記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

近年のウルトラシリーズと、『ドラゴンボール』シリーズにおけるパターナリズムと「自己責任」の概念


https://note.com/meta13c/n/n7575b6c0826b

この記事の注意点などを記しました。

ご指摘があれば、
@hg1543io5
のツイッターのアカウントでも、よろしくお願いします。
https://twitter.com/search?lang=ja&q=hg1543io5

注意

これらの重要な情報を明かします。

漫画
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボール超』
『NARUTO』

テレビアニメ
『ドラゴンボールZ』
『ドラゴンボールGT』
『ドラゴンボール超』
『NARUTO』
『NARUTO 疾風伝』

劇場アニメ
『ドラゴンボールZ 熱戦!烈戦!超激戦!!』
『ドラゴンボールZ 100億パワーの戦士たち』

特撮テレビドラマ

『ウルトラQ』
『ウルトラマン』
『ウルトラセブン』
『帰ってきたウルトラマン』
『ウルトラマンエース』
『ウルトラマンタロウ』
『ウルトラマンレオ』
『ウルトラマン80』
『ウルトラセブン』(平成版)
『ウルトラマンティガ』
『ウルトラマンダイナ』
『ウルトラマンガイア』
『ウルトラマンコスモス』
『ウルトラマンネクサス』
『ウルトラマンマックス』
『ウルトラマンメビウス』
『大怪獣バトル』
『大怪獣バトルNEO』
『ウルトラマンギンガ』
『ウルトラマンギンガS』
『ウルトラマンX』
『ウルトラマンオーブ』
『ウルトラファイトオーブ』
『ウルトラマンジード』
『ウルトラマンR/B』
『ウルトラマンタイガ』
『ウルトラマンZ』
『ウルトラマントリガー』

特撮オリジナルビデオ
『ウルトラセブン』
『ウルトラマンG(グレート)』

特撮映画

『ウルトラ銀河伝説』

『ベリアル銀河帝国』

『ウルトラマンサーガ』
『ウルトラマンR/B セレクト!絆のクリスタル』
『ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』

ネットオリジナル特撮
『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』
『ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA』

実写映画
『ターミネーター』
『ターミネーター2』

テレビドラマ
『半沢直樹』(第1,2期)
『下町ロケット』(TBS,第1,2期、『ヤタガラス スペシャル』)
『テセウスの船』

はじめに

 私は幾つかの観点から、ウルトラシリーズと『ドラゴンボール』シリーズの共通点を探り、対応関係を考えています。
 今回は、それぞれの作品におけるパターナリズムと「自己責任」の概念が近年強くなっているという私の意見を、具体的に述べます。













2022年7月2日閲覧







『ドラゴンボール』などのパターナリズム

 まず、パターナリズムとは「相手のためだからと善意で強制する」ことです。
 語源から、「父権主義」とも訳されますが、私は年長男性以外からのパターナリズムが、「自分はパターナリズムに逆らっている、自由を重視している」というつもりで、むしろ逆向きのパターナリズムを発生させていることもある可能性を考えています。
 たとえば、『ドラゴンボール』では地球の一般人に宇宙人や神々の存在が知られず、サイヤ人の孫悟空やナメック星人の「地球の神」の独断で善意として一方的に守られます。そのために、自分達の正体を明かさない「国民」のはずの悟空や富豪のブルマの判断で、国王すらも秘密を知ることが出来ずに指導されます。
 原作とアニメでは、微妙に「宇宙人」への知識がヤジロベーの行動などで異なるようですが。
 原作及び『ドラゴンボールZ』終盤では、「たまには地球人に責任を取らせろ」とベジータが、地球人に悟空へエネルギーを分けるように要求しましたが、「正体を明かしていない」と怪しむ人間も多く、「地球の神」の意識を引き継いだピッコロや北の界王は「無理もない」、「何という下手な頼み方だ」と言っていました。それまで自分達が「どうせ地球人には状況を理解することも貢献することも出来ない」とみなして善意を隠してきた代償を、神々も考えていたのでしょう。それを仲介したミスター・サタンも、本来ならば自分の弱さすら自覚しない無知な一般人でした。
 『ドラゴンボールGT』では、サタンが少しずつ伝えていたのか、超サイヤ人4の独特の姿となった悟空やキビト界王神の瞬間移動で地球の爆発から避難することを地球人が受け入れており、「一方的に助けられて感謝すらしないで直ぐ忘れる」から、「自分の意思で頼る」程度には、パターナリズムの受け取り方が和らいでいます。『Z』と異なり、地球人は記憶を消された様子もなく、最終的に敵に荒らされた地球を自力で直そうとしたようです。
 それと分岐した『Z』の途中を描く『ドラゴンボール超』アニメ版では、やはりサタンの仲介で、記憶されていないミスター・ブウが受け入れられるなど、少しずつ変化しています。
 悟空やブルマ達は、法的な権力のない一般国民でありながら、国王などすら善意で指導する、現実の一般的なパターナリズムと逆向きのパターナリズムがあります。
 『NARUTO』では、大名などの依頼で戦う忍者が、大名を陰で「馬鹿」だと扱いながらも、大名のほとんどは弱いために悪人扱いはあまりせず、一方的な善意で言いくるめて守ることがあります。大名のほとんどは老年の男性であり、忍者は戦闘能力が重視されるので、若者や女性でもなりやすく、忍者からの年長男性に対するパターナリズムがあります。『疾風伝』では、中高年の男性ですが、雷影のエーが、下克上を疑う大名に「あなた方を守るためにも戦いの許可を出していただきたい」と言っています。
 また、ウルトラシリーズでは、基本的に主人公が正体を一般人や仲間の人間に知らせず、「知らない方が良い」という姿勢の善意で隠しています。その「善意を隠す善意」で、パターナルに守る部分があり、それが失敗や被害を招くこともあります。
 たとえば『ウルトラマンギンガS』や『ウルトラセブン』では、正体を知られたくないために変身出来ずに戦えないこともありました。
 他に例を挙げますと、『ターミネーター』では、のちに人間を機械から守る抵抗軍を率いるジョンの未来の部下であるカイルが、未来からの情報をジョンの母親であるサラに伝え、カイルが父親になったため、『ターミネーター2』では未来の部下であり父親から指導された母親に、信じないジョンが戦いを強引に教えられる描写がありました。それはタイムトラベルによるねじれたパターナリズムですが、現実にも似たようなパターナリズムがないとは言い切れません。『テセウスの船』が近いかもしれません。

