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思春期の悩みと勉強について

 小学校高学年ごろから、思春期特有の悩みが出てきます。
 それは大人からするとくだらない悩みだったりすることも多く、思わず「そんなことより勉強についていけてほしい」であったり「将来のことを考えてほしい」と思ってしまうこともあります。
 いわゆる思春期の悩みというのは、掴みどころのない悩みが多く、保護者の方もその悩みに対応できないことがしばしばあります。特に結果的な部分に目を向けていると、まどろっこしくなったり、それよりもすべきことがあるのにと感じてしまいます。

 しかし、この時期の悩みに向き合わずにいると、将来を決定できなくなってしまったり、結果的として勉強に身が入らなくなってしまったりします。
 仮にその時期に問題が起きなくても、成人、中年以降に問題が発生する可能性が高くなります。

 なぜ思春期のどうでもよさそうな悩みを解決しないことが大きな問題になっていくかというのは、人間の発達という性質にあります。

 人はいくつかある成長段階でそれぞれに解決すべき課題があり、前の段階の課題の解決が次の段階の課題の解決に必要となる、という形式になっています。

 例えば、生まれたばかりは養育者から守られることによる安心感や信頼感を得て、そうすることで、子供はこの世の中を希望に満ち溢れたものとして見ることができます。
 もし安心感や信頼感が得られない状況(例えば、泣いても必ず放置されるなど)の中で生きてしまうと、世の中に対して恐怖感や絶望感を抱くことになります。

 そして次の段階の課題は色々なことを自分でやりたがる時期なのですが、これは自律性を身につける段階になります。自律性を身につけた子供は、自分の意思をしっかりと持った子になれます。
 しかし、この段階で自分でできるようになりたい子供のチャレンジそのものを邪魔したり、チャレンジの結果の失敗を非難してしまうと、子供は「自分は何もできないんだ」といって自信を失っていきます。

 さて、この二段階目の「自分でやりたがる」というチャレンジ精神ですが、これは前の段階の安心感や信頼感がないとできないことなのです。
 なぜなら、安心感や信頼感が無い状態というのは「自分には守ってくれる人がいないんだ」という状態なので、世の中が恐怖の対象になるのです。
 そして世の中が怖いものだと思っていると、挑戦しようにもすくんでしまうことになるのです。

「失敗したら終わり」ということですから、挑戦するわけがないのです。この感覚はなにも子供に限ったことではないはずです。
 大人であっても、失敗したら死ぬことに向かって挑戦する人はあまりいないはずです。もし挑戦するとしたら、追い込まれてどうしようもないときに限ります。

 このように、人間というのは放っておけば誰でも同じように順調に成長していくというわけではありません。
 その時期ごとの課題をしっかりと解決しなければ、その後の課題の全てが解決できなくなりますし、解決自体も困難になっていきます。

 子供の頃に親から愛されなかった子供が、その満たされていない過剰な愛情を恋人にぶつけて、度を超えた無理難題を強いて別れてしまうということを繰り返す例もあります。発達の課題を放置すると洒落にならない問題が起きるのです。


 少し話が逸れました。
 中高生の「大人からするとどうでもいい悩みの解決」に話を戻します。

 中高生のほぼ全員がこの時期に似たような悩みを持ちます。
 なぜなら、人間の発達に必要だからです。
 なので、この時期の子供達の悩む時間を奪うことだけはしないでほしいと、私は切に願っています。


 さて、私は塾講師なので、この思春期の悩みで、勉強に関連した話をします。

 私は基本的には無理に勉強漬けにすることは反対しています。
 塾で授業をしている時でも、勉強とは関係の無い話をすることがよくあります。
 これは、別に楽しく雑談がしたいという欲求の優先が理由なのではなく、思春期の悩みを考えるヒントになることが大いにあるからです。

 誰もがそうというわけではありませんが、生徒さんの中には、勉強に人生の多くを割かれてしまって、自分の心の声に鈍感になってしまっている生徒さんや、悩む余裕すらなくなっている生徒さんがいます。
 この状態の生徒さんは、勉強を頑張っているのに、結果的に勉強に身が入っていなかったりして、点数が思うように上がらなかったり、逃げたい一心でメンタルに不調が出たりして、あまり意味がありません。

 そしてこの生徒さんの「人生に悩む余裕が無い」という状態は、単純に勉強時間や勉強量、成績で測ることはできません。

 残酷な話として、知能は7〜8割は生まれつきです。なので、あまり努力せずに勉強が出来る子と、かなり努力しないと勉強ができない子がいることになってしまいます。
 そして日本で生きていると、ほぼ全員が勉強というものをさせられます。
 ここで勉強をあまり努力せずに出来る人たちは、成績も良くて、しっかり自分の悩みに向き合う時間を作ることもできます。しかも成績が良いので親からの圧力や強制が少なくなりがちです。
 しかし、かなり努力をしなければ勉強ができない子は、普通に勉強していると成績が悪くなってしまうので、ここで圧力や強制力がかかり、心理的負担も大きくなり、時間も勉強に割かれてしまい、自分のことに悩む時間も余裕もなくなっていきます。

 つまり、成績の良し悪しだけでその子の努力や頑張りを測るのは危険であり、それを測り間違えて必要以上の努力を強いてしまうと、その子のこれからの人生における問題を引き起こすことになります。


 保護者の方の接し方としては、その子が「少し頑張っている」くらいを目指すようにしてほしいです。
 そしてこの頑張りの指標は勉強時間や量ではなく、心理的負担を目安にしてほしいです。
 つまり本人がかなり苦しそうにしていたら、少しセーブしてあげてほしいと思っています。

 それでは成績が取れないではないか、と思うかもしれませんが、そもそも無理をしなければ取れない成績を取って無理に進学しても意味がないことを知ってほしいです。
 無理に進学したその先には「特に努力せず入学した子達」が待っています。
 そうなると、結局そんな子達との圧倒的な差にぶつかって、自尊心を傷つけられてしまいます。
 ですから、その子の範囲内でできることをして、その子の範囲内で良い成績を取る、ということを目指してほしいと思っています。

 このように、自分を基準にして物事を決めるというのも、大切な視点になるでしょう。
 他人や周りの基準に引っ張られると、不要な悩みが増え、精神疾患にも繋がってしまうため、注意が必要です。

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