見出し画像

デザインで意識することについて

・・・

はじめに

株式会社エムハンドの岩松です。アートディレクターとして、弊社のアウトプットの品質向上に注力しております。今この時代に「どのようなデザインをすべきか」に向き合い、考えるデザインを実践するために..弊社では、デザインで意識するべき「五ヶ条」を設定しております。今回は「デザインで意識することについて」と題して、考えるデザインとは何かをディレクター視点で紐解いてご紹介させていただきます。


01. デザインの役割

今日、デザインの担う役割はこれまでになく多くなっています。広範囲のテクノロジーを習得しなければならず、条件と要求が絶えず変化する環境に備える必要があります..。デザインには大きくわけて「2つの役割」が存在します。考えるべきこと、議論に積極的に関わる機会も増えているからこそ、本当の役割にフォーカスすることを見失ってはいけません。

情緒的役割
--
信頼・誠実、力強さ、躍動、未来感など印象を形成し精神的な価値を伝える

機能的役割
--
技術的な背景と、普遍的な定石を押さえ使いやすく読みやすいUIを実現する

焦点を合わせるために..先ず何を措いても、見ることです。聴くことです..。そんな事は解り切った話だと言うでしょうが..ちっとも解り切った話ではありません。よくよく考えて見たことはないだろうと言いたいのです。例えば時計を見るのは時間を知るためだから、時計を見ても針しか見ない。椅子はどうなっているか、いつもの椅子がどのような構造になっているか実はわかっていない。見ることも聴くことも、考えることと同じように難しい努力を要する仕事だと思います。見ること聴くことを通して、今に至る情報に「役割」をもたせることが必要なのです。

02. デザインの言語化

直観や妄想からスタートし、具体的なプランへと磨き上げる。デザイナーは自分の妄想を解き放ち、それを具体的な「かたち」へと落とし込み、周囲の人を納得させるステップが必要不可欠です。途方もないビジョンを駆動力にしながらも、同時に「直観」を「論理」につなぎ、「妄想」を「戦略」に落とし込む言語化が重要です。

< 言語化における3つの思考プロセス >

1. 手を動かして考える (プロトタイピング)
子供の粘土遊びには明確なプランがないまま手を動かしアウトプットに修正を加えていく。言い換えれば「手で考えている」のだ。まずは不完全な
アウトプットを行い、それを起点に対話・内省を促していく。「発想する」だけなら、言語化は後回しになってもよいのである。

2.  五感を活用して統合する (両脳思考)
手を動かしながらプロトタイプをつくったら、一定の「言葉」に落とし込む作業も忘れてはならない。(名前をつける、キーワードを列挙するよう
な作業)「左脳 / 右脳」「論理 / 直観」「言語 /イメージ」といった2項対立を自覚的に切り替え、発想を磨き上げていく手続きが大切である。

3.  課題をみんなで解決する (人間中心共創)
具体的なイメージ(デザイン)があることによって、人と人のあいだに議論を生み、対話の場がうまれる。作業プロセスにおいて、関わる人々がコミュニケーションを図るために言語化は避けて通れない。正しい方向に進めるために「共通言語」をつくる姿勢が必要である。

03. 五ヶ条について

1. 主観で本質を捉えること

現代のような不確実性が⾼い市場環境にあっては、「そもそも何をしたい会社なのか」といった全体感が不可⽋です。そのような⻑期的⽅向づけは、細かな分析やロジックの⾜し合わせからは⽣まれないため、感性や直観が求められている。Webデザインは複数⼈の集合知を組み合わせていく(共創)のため、つくり⼿の個性や世界観の表現が制限されてしまうこともあります。「みんなでつくる」以上、「⾃分⼀⼈でつくる」ときよりも「⾃分らしさ」が失われるのは、当然といえば当然です。クライアントの問題解決をする私たちは「他⼈モード」に偏りがちである..。「⾃分モード」(⾃分が⼤切にしたいこと)を視界から消さず、共創の中に「内発的動機」を発揮しなければなりません。