善意より善悪観のパターナリズム

 さらに、近年の『ドラゴンボール超』では、善意というより「善悪観」のある存在のパターナリズムが、連鎖反応を起こして苛烈な戦いを起こします。
 『ドラゴンボール』のそれまでのシリーズの神々は人間を守ることがほとんどでしたが、『ドラゴンボール超』では人間や惑星の破壊を職務とし、「悪とも言えん。必要なことなのだ」と評価される破壊神が現れます。
 破壊神ビルスは悪人のフリーザに、「むかつく」部下のサイヤ人を滅ぼさせるという微妙な行いをしています。
 彼には「誰かの心配をする」善意はほとんどみられず、むしろ「そんなことをすれば破壊神としてみっともない」という価値観がみられます。
 しかし、細かく見ますと、ビルスにも「悪人を悪いという善悪観」はあります。
 たとえば、ビルスはサイヤ人が自分より弱い種族を侵略して、ビルスの強さを恐れるのを「肝心なときにへたれるからサイヤ人はむかつく」と言っており、サイヤ人の「下に厳しく上に甘い」部分を悪だとみなす部分はあります。
 また、ミスター・ブウが「俺は強いからたくさん食べる」と言うと、「それがお前の理屈か」と冷たく笑って、それ以上の強さを見せつけて食べ物に関して争っています。『ドラゴンボール』シリーズでは、食べる量と強さは必ずしも対応せず、ブウの強引な論理にさらに強引な論理をぶつけるのは、「悪い奴には悪いことをして良い」という強引な善悪の概念を周りに強制するパターナリズムだと言えます。
 また、本来創造の役割を与えられた別の宇宙の界王のザマスが人間の争いなどを嫌悪して滅ぼそうとして、「正義をかたる奴にろくなのはいないな」とも言っています。
 また、ビルスは漫画版で「自分は宇宙のバランスを考えて破壊しており、単に殺すだけのゴクウブラックとは違う」と主張しており、逆に兄弟のシャンパを助けたのを「恩を売っただけ」というなど、善人にも悪人にも思われたくないところがあり、そのねじれたところがパターナリズムを強化するかもしれません。

「レベルの低い」善意や強制が連鎖する

 しかし、ビルスの強引さは、冷静に考えますと、それまでの『ドラゴンボール』シリーズの悟空や神々の強引さを延長させたものにも思えます。
 悟空は生前の行いから、「地球の神」を含む死者を裁く閻魔大王に評価され、死んでもあの世で特別な体を与えられて優遇されるところがあり、また死後の世界を見たことで、「クリリンも死んでみるか?」、「犠牲になった人はドラゴンボールで生き返れる」など、善意はあっても強引に守るために命を軽んじるところが増えています。
 『ドラゴンボール超』アニメ版序盤で、かつて悟空の判断で死者になったままの北の界王に「界王様は神様だから死んでもあまり変わらないだろう」とまで言っています。
 しかし、北の界王は次にその体で死ねば、原作や『Z』の悟空の発言通りならば「消えてしまい、あの世にも存在出来ない」危険な状態です。
 閻魔大王より格上の界王や界王神は、死んでも特別な体を授かりやすく、それで悟空を助けたこともありますが、特権を持っているとも言えます。
 そこでビルスが現れ、のちに判明しますが、破壊されるとあの世にも行けない危険に悟空も北の界王もさらされています。
 つまりビルスは、生死を超越して命を軽んじるところの増えた悟空や、元々死んでも閻魔大王に特別扱いされやすい格上の神々に「あの世に行けない死」を与えることで「負の平等」とも言える概念を強引にもたらす、「傲慢な者への制裁」という善悪観があります。
 実際に、閻魔大王より格上の神々は破壊神を知っているようですが、格下の「地球の神」や後任のデンデは知らなくても済んだようです。
 さらに、ビルスがブウに暴力を振るったのも、ある意味で「強さ故のレベルの低さ」が連鎖しています。
 『ドラゴンボール』の世界の強者は、途中から惑星破壊などが当たり前で、宇宙空間に耐えられない者もおり、物体を破壊する余地がなく、体を痛めつける以外にまともな戦いが出来なくなっている可能性があります。
 それは、ある意味で危険、あるいは野蛮に、他の地球人には映るかもしれません。
 つまり、ビルスが物体を壊すなどで強さを示さずに、ブウの体にしか攻撃出来ないのは、「そこまで強くなった方も周りに恐怖を与えている。その恐怖を連鎖させただけ」という概念があるかもしれません。
 しかし、破壊神と対をなす界王神の作り出すカッチン鋼などなら、かなりの強度があり、それをミスター・サタンなどが使うパンチマシンの代わりにすれば、穏やかに競争出来たとも言えます。
 悟空達から見れば「つまらない」、「役に立たない」と思われがちなサタンや界王神の能力や道具が、自分達より強く争う必要のあるとは限らない破壊神に対しては有効だったのです。
 それを思いつかない悟空やビルスは、「強いけれどもレベルが低い」と言えます。
 ビルスの担当する第7宇宙は、「人間のレベルが低い」とされ、ビルスは漫画版では、「破壊神としては強い」けれども叱責されることが多いようです。また、アニメ版ではビルスが「破壊神はものを作らない」と言いつつ、「レベルの高い」破壊神はカッチン鋼より強い素材を作れるようです。
 つまり、「強さ故のレベルの低さ」があるのです。

