普通って、あたりまってなぁに?!改めて考えてみる普通と当たり前に事について

厨房のありすというドラマがスタートした。
主人公ありすは自閉症スペクトラム障害を発症している女性。

🔳小さな料理店『ありすのお勝手』の店主。
自閉スペクトラム症の特性のため、頑固でこだわりが強く、コミュニケーションは苦手。だが、驚異的な記憶力の持ち主で特に大好きな化学においては膨大な知識を持ちあわせる。(HP相関図より抜粋)

彼女のお店で・・・ありすの幼なじみで、唯一の友達の和紗の子供(銀之助)の誕生日会が開かれる。野菜が苦手な銀のために考えたありるの戦略・・(コロッケに何が必ず入っていてそれを最後まで食べなければいけない)
野菜嫌いに銀がしぶしぶしていると・・・いろんな会話がそこで飛び交う。
天才は・・・野菜をたべなくてもよい・・??
ありすは天才だから・・野菜をたべなくてもいい??

銀は・・・自分は普通でいいよとしぶしぶあきらめたように語ると・・

ありすは‥普通のすばらしさを語りだす・・・・。


私たちは・・・向上心が高い人ほど・・・他人の芝をよく見えたり・・・何かスキルを磨くことを考えてたりするけれど・・・・
その時に・・・・自分の持っているリソース・・・
つまり当たり前や普通という特性にあるリソースについて改めて認識しているだろうか???


ところで・・・私たちが考えている・・・普通にっていったいなんだろうか???
普通がもたらしてくれているものって改めて考えたり感じたりしたことがあるだろうか???

私たちが考えている当たり前ってことは・・・本当に当たり前のことなのだろうか?それはもしかしたら当たり前ではなくって誰かが・・・当たり前のように感じられるようにだれが与えてくれていたりしていることであって・・・もしかしたらそれは当たり前のことではないのではないだろうか???

では一体当たり前って?
普通って??

この当たり前の普通の視点が変わると・・・
それはまるで変わっていく・・・・

Aちゃんの当たり前とBちゃんの当たり前は違う。
この当たり前ということでさせも・・・標準的基準的・・一般的に
という共通した約束というか?ルールのように
かんがえられた共通認識のもとに沿った一般的・基準的・標準的であったりする。
さてそれらから見た・・・一般的・基準的当たり前と
私という視点からとらえようとしている当たり前には違いはないだろうか??

このように少しでも当たり前について考えてみると・・・
その当たり前であることは実はだれかから与えられたことであって・・・
もしかしたら当たり前のことではないのかもしれない。

実際に当たり前って・・・・どこから見たら誰から見た当たり前?
それが本来の当たり前なのだろうか???

このようにして普通について考えた時・・・・
普通って??いったい何をワタシタチニ気づかせようと試みているのだろうか??そしてこの普通にて??そこには何もないという意味なのだろうか??

そんなはずはない。
ただの普通だけであってそこに何もないわけではない。
ではこの普通ってどこから与えられていることなんだろうか???
普通はよくないこと、それともいいことでもないわるいことでもないこと??それともそれらの分類には属さないものなのだろうか???


このように私たちは普通に普通にということについて
あまりかんがえたりしない。
そして当たり前についても考えたりもせずに
それらは安易にあたりまえ、普通だと認識して疑うことなく考えることなく、それを知ろうともせずに・・ただただ安易に使っていたりする。


僕らはどこかに旅をするとき・・・・
必ずと誰もが大事にしていることが一つある。
それは自分の健康。
つまり自分の今の状況について・・・
いまの状況と言えば・・・それはその人からすると普通で当たり前の状況。

ここでもう一度その普通て?当たり前の状況って???

僕らって私たちって今の状況について実はよくわかっていなかったり理解していなかったりする。

その口癖に・・・当たりまえ、普通って考えていたりするからだ。
普通や当たり前の状態はあまり考えられない。

けれども・・・
この当たり前や普通について改めて考えてみることで・・・・
そこから自分たちが何を求めて何を欲して何を・・大事にして大切にして・・・・

改めて考えることで
これまで普通と思っていたことや当たり前と考えていたことから
なにかしら気づくことがあるはずだ。


厨房のありすが言っているように・・・・
当たり前や普通のよさすばらしさにもう一度対話してもいいのではないだろうか???

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