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些細なけつだん

いつもいろんなことを考えている。
誰もが同じだと思う。
そのいろんなことは、何かのタイミングでチャンネルが変わり、考える中心やコンテンツが変わる。

その時はアイドリングしていた考えが動き出すようなそんな感覚を持つ。
考えは止まったままではおらずに常にアイドリングしており、ひとりでに進んでいることが多い。

三十歳、ゼネコン営業一年目での上司に受注目標物件を期中受注物件を中心に中長期物件まで複数仕込むようにと教えられた。
同時に複数の事案を考え進める訓練を受けた。
そして一人で抱えれるのは七つまでだと言われた。
この七つは私の能力にはちょうど適当な数のようであった。

その後それは続き、家の事、兄の事、合気道の事、以前は母のこと、そして仕事の事をいくつか頭に仕舞い込んでいればもう一杯である。
それらのどれかが必要に応じて一番目の順番にやって来て考え出すような感じである。
そして、一つが片付けば次が生まれている。
生きている間はずっと何かを考え続けるのだろう。

当たり前のようなこんな事をここで書くのは、最近楽しい事を考えることの楽しさに気付いたからである。
だいたいの場合、やらなければならないことは嫌な事、逃げたい事である。
そしてこれらには期限が必ずある。
手帳にその期限は記すがずっと考えるのはやめた。
楽しい事を考えている間に勝手に頭が考えてくれている。
寝ている間に脳が考えてくれている。

いや、最初から決まっていたことの踏ん切りがつかなかっただけなのかも知れない。

私の楽しい事は些細な事で、そろそろ難波千日前の正宗屋に行って魚卵と蟹味噌の『カステラ』をアテに熱燗を呑むことや、部屋の机の位置を変えて仕事をし易くしようかなどとたいした事では無い。

ただ、自分の寝言で目覚める事が時々ある。
寝ているはずの私の身体の脳の一部だけが覚醒していて、知らない間に働いてくれている。
本来、健康を一番に考えればこの生活スタイルは間違っているのかも知れない。
見直さなければならないのかもしれない。
しかし、もうしばらくは日中は楽しい事を考え、深夜私の脳の一部に活躍してもらうことにしよう。
生涯で10%しか使わない脳であるならばまだまだ酷使しても大丈夫だろうと、些細な事を思っていた。

note 仲間のおてだまさん、食にこだわりを持つ彼女が来阪時、新幹線の時間ぎりぎりまで正宗屋でカステラを突いていたと知り、ビックリ!
なおさら私の些細な決断に拍車をかけるのであった。

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