天使や全王の「レベル」はどうか

 ビルスの師匠であり世話をする天使のウイスは、創造の能力も持ち、彼が指導すればさらに穏やかに解決出来た可能性もあります。
 たとえば、『ドラゴンボール』では強いほど移動速度も上がる描写もありましたから、「かけっこ」でも済んだかもしれません。
 また、ウイスは弟の見習いのメルスに「天使同士で隠し事など不可能です」と、仕事に関係ないプライバシーまで侵害する姿勢がありますが、元々悟空達も「気」というエネルギーで地球や宇宙の強者の気配を感じ取れるので、その仲間のプライバシーを侵害する強引な善意のある優秀さが、天使はさらに進んでいるだけとも言えます。
 さらに、破壊神より上の全王は、破壊神すら超える「消滅」により(おそらくあの世ごと)宇宙を消し去ると示して、レベルの低い宇宙で格闘大会をさせています。
 全王はタイムトラベルにより生じた並行世界を消し去りましたが、それは部下の神々の不手際とも言えます。
 しかし全王がそれによる退屈にいる中で、悟空がタイムマシンで本編世界に連れて行き、ウイスはそれを「悟空さんは全王様をお助けした」と表現して、「レベルの高い」らしい天使すら驚かせました。
 そう考えますと、計算すら出来るか怪しい全王がレベルの低い宇宙を消したり、自分のいる並行世界を消す必要があるほど放置したり、そもそも「強い破壊神のレベルが低い」ことがあるにもかかわらずレベルを上げるために格闘大会をさせたりしたのも、そもそも「全王のレベルはどうなのか」と思わせるところがあります。
 つまり、直接的な利益を与える善意を超えた、「悪い奴にはこれぐらいの悪いことはして当然だ」というような善悪観による破壊神のパターナリズムが、いずれ破壊神自身のレベルを下げ、さらに天使はそれで全王自身すらいつかレベルの低いと指摘されるのを待っている可能性があります。

助けなかった主人公の代償

 また、ビルスは、明らかに悪人のフリーザが復活して地球が狙われても放置していましたが、これもある意味で「善悪観」があります。
 というのも、確かに悟空はフリーザ軍の中枢こそ倒したものの、残党は生き残って他の星で侵略を小規模ながら続けており、それに北の界王や東の界王神、そして悟空達は気付かなかった、あるいは探そうとしなかったのです。
 本編と繋がりにくい劇場版などを除けば、悟空達はあまり遠くの星に助けに行きません。
 ビルスは、「今までフリーザ軍の残党を他の星で放置していた悟空達が、復活したフリーザに狙われてから助けを求めるのは不公平だ」と言いたいのかもしれません。明言はしていませんが。
 ビルスは悟空に「君達は神に甘え過ぎだ」とも話しています。
 もちろん、北の界王が「わしは忙しいから地球にだけ構っていられない」と言ったように、うかつに悟空が他の星に助けに行けばきりがなくなり、強くなる余裕も減って本来守りたい地球まで守れなくなる可能性もありますから、完全に悪いとは言い切れませんが、ならばビルスが地球を救わないのも同じかもしれません。
 「自分達が誰を救うか決める。その判断で一番世界を合理的に救える」という推測に基づくパターナリズムが、悟空達にもあり、それがさらに強引なビルスに連鎖したかもしれません。
 

強者の「自己責任」

 また、人命を軽んじる『ドラゴンボール超』の破壊神や全王は、約束を守る「自己責任」の部分には律儀です。
 破壊神のシャンパはフロストの犯罪にだまされても資金援助の約束は苛立ちながらも守りましたし、ビルスは自分が嘘をついて悟空や全王を混乱させた責任を渋々受け入れています。
 またウイスは、ビルスの「フリーザにサイヤ人を滅ぼさせた」、「嘘をついた」ことなどを止めないものの、そのあとで困るビルスに呆れて「そうしたのはビルス様です」とたしなめることが多々あります。
 シャンパを担当する天使のヴァドスも、シャンパの不用意な判断に従った上であとで困るのに呆れているようです。また、逆にシャンパが、まだ犯罪をしていると判明していないフロストが「勝てなければ資金援助しない」という約束に「かわいそうじゃないのか」と言うと、「破壊神がそんなことを言うものではありません」と言っており、「自分や相手に利益でも不利益でも、破壊神は約束を守るものだ」という概念がみられます。
 全王にも、天使の父親の大神官は、レベルの低い宇宙に「負ければ消される」力の大会を開催させつつ、「一度予定を決めたなら、それを早く見たいとしても約束は守らなければなりません」とたしなめています。
 全王も漫画版で、レベルの低い(悟空を含む)宇宙を消そうとしたとき、ちょうど悟空が偶然来て、それ以前の格闘大会の約束を思い出して、「消したら出来なかったね」と、並行世界の全王と共に自分の判断を一部悔やんでいます。