< ポイント >
・案件の全体像を深掘りして、クライアントから情報を引きだす意識をもつ
・直観で捉えた企業の印象と、与えたい印象を統合してイメージを形にする
・⾃分が実現したい表現(内発的動機)をもとに実現への「筋道」をたてる
・デザインの説明・⾔語化をおこない「共通⾔語」を育てる姿勢をもつこと


2. チャレンジポイントを⼊れること

< 内発的動機が必要不可欠 >
内発的動機とは、内的で本質的な欲求によって引き起こされる⾏動のことです。⾔い換えると、個⼈の⾏動の要因となる、内⾯から湧き上がる動機づけ (モチベーション)のことです。この場合、モチベーションは、報酬や称賛など、外部からの誘因に関係なく、⾃分⾃⾝からのみ発⽣しています。内発的動機付けがあれば、内なる喜びや⽬的意識が得られる活動が⾒いだされ、業務に対する積極性が向上します。内発的動機付けの原動力は、好奇心や新しいことへの挑戦そのものです。

このサイトのこのギミックを取り⼊れたい(他にいい⾒せ⽅がないか検証して、オリジナルのものに進化させよう‧‧)
--
先⽅の要望に沿って、いいデザインに仕上げたい(もっと喜んでもらいたい..。プラスの提案をしてみよう‧‧)
--
課題解決に求められる表現にずれを感じるため、⽅向性の違う表現を織り交ぜたい(セオリーパターンと違うパターンを提案しよう‧‧)
--
トレンドのアニメーション・レイアウトをデザインに取り⼊れたい(ただのマネにならないように、この部分のデザインに時間をかけよう‧‧)
--
圧倒的なクリエイティブを実現したい(目指すべき場所を明確にして、実現するための戦略提案と予算交渉をしよう‧‧)
--
今までの最⾼傑作にしたい(プロトタイプで⽅向性に問題はないか、早めの確認、コミュニケーションを密にとろう‧‧)

内発的動機付けが原動力になれば、次にとるべき行動がみえてくるはずです。「発想」することが先にあってもよいのです。ただ不純な動機は不純な作品しかうまないのも事実です。「直観」を「論理」につなぎ、「妄想」を「戦略」に落とし込むことが大切なのです。

< 具体例 >
各工程において、チャレンジポイントを対話の中で引き出し、具体化することでデザインを育て、サイトの革新に迫ることができる。

情報を集約してアニメーションのトレンドを織り込む
サイトコンセプトとあしらいの紐づけを具体化する
レイアウトと言葉の関係性をブラッシュアップする

3. プロセスの共有を大切にすること

全体のプロジェクトを俯瞰して、①『鳥の目』②『虫の目』③『魚の目』の3つのモードを意識的に切り替えながらプランニングとプロセスの共有をおこないます。これにより、大きな視点から小さな視点で情報が絞り込まれ具体的な行動への動機付けにもつながります。この3つの『目』を意識した上下運動(濾過装置のフィルターのようなイメージ)により作業効率があがり表現においても密度をもたらします。最終的なアウトプットにおいても、クライアントのニーズを外す確率を限りなく低くすることにつながります。

< ポイント >
・『鳥の目』モードで客観的に修正するポイントを絞込み秩序を見出すこと
・『虫の目』モードでポイントにフォーカスして発案と作業をおこなうこと
・『魚の目』モードで細かい視点の微調整と視点の上下運動を繰り返すこと
・各モードのプロセス共有では、作業工程の認識を「点」であわていくこと
・コミュニケーションを進捗ごとに最適化し、デザイナー任せにしないこと

