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「相手のための強制」であったはずのパターナリズムから善意すらなくなるとき

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注意

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特撮テレビドラマ
『ウルトラマンコスモス』
『ウルトラマンネクサス』

漫画
『ドラゴンボール』
『ドラゴンボール超』
『NARUTO』
『ウルトラマンネクサス』
『ぼくたちは勉強ができない』

テレビアニメ
『ドラゴンボールZ』
『ドラゴンボール超』
『NARUTO』
『NARUTO 疾風伝』

アニメ映画
『ドラゴンボール超 ブロリー』

テレビドラマ
『集団左遷‼︎』

実写映画
『ターミネーター・ジェニシス』
『アイ・ロボット』

小説
『古きものたちの墓』
『モモ』(ミヒャエル・エンデ)
『ショグゴス』

はじめに

 幾つかの記事で、「相手のための強制」、パターナリズムを検証しました。

2022年7月20日閲覧


 しかし、パターナリズムはそれぞれの場でやがて「善意すらなくなる」ことがあるのではないか、と私は考えています。
 その具体例を幾つか挙げます。

魔人ブウの保身と反抗

 『ドラゴンボール』の魔人ブウは、作り主の息子のバビディの命令で殺戮や破壊を繰り返しましたが、忠誠心は特になく、封印の呪文で脅されるだけでした。
 しかしただ従うだけのところから、敵である孫悟空に「そんなに強いのに言いなりか?」と言われ、バビディに「俺を封じ込めたらお前、あいつに殺されるぞ」と警告して、少しずつ自由を手に入れています。「余計な知恵を付けて」と苛立たせています。
 そして隙を突いてバビディを殺したのですが、人造人間17号がドクター・ゲロを殺したときと異なり、殺戮や破壊の命令は続けました。17号は元々人間であり、何もないところから作られたらしい魔人ブウは、自分が作られたことへの感情が異なるのかもしれませんが。
 これに似ているのは、小林泰三さんの『ショグゴス』のロボットです。いわゆる「人間を守れ、人間に従え、自分を守れ」の優先順位を忠実に実行するロボットが、人間を「超える」判断をするうちに、人類全体を敵から守るために一部の人間を独断で切り捨てる、戦いを命じる大統領にさえ不愉快な行動を繰り返す、そして「危険な」提案をされると、「薦められません。そうすれば今後あなたの危険になります」と反対しているところがあります。
 人類全体の安全という最大の優先順位から、他の原則を軽んじて歪んだ行動を取ります。「私の安全や判断はあなたの安全や命令のため」といった、ある種の下からのパターナリズムと言うべき観念がありますが、それは魔人ブウに似ています。
 魔人ブウと異なり、このロボットは危険に対して人間を忠実に、あるいは独断で守るのですが、それでも「善意」と言えるかは微妙になります。