 つまり『ドラゴンボール超』には、暴力を振るう、倫理観の乏しい神々にも、自分の約束は誠実に守る概念があるのです。それは強者を「自己責任」という言葉で縛る痛快とも言えるところがあります。
 『半沢直樹』や『下町ロケット』もそうかもしれませんが。

ウルトラシリーズの「塞翁が馬」



 
 さて、ここでウルトラシリーズに話題を移します。
 ウルトラシリーズと『ドラゴンボール』シリーズの共通点は幾つかこれまで挙げましたが、特に『ウルトラマンギンガ』以降の新世代(ニュージェネレーション)ヒーローズシリーズでは、「敵が主人公に応じて強くなり続ける」、「助け合いの限界」が独特のところがあります。それがパターナリズムと「自己責任」に繋がります。
 『ドラゴンボール』シリーズはカオス理論のロジスティック写像のように、主人公達が戦いのインフレーションの中で強くなってもさらに強い敵の現れて、影響がプラスかマイナスか分からず、なおかつ影響が増大してハイリスクになるところがあります。
 ウルトラシリーズでも、近年は主人公のウルトラマンや防衛チームが敵や怪獣の能力を奪ったり与えられたりして強くなることが多く、逆に敵がウルトラマンと同じ仕組みで強くなることもあり、「塞翁が馬」を繰り返します。
 たとえば、『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』のアブソリュートタルタロスは、過去の時間軸からウルトラマンベリアルやウルトラマントレギアを連れて来て、その並行世界はそれぞれの悪役が悪影響を及ぼさなくなったり、それに対抗してそれぞれの主人公や味方の強くなる機会が失われたりして、宇宙を守る側にもプラス、マイナスの未知数の影響があります。
 これらは『ドラゴンボール』に似ていますが、ウルトラシリーズにもパターナリズムがあります。

権力ではなく暴力によるパターナリズムは「弱者の抵抗」か

 たとえば、「主人公だけは敵の能力で強くなって良いが、上官はいけないから主人公が反乱する」というような、権力ではなく暴力によるパターナリズムです。
 元々平成のウルトラシリーズでは、防衛組織の強力な兵器を暴走や敵の反撃があると警戒して「血を吐きながら続けるマラソン」として批判することがありました。
 たとえば、『ウルトラマンダイナ』のウルトラマンダイナのエネルギーなどを奪ったテラノイドは敵に奪われて強敵となりました。
 『ウルトラマンコスモス』の防衛軍が敵の宇宙人から奪ったヘルズキングは、宇宙人のプログラムが残っていたので暴走しました。
 しかし私には、「そのマラソンは主人公も引き起こしているのではないか」という疑問がどうしても残ります。
 つまるところ、その暴走する兵器すら超える可能性のあるウルトラマンや防衛チームが、上官に権力では劣っても暴力では優るところで、反発して危険な行いをしている可能性があります。
 そもそも「ウルトラマンは弱者か」と言われれば、多くの人は迷うでしょう。
 多くのウルトラマンは人間としては社会的地位の低い新人の隊員ですが、一時的に地球最大かもしれない暴力を振るえる可能性を秘めており、といって時間などの弱点も多く、隊員であるためにある程度民間人やメディアの行動なども制限出来る権力も与えられています。
 ウルトラマンが正体を明かさないのも、「善意を隠す善意」であり、「言わない美徳」かもしれませんが、それはそれでパターナリズムだと言えます。
 ウルトラシリーズの平成の防衛組織の上官は、「ウルトラマンの活動に否定的である」、「ウルトラマンに限らず異なる種族を警戒する」などが問題視されますが、基本的に人間達が被害者であるウルトラシリーズの世界において、上官にしてみれば、自分達こそ「弱い人間の味方」、「強いウルトラマンや宇宙人から人間を守る者」かもしれません。
 『ウルトラマンZ』で悪く扱われる上官のユウキマイは、「宇宙人の隊長を警戒する」様子がありました。しかしユウキは自分一人だけかもしれませんが、隊長のヘビクラが宇宙人で、それまで敵か味方か曖昧な行動を取っていた上に、巨大なロボットが倒れた胸に乗る、つまり人間にない移動能力を持つと知っていたので、ユウキが接近するヘビクラを「危険な強者」として警戒するのは、決して差別とは言い切れません。
 結局のところ、強さと弱さをそれぞれがばらばらに持っているため、上官の権力によるパターナリズムに、ウルトラシリーズでは主人公の権力とはやや異なる暴力によるパターナリズムで対抗しているところがあります。

