まで減って来た。
こんなことが加齢なのかと実感するのである。
しかし、私に一番それを強く感じさせるのは訃報である。
皆が平等に年齢を重ねるのだから、当たり前のことではあるが。
ゼネコン時代に一番世話になった大先輩の訃報がやって来た。
京都営業所時代に言葉で表現できないほど世話になった方であった。
ご苦労をされてきたから人の気持ちがわかる、そんな見本みたいな先輩だった。
多くを語らないカッコいい人だった。
先輩は京都に単身赴任、私は半単身赴任状態。
毎晩酒を飲み、好きなように仕事をやらせてくれた。
信頼感を感じれば、いい加減な仕事なんか出来はしない。
だから、体を張り、頭を使い、心まで使い仕事をした。
そんなことを教えてくれた大先輩だった。
先を見抜き、非情に思えるまで判断力の早く厳しい方だった。
この『ほたるのはなし』に出てくる汚れた襦袢のおばあさんを、私は生涯忘れないであろう。
良いこと、悪いこと、清濁あわせ飲むことを教えてくれた人だったが、本当の善悪の判断に厳しい人であった。
会社を守り、社員を守り、家族を守ることが営業の仕事であることを教えてくれた。
そして、今思うのは、ずっとこの先輩と一緒にいなかったことがよかった。
別れはさらりとしたものだった、先輩はそれがわかっていたのだろう。
先輩は私にとってのカンフル剤だったのである。
人間は一人で歩かなければ本当に考えることはしない。
サラリーマンの弱点はそこにあるようにも思う。
営業マンは組織を利用して受注に結び付けるが、組織での営業は無い。
そんなことをすれば、だれも責任を取らないだろう。
責任感があるから営業マンは命を賭け、仕事は成り立つ。
守るべき組織、守るべき会社があり、守るべき愛する人間がいるから24時間365日でも働けることを教えてくれた人であった。
ビール一杯だけでも良かった、もう一度杯を交わして私の思いを伝えたかった。
「そんなことはわかってたよ、でもありがとう。」
なんて、大先輩は控えめに言うだろう。
でも、一度口に出してみたかった。
「ありがとうございました。」と。
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