< 具体例 >
ブラッシュアップにおいても、『鳥の目』『虫の目』『魚の目』のモードで工程をわけ、上下運動を繰り返すことで密度を固めることを意識する。

鳥の目|全体を面でとらえ大枠の方向性をまとめる
虫の目|ポイントにフォーカスしてパターン検証する
魚の目|色味とレイアウトの細かな調整をおこなう

4. 質量の概念を意識すること

< 質量の概念について概略 >
バケツやコップに⽔を注ぐと、注いだ分だけバケツやコップの重さが増します。このことは、容器を変えても同様であり、⽔の量(体積)に応じて⽔の重さが変わることが分かります。また、同じ容器に⽔ではなく⽔銀などを⼊れると、同じ⼤きさの容器かつ同じ体積であるにもかかわらず、⼊れた物質によって「重さ」が異なることが分かる。このように、物の重さはその物の種類と量によって異なり、逆に同じ重さであっても異なる種類と量の物を⽤意することができます。このことから、様々な物体に共通する、物体の重さを⽀配する量が存在すると期待できる。このような役割を果たす物体固有の量が物体に働く⼒を、その物体の加速度で割った値と定義されます。

⼤⾕翔平が投げたボールと、⼀般⼈が投げたボール..。ミットに速く届くのは⼤⾕翔平が投げたボールです。 (投げた瞬間と、ミットに届く瞬間の間の線分に対して、質量に対して働く⼒が強いからです)また、受け手のキャッチャーが子供だったとき、受け手にあわせてやさしい山なりのボールを投げるはずです..。質量に対する働く力をコントロールすることが求められるということです。⼤⾕の視点でとらえると、投げたボールには奥⾏きがあります。バッターからだと時間という速さでとらえることができます。奥⾏き、左右、時間..という複数の重なりの視点が存在するわけです。

< 質量の概念をWebに置き換えると >
コンテンツ = 容器・容量|情報ボリューム・優先順位
写真・フォント・あしらい = 容器を満たす物質|質量
デザイン = 質量に働く力|出力・注意を引きつける量

様々な視点があるわけですが、構成面・デザイン面においても、 コンテンツの関係性や視線の流れ、次へのアクションなどをしっかりおさえつつ、 上下と左右・前後の奥行き、発信する側と受け取る側の線分に対して、働く力を意識的に調整することが大切です。

< 具体例 >
Webは画面という「平面」に対して、縦・横にスクロールしながら誘目性(人の注意を引きつける度合)の高いものから認識し、順を追って情報を得ていきます。 デザインを俯瞰して一枚で見た際に、上下・左右・前後にたいして質量が均等(直線がセンター)になることを意識すると、情報取得に自然な流れがうまれます。

全体のデザインを俯瞰して見るときは、現実世界に存在するグラスと飲み物の関係をイメージするとよいです。グラスに注がれたアイスコーヒーであれば、氷・コーヒー・シロップ・ミルクなど質量の違う物質・濃度の違いを、混ぜる・均等(容量における質量のコントロール)にすることで味わうということを、ごくごく自然に行っています。最終的に調和がとれていないと『おいしそうに見える』が『おいしい』にならないということです。時間の経過と共に、氷が溶けて濃度が変わる。グラスが汗をかいて机には痕跡が残る。質量が存在するポイント・時間と空間の動的並行の視点・リセット後の設計図を描いていおくことが大切なのかもしれません。アイスコーヒーひとつでも、演出(グラスが存在する空間・時間も含む)によって「質量=価格」も変動し、価値は様々に変容するのです。この考え方はデザインだけではなく、組織運営に相通じる部分もあります。容量と質量の采配みたいな話で、失敗は再現性が高く成功に必要な手続きで、某監督が退任後「高額選手」を獲得しまくって結果を残せないManchester United。野球だと映画「マネーボール」がいい例です。