女王と怪獣のパターナリズム

 これが分かりやすいのは、『ウルトラマンギンガS』です。
 『ウルトラマンギンガS』では、地球の鉱石のビクトリウムを巡り、地底人のショウの変身するウルトラマンビクトリーや地上人のヒカルの変身するウルトラマンギンガが、狙ってくる宇宙人のチブル星人と戦います。
 しかし、ショウは最初に地上人こそビクトリウムを狙っていると判断してギンガを攻撃しています。
 さらに、地底人の代表である女王キサラは、地底人の存在を長らく地上人から隠して、地底の民にも地上の存在すらほとんど教えなかったようです。「それが地上人や地底人の争いを防ぐため」だとみなしていたかもしれませんが、女王によるパターナリズムです。
 また、地底人同士にも争いがあったのですが、過去の地底人はその歴史すら隠し、知っていた味方の怪獣のシェパードンもその知識をキサラにぎりぎりまで伝えずに争いを激化させたままにし、自分がその争いから地底人をかばうためにウルトラマンの攻撃を受けました。それも「知識を伝えない」という一見暴力的でないものの争いを招く行いを善意で行い、「知る自由」、「議論する自由」を周りから奪うパターナリズムです。
 つまり、権力者として穏やかに見えるキサラや、権力などない怪獣のシェパードンすら、ウルトラマンにもよくある「教えない」などの暴力性の低い行為で善意から周りの自由を奪い、争いを起こしているのです。

敵の能力や怪獣の情報すら独占するパターナリズム

 その上、チブル星人がビクトリウムで復活させようとするダークルギエルは、怪獣や宇宙人やウルトラマンや人間を全て人形にすることで平和にしようとする強引な善意があったのですが、それで人形を操る「ライブ」という能力があります。
 特徴的なのは、ヒカルも「ライブ」で怪獣の能力を操れる、つまりルギエルの支配に逆らうためにその支配を部分的に逆用出来ること、ショウも「ウルトランス」という能力で怪獣の能力をビクトリーの状態で使えることです。
 また、人間も怪獣に変身出来るため、防衛チームのUPGからの外見では、人間が心を改めたことで、突然怪獣が攻撃をやめてウルトラマンの味方になったように見えるときもあります。
 そのため、ショウ=ビクトリーがギンガを攻撃したことなども相まって、UPGには「どうなっているんだ?」としか言いようのない、敵や味方の外見が区別出来ず混乱した状態になっているのです。
 怪獣が味方になる、あるいは攻撃をやめて和解するのは『ウルトラマンガイア』、『ウルトラマンコスモス』、『ウルトラマンマックス』などにもあり、私も倫理的に否定はしませんが、それらを主人公が防衛チームに説明することが多かったのに対して、『ギンガS』では主人公のウルトラマンへの変身などの仕組みが関わるために、ほとんど説明していないのです。
 つまり、ウルトラマンの「教えない」、「周りの反対を押し切って判断する」パターナリズムが、怪獣などとの和解なども加わり、さらに強化されています。

主人公のパターナリズムに振り回される人間

 
 その状態では、上官の神山が「ウルトラマンは得体が知れない。いつ人間の脅威になるか分からない」というのは、差別や偏見とは言い切れないのです。説明が少ないので、そこまで神山が考えていない可能性もありますが、今作では地上人や防衛組織は権力を持っていても、それが物理的な能力に変換されにくく、ウルトラマンや地底人やシェパードンの一方的な善意の独断に振り回される側であることの方が多いのです。
 神山に憤ったヒカルも、怪獣のガンQを外見だけで「それまで敵だったから」と、人間が変身して攻撃する気のないときにまで攻撃して逃がしてしまい、「黒幕」の介入による暴走を招いてかえって被害を増やしています。
 『ウルトラマンタイガ』では、「外見で宇宙人を差別するな」という主張がありましたが、その主人公のウルトラマンでさえ、『ニュージェネクライマックス』では敵のウルトラマンベリアルの「気配」があると、味方のウルトラマンジードを警戒しています。
 つまり、外見の特徴と内面の善悪などの繋がりの強さの加減を、主人公でも間違えることもあり、「外面の悪そうな要素を内面にも繋げて考える」推測は、いつ誰がしてもおかしくないにもかかわらず、上官などの、暴力より権力の要素が強い人間の警戒ばかり責められるのです。

パターナリズムを議論で緩和する

 このパターナリズムは、『ウルトラマンX』ではかなり緩和されています。
 今作でもウルトラマンは怪獣の能力を使いますが、それはまずウルトラマンが人間を怪獣からかばって信頼関係を得てから人間の科学技術で与えたのであり、そのあと怪獣の能力をウルトラマンが暴走させても、むしろ人間のせい、主人公の隊員の独断の責任だとして、議論した上でウルトラマンへの警戒は抑えられます。
 また、宇宙人への警戒も、ウルトラマンである主人公の大地などが、ウルトラマンの情報を教えられない中でもぎりぎりの科学者としての判断で上官を説得しようとしています。上官も宇宙人の行動を根拠と共に警戒しており、議論はされています。
 しかし、『ウルトラマンオーブ』では、防衛組織に敬意は払うものの所属しないウルトラマンオーブ=クレナイガイが、独断で戦い、暴走しては被害を出し、普段援護をほとんどしない組織のビートル隊がオーブをわざわざ攻撃したこともあり、独断の善意がすれ違いを招いています。
 ビートル隊の渋川は、オーブを警戒して攻撃するのを「何かを守るのは、何かを傷付ける覚悟を持つってこと」と言いましたが、「オーブも同じ気持ちで暴走したのかも」という台詞があり、重要なのは「誰が誰を選ぶか」という決定権の所在だとも言えます。
 それらの議論が直接されないのは、ある意味でパターナリズム同士の行き違いです。

連絡という「すべき干渉」を省く「自己責任」

 また、「別の世界に干渉し過ぎてはいけない」という一見前向きな台詞が、パターナリズムと「自己責任」を強化しています。
 『ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA』では、ウルトラマンのいない別世界に来たウルトラマンが戦い、それまで怪獣すら知らなかった地球で、突然巨大な樹が生えたのを地球人が警戒して爆破しようとしたのをウルトラマン達は「全ての地球人にあの樹が宇宙に必要だと理解させるなど無理だ」、「争いばかりで解決しようとする」と批判しています。
 しかし、0か1かで極端に考えて、一切状況を伝えないのでは、この樹はインフラを破壊した意味で、『ウルトラQ』のジュランのようなものにしか見えず、仮にそのときに一度も現れたことのないウルトラマン(宇宙人)が「あれは宇宙に必要なものだ」、「何故そんな野蛮な対処をする」と言われても混乱するでしょう。
 特にこの世界でウルトラマン達は防衛隊員としての地位も戸籍もないため、説明が難しいのですが、それらも世界観の断絶によるものです。
 そして、樹に関わる怪獣だけを倒したあと、ウルトラマンは「一つの世界に干渉し過ぎてはいけない」と帰っていきましたが、すべき干渉をせず、ただ偏った分野に干渉してそれを「過保護、過干渉だ、これ以上は余計だ。この世界のためにならない」のように考えて突き放すパターナリズムと「自己責任」の連鎖がみられます。
 近年のウルトラシリーズに足りないのは、議論や連絡といったそれまでのシリーズにあった干渉と、相手にその情報を吟味させて判断させる自由を与えることであり、その自由を奪い「善意を教えない善意」によるパターナリズムと、「これ以上教えるなどの干渉は余計だ。彼らに任せよう」という「自己責任」の結合があります。

助け合いの限界は誰の「自己責任」か

 さらに、ウルトラマン同士ですら「自己責任」の概念が幾らか新世代にはあります。
 基本的にウルトラマンは穏やかに助け合い、頼もしく映ります。
 しかし、世界観が繋がり、多くの人間もウルトラマン同士の助け合いを知り、そもそも敵対する本物のウルトラマンはほとんどいなかった昭和ウルトラシリーズと、世界観がほとんど繋がらず、ウルトラマン同士の助け合いに壁があり、敵対するウルトラマンもいるため人間もウルトラマンを警戒せざるを得ないところもあった『ウルトラマンメビウス』までの平成ウルトラシリーズの要素が、新世代では時折危険な形で結び付きます。
 まず、『ウルトラマンダイナ』から『ウルトラマンメビウス』までの平成シリーズでは、どれほど強い敵が現れても、作品ごとに世界観がリセットされて、敵も味方もほとんど再登場しないため、作品を超えた範囲では、プラスとマイナスの影響が共に抑えられます。
 しかし平成シリーズも含めて「マルチバース」などの概念で繋がる新世代では、味方も世界観を超えて助け合えますが、助け合いかはともかく敵同士の能力も結び付きやすく、それまでの敵が次々現れる恐怖も増大します。
 さらに、敵の能力を味方が使い、逆も起こり得るため、戦いもさらに複雑になります。

 逆に『ウルトラマンR/B』やその劇場版など、味方だけが助けに行きにくい世界もあります。
 そして、たとえばウルトラマンエックスは怪獣を人形にするザナディウム光線などの能力を持ちますが、それで倒されずに済んだ怪獣の同族も、のちのシリーズでは、エックスのその能力をウルトラマンが持たないために倒されることもあります。
 後輩がウルトラマンエックスの能力を使うこともありますが、ザナディウム光線までは複製していないようです。
 しかし、「それでは後輩のウルトラマンが登場するたびに、エックスと同じ状況に備えて必ずエックスから能力を受け取らなければならないのか?それは先輩に甘え過ぎではないか?」とも言えます。
 逆にエックスだからこそ倒せたグリーザやザイゴーグも、『ウルトラマンジード』や『ウルトラマンZ』ではエックスのいない中で猛威を振るい、後輩を苦戦させます。
 つまり、助け合いの限界の中で、助け合いがかえって招く世界観などを超えた敵に、後輩が「自己責任」で対処しなければならないところがあります。

世界観の繋がりの組み合わせ

 また、昭和ウルトラシリーズでは人間もウルトラマンも過去作のウルトラマンの味方の意思を、世界観の繋がりから当然知っており、平成では逆に世界観が異なるので両方知らないことが多いと言えます。
 ところが『ウルトラマンギンガS』では、新世代で初めて防衛チームがあるため、平成のように過去作の世界を知らない防衛組織が、平成のように対立するウルトラマンなどを目撃したため、上官の神山は警戒してもやむを得ないと私は考えます。
 しかし前作『ウルトラマンギンガ』で、昭和ウルトラシリーズのウルトラマンタロウなどから知識を授かり、ウルトラマンがおおむね味方だと知っているヒカルは、かえって昭和シリーズの基準で「人間もウルトラマンを受け入れるべきだ」と考えて、神山との差が発生した可能性があります。
 世界観の繋がりの有無が、「善意を教えない」パターナリズムなどと相まって、助け合いや議論を阻んでいることがあるのです。
 次作『ウルトラマンX』では、別世界を既に知っているファントン星人グルマンやウルトラマンゼロなどの仲介で、『ギンガS』の住人と協力し合っています。