5. デザインに責任をもつこと

現代において、デザインという仕事が実は部分的な仕事になっているということを認識しなければなりません。

そのため、デザインやモノづくりの全体像を考えることが必要です。ビジネスの世界では「PLAN」「DO」「CHECK」「ACT」のPDCAサイクルとして「必要なモノを考えて、それをつくり、使って、また考える」という循環が描かれる。⼀⾔で⾔えばトライ&エラーの話です。⼈類は「やってみて、その結果をふまえて⼯夫する」 という基本形の積み重ねによって、フォークの⻭を四本にもすれば、⼈間を⽉⾯に運びもした。⼩さな⼦どもが成⻑してゆく過程で起きているのも 同じことで、初めて歩けるようになるときも、⾔葉を喋れるようになってゆくときも、必ずこのフィードバックループが回っています。表⾯的な魅⼒付けではなく、仕事の成り⽴ち⽅や、構造、あり⽅を組みなおす「全体性」を回復し、「考えるデザイン」を実践すること・クライアントへの提案 を戦略的におこなうことが、⾃⾝の作業(⼯程)を責任のあるものに変えるのです。

< 考えるデザインとは >

本屋に並んでいるのは大きく分けて3種類の本

『目』を鍛える(短期的)
--
特定のデザイナーもしくはテーマのもとに図版を集めた作品集

『手』を鍛える(中期的)
--
こうすればこうできるという技法と実例が並んだハウツー本

『思想』を鍛える(長期的)
--
歴史、デザイン論、事典、対話集など⽂章がメインの本

どれかひとつが⽋けても優秀なデザイナーにはなれない..はずだが、今、インターネットで 「デザイン」を検索すると、出てくるのは前者2つばかりで、3つめの「思想」を作るためのウェブサイトはほとんど⾒当たらない..。他⼈の考えを吸収し⾃分のものにするには誰しもそれなりの時間がかかるけれど、 そうした時間の束縛や集中を必要とする⾏為は、無駄な興味を刺激し気を散らすために最適化された現代のインターネットがもっとも苦⼿とする部分であります。現在ほど「デザイナー」を名乗りやすい時代もない。しかし、 Photoshop、 Illustrator、InDesign、XD、Figmaその他デザインに関するソフトウェアを使えるだけでは、その⼈はデザイナーとは呼べない。実態は要素を同⼀画⾯上に配置できるレイアウターでしかないのです。デザイナーとレイアウターを分けるもの、それはデザインに対する哲学、理論、思想の有無である。 レイアウトに至る計画、計画を支える思想、直観を論理に落とし込むまでを「デザインの責任」として捉える必要があります。

< 具体例 >
コンテンツの有機的な「〇」のあしらいを、「グリーン・カラー・フェアウェイ」のグリーンカラー(層)として、各セクションに配置。 「場所=コンテンツの趣旨」とあしらいに必然性がうまれ、色味が全体にひろがる=人生の彩り・歴史(品格)を醸成することにつなげています。

04. おわりに

AIをはじめとした技術の進展により、 私たちがいままで仕事と考えていたことは仕事ではなくなるだろう。 そんななか私たちは何をつくっていったらいいのだろうか。 何を残したらいいのだろうか。考えるデザインとはなんだろうか。様々な意味をあつめなければならない。 つくることに思いをめぐらすことができなければならない。追憶が多くなれば、次にそれを忘却することができねばならぬだろう。 そして、再び思い出が帰るのを待つ⼤きな忍耐がいるのだろう。記憶が僕らの⾎となり、⽬となり、表情となり、名前のわからぬものとなり、 もはや私⾃⾝を区別することができなくなって、 そうして初めてふとした偶然に、始まりの「直観」が思い出の真ん中にぽっかり⽣まれて来る。直観。それは⾔葉以前、命名以前の全意味が満ちている資源。資源を夢にかえるのがデザイン。 デザインは誰かの夢を形にすることだ。夢を語れば、無形資産が集まる。無形資産が集まれば、有形資産が動く。 つまり夢が有形資産を動かす時代であるということだ。デザインには覚悟がいる。デザインは残るものである。 それだけに、デザインには夢がある。可能性を形にする仕事であるから..。

writer
--
岩松翔太 
@IwamatsuShota