「ワクワク」する「レベルの低さ」

 こうして、『ドラゴンボール超』とウルトラマンの新世代ヒーローズシリーズは、連絡の行き届かなかったり強過ぎたりすることによる「レベルの低い」状況で、「善意を教えない」強引な善意でパターナルに振る舞い、さらにすべき干渉すら怠り周りに「甘えるな」と言ってしまう「自己責任」の部分も生じています。
 しかし、それが「塞翁が馬」として「ワクワク」をもたらす可能性もあります。
 たとえば『ドラゴンボール超』漫画版で、見習い天使で中立を破ったメルスは、宇宙のパトロール隊としているときに、悟空が敵を見逃すことを「改心させている」と好意的に捉えましたが、悟空は「良い奴になるかもしれないし、そしたらまた戦えるだろう?」、「改心なんて立派なことをしているつもりはない。ただその方がワクワクするだろう?」と戦いを楽しむ、不謹慎な、あるいは悪人に甘い部分があります。
 しかしメルスは悟空に天使の強さを指導したあと、「ワクワクのつまった、この宇宙を守ってください」と言い残して、ルール違反で消されました。
 悟空達が悪人を見逃すこともある第7宇宙は、ビルスが叱責されるように「レベルの低い」ところもあるかもしれませんが、そのトラブルにより悟空が強くなり、新たな敵を倒す可能性もあります。『ドラゴンボール』原作の「地球の神」が地球のドラゴンボールを生み出したような、「勇気と希望」がみられます。
 『ドラゴンボールGT』では、悟空とドラゴンボールが敵を招く可能性などを考慮したのか、両者が姿を消し、「勇気と希望」より「安心」や「平和」を重視したかもしれません。
 そして、アニメ版では悟空の元気玉が「レベルの高い」宇宙の神々を驚かせ、全王に物怖じせずに、むしろ並行世界の消滅で退屈した全王を「助ける」悟空の姿勢は、天使すら出し抜ける可能性があります。
 トラブルを起こす、強引な善意もみられるものの、悟空の「レベルの低さ」が、いずれ「レベルの高い」宇宙を驚かせる、あるいはレベルを測るはずの全王に何らかの驚きをもたらす番狂わせが起きるかもしれません。
 それが『ドラゴンボール超』の、危険性もある「ワクワク」です。
 また、『ウルトラマンZ』では、本来ウルトラマンエックスでようやく倒せたグリーザの能力の一部と、ウルトラマンジードのベリアル因子との融合により生まれたベリアロクにより、ウルトラマンゼットがグリーザばかりか他の強敵を倒すことになり、ある意味でエックス以上の成果を挙げたかもしれません。
 ウルトラマンゼット=ハルキは怪獣を倒すべきか悩むこともあり、エックスのような能力を知れば「自分にそれがない」とさらに苦しむかもしれませんが、その代わりに手に入れた「グリーザの能力を持つベリアロク」でエックス以上の結果を出すこともあるのは、やはり「勇気と希望」、そして「ワクワク」にも繋がります。
 グリーザと全王は能力や風貌が似ていると私は個人的に考えます。
 

 パターナルかもしれない主人公の論理的に危うい強引な善意は、ときに危険性がありながらも、独特の成果も挙げます。


まとめ


 『ドラゴンボール超』とウルトラマンの新世代ヒーローズシリーズは、それまでのシリーズの「善意を教えない」などのパターナリズムが、世界観の繋がりや敵の増加により危険性を増し、「自己責任」になる部分もありますが、そのトラブルがさらなる成果を逆転して引き起こす「勇気と希望」もみられます。

 

 
 

参考にした物語


 
 
特撮テレビドラマ

円谷一ほか(監督),金城哲夫ほか(脚本),1966(放映期間),『ウルトラQ』,TBS系列(放映局)
樋口祐三ほか(監督),金城哲夫ほか(脚本),1966-1967,『ウルトラマン』,TBS系列(放映局)
野長瀬三摩地ほか(監督),上原正三ほか(脚本),1967 -1968(放映期間),『ウルトラセブン』,TBS系列(放映局)
本多猪四郎ほか(監督),上原正三ほか(脚本),1971,『帰ってきたウルトラマン』,TBS系列
筧正典ほか(監督),市川森一ほか(脚本),1972,『ウルトラマンエース』,TBS系列(放映局)
山際永三(監督),田口成光(脚本),1974,『ウルトラマンタロウ』,TBS系列(放映局)
前田勲ほか(監督),阿井文瓶ほか(脚本),1975,『ウルトラマンレオ』,TBS系列(放映局)
深沢清澄ほか(監督),広瀬㐮ほか(作),1980-1981,『ウルトラマン80』,TBS系列(放映局)
神澤信一(監督),右田昌万(脚本),1994(放映期間),『ウルトラセブン』,日本テレビ系列(放映局)
村石宏實ほか(監督),長谷川圭一(脚本),1996 -1997,『ウルトラマンティガ』,TBS系列(放映局)
村石宏實ほか(監督),川上英幸ほか(脚本),1997 -1998(放映期間),『ウルトラマンダイナ』,TBS系列(放映局)
根本実樹ほか(監督),武上純希ほか(脚本),1998 -1999(放映期間),『ウルトラマンガイア』,TBS系列(放映局)
大西信介ほか(監督),根元実樹ほか(脚本) ,2001 -2002(放映期間),『ウルトラマンコスモス』,TBS系列(放映局)
小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004 -2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)
村上秀晃ほか(監督),金子次郎ほか(脚本),2005-2006,『ウルトラマンマックス』,TBS系列(放映局)
村石宏實ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2006 -2007 (放映期間),『ウルトラマンメビウス』,TBS系列(放映局)
菊池雄一ほか(監督),荒木憲一ほか(脚本),2007 -2008(放映期間),『大怪獣バトル』,BS11系列(放映局)
菊池雄一ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2008 -2009(放映期間),『大怪獣バトル Never Ending Odyssey』,BS11系列(放映局)
アベユーイチほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2013 (放映期間),『ウルトラマンギンガ』,テレビ東京系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2014 (放映期間),『ウルトラマンギンガS』,テレビ東京系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2015 (放映期間),『ウルトラマンエックス』,テレビ東京系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本) ,2016 (放映期間),『ウルトラマンオーブ』,テレビ東京系列(放映局)
坂本浩一(監督),足木淳一郎(脚本),2017,『ウルトラファイトオーブ』,テレビ東京系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),安達寛高ほか(脚本) ,2017,『ウルトラマンジード』,テレビ東京系列(放映局)
武居正能ほか(監督),中野貴雄ほか(脚本),2018,『ウルトラマンR/B』,テレビ東京系列(放映局)
市野龍一ほか(監督),林壮太郎ほか(脚本),2019,『ウルトラマンタイガ』,テレビ東京系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),吹原幸太ほか(脚本),2020,『ウルトラマンZ』,テレビ東京系列(放映局)
坂本浩一ほか(監督),ハヤシナオキほか(脚本),2021-2022,『ウルトラマントリガー』,テレビ東京系列(放映局)

特撮オリジナルビデオ

神澤信一ほか(監督),武上純希ほか(脚本),1998 -2002(発売日),『ウルトラセブン』,VAP(発売元)
會川昇ほか(原案),鈴木清(プロデューサー),テリー・ラーセン(脚本),アンドリュー・プラウズ(監督),1990,『ウルトラマンG(グレート)』,バンダイビジュアル

特撮映画

坂本浩一(監督),小林雄次ほか(脚本),2009,『大怪獣バトル THE MOVIE ウルトラ銀河伝説』,ワーナー・ブラザース(配給)
アベユーイチ(監督・脚本),2010,『ウルトラマンゼロ THE MOVIE 超決戦! ベリアル銀河帝国』,松竹(配給)

おかひでき(監督),長谷川圭一(脚本),2012,『ウルトラマンサーガ』,松竹(配給)

武居正能(監督),中野貴雄(脚本),2019,『劇場版 ウルトラマンR/B セレクト!絆のクリスタル』,松竹(配給)
市野龍一(監督),林壮太郎(脚本),2020,『劇場版 ウルトラマンタイガ ニュージェネクライマックス』,松竹


ネットオリジナル特撮

小中和哉ほか(監督),小林弘利ほか(脚本) ,2016 -2017 (配信期間),『ウルトラマンオーブ THE ORIGIN SAGA』,アマゾンプライムオリジナル(配信元)


https://www.youtube.com/watch?v=GeDbbd_aaxc
『ウルトラギャラクシーファイト 大いなる陰謀』

2022年7月1日閲覧

漫画

鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)
岸本斉史,1999-2015,(発行期間),『NARUTO』,集英社(出版社)

テレビアニメ

大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)
清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
金田耕司ほか(プロデューサー),葛西治(シリーズディレクター),宮原直樹ほか(総作画監督),松井亜弥ほか(脚本),鳥山明(原作),1996 -1997(放映期間),『ドラゴンボールGT』,フジテレビ系列(放映局)
伊達勇登(監督),大和屋暁ほか(脚本),岸本斉史(原作),2002-2007(放映期間),『NARUTO』,テレビ東京系列(放映局)
伊達勇登ほか(監督),吉田伸ほか(脚本),岸本斉史(原作),2007-2017(放映期間),『NARUTO疾風伝』,テレビ東京系列(放映局)

劇場アニメ

山内重保,(監督),小山高生(脚本),1993,『劇場版 ドラゴンボールZ 燃えつきろ!!熱戦・烈戦・超激戦』,東映(配給)
西尾大介(監督),小山高生(脚本),1992,『劇場版 ドラゴンボールZ 激突‼︎100億パワーの戦士たち』,東映(配給)

実写映画

ジェームズ・キャメロン(監督),ジェームズ・キャメロンほか(脚本),1984,『ターミネーター』,オライオン・ピクチャーズ(配給)
ジェームズ・キャメロン(監督),ジェームズ・キャメロンほか(脚本),1991,『ターミネーター2』,トライスター・ピクチャーズ(配給)

テレビドラマ

東元俊哉(原作),渡辺良介ほか(プロデューサー),高橋麻紀(脚本),2020,『テセウスの船』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),八津弘幸ほか(脚本),池井戸潤(原作),2015,『下町ロケット』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),丑尾健太郎(脚本),池井戸潤(原作),2018,『下町ロケット』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),丑尾健太郎(脚本),池井戸潤(原作),2019,『下町ロケット ヤタガラス 特別編』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),八津弘幸(脚本),2013,『半沢直樹』,TBS系列(放映局)
伊與田英徳ほか(プロデューサー),福澤克雄ほか(演出),丑尾健太郎ほか(脚本),2020,『半沢直樹』,TBS系列

参考文献

那須耕介(編著),橋本努(編著),2020,『ナッジ!? 自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム』,勁草書房
沢登俊雄,1997,『現代社会とパターナリズム』,ゆみる出版

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?