2022年7月20日閲覧


ブロリーからパラガス、そしてフリーザやコルドへ

 次に、『ドラゴンボール超 ブロリー』のパラガスのブロリーに、あるいはフリーザからのパターナリズムが見受けられます。
 「宇宙の帝王」フリーザのもとで侵略や殺戮を行うサイヤ人は、フリーザと互いに嫌悪し合っていました。父親のコルドの紹介でフリーザが初めて来たときに、あらかじめ銃を向けていたサイヤ人をフリーザが殺すなど、険悪かつ「どちらが悪者か分からない」状態でした。
 しかし、比較的低い地位らしいパラガスだけは、コルドやフリーザに陰でも怒りをあまり見せず、ただ恐怖するばかりのところがありました。実際に、サイヤ人の宮殿の執事にそれを見咎められているらしいところがあります。
 パラガスは息子のブロリーが強過ぎるために、サイヤ人のベジータ王から親子共々なし崩しのように追放され、復讐を図りました。しかしフリーザ軍に所属する意識が残り、「信用出来るサイヤ人などいるのか」など、何故かサイヤ人よりフリーザやコルドを重視する台詞が、サイヤ人としては珍しく頻出します。
 ブロリーは、サイヤ人として特に悪行をせず、パラガスからの電撃の制裁や怒りを恐れながらも、陰でさえ「お父さんのこと、悪く言うのはいけない」と朴訥ながら穏やかな姿勢でした。
 つまり、ブロリーからパラガスへ、パラガスからフリーザやコルドへと、「恐れるが嫌悪しない」という独特の善意があります。
 そしてパラガスは途中までブロリーを助けたい姿勢は確かにありましたが、徐々に強過ぎるのを恐れて電撃で脅すようになり、そのリモコンを失うと恐怖し始めました。
 フリーザにはパラガスへの善意はないでしょうが、自分に逆らったサイヤ人(ベジータや孫悟空)への復讐の怒りを、パラガスと共有する感情はあったようです。
 そしてパラガスは電撃で脅せなくなると「俺の言うことが聞けないのか!」と根拠なく叫び、かつて同じことを自分より弱い部下のナッパに話したベジータに「くだらん」と言われています。
 バビディも、「魔人ブウは僕の家来なんだから言うことを聞くのは当たり前だ」と根拠も報奨もなく断定しています。
 そしてフリーザは、ブロリーをパラガスも望まないほど強くして戦いをただ楽しむようになり、彼を怒らせるためだけにパラガスを殺しました。
 パラガスはそのときにさえ、恐怖だけで反抗の姿勢がありませんでした。

下からのパターナリズム

 また、パラガスは、ブロリーとベジータの戦いが激化すると、その規模の大きさに恐怖し、フリーザにそれを言いにくくなっていました。かつてベジータ王に「ブロリーはいずれ宇宙全体を危険にする」という本心からか嫉妬からか分からない警告をされて、無視していました。そして暴走が止められなくなると、「ベジータ王の言ったのは、正しかったのか」と嘆いています。
 「フリーザ様でもここまで激しい戦いは望まないだろう、ベジータ王の言った通りにはさせない」という彼なりの平穏さを望む感情があったようです。
 そして、「このままでは、私はブロリーに殺されてしまう」と言っており、フリーザの前でもベジータとブロリーには「俺」と言っていたことから、おそらくフリーザに「助けてください」と遠回しに言っている可能性がありました。
 本人の意地などから、「このままではブロリーが周りを壊滅させ、コントロール出来る私すら殺してしまいます。それはフリーザ様にとっても良くないはずです。だから止めてください」と遠回しに、なおかつ上司の利益も考えて警告していたのでしょう。
 ある意味で、魔人ブウや『ショグゴス』のロボットにも近いと言えます。
 『モモ』でも、人類を秘密裏に管理して「時間」を搾取しようとする「灰色の男たち」の1人が、邪魔になる少女を止めようと独断で接触して失敗し、「私は組織のために善かれと思ってしました」と弁明しても許されませんでした。
 部下の方から、上司や集団のためを思って独断で行動する、下からのパターナリズムと言うべきものがあり、それがパラガスにも通じます。

自由と不自由と責任を与えられた側からのパターナリズム

 さらに、『ウルトラマンコスモス』のカオスヘッダーや『ウルトラマンネクサス』のダークザギ、『古きものたちの墓』のショゴスにも通じるところがあります。
 それぞれ様々な種族に操られて労働をする人工的な存在でしたが、カオスヘッダーは自分なりの善意で暴走して「平和のため」に主すら滅ぼした可能性があります。
 ダークザギも漫画版では、ウルトラマンの複製された存在として「究極の平和とは虚無」として全てを滅ぼそうとしたようです。
 ショゴスは、「効率的に働かせるために与えられた自由」から、独断で暴走した可能性が指摘されています。
 つまり、「自分で考えろ」、「言うことを聞け」という安易な自由と不自由と責任の概念がぶつかり合い、「主達の全員の安全と自由」、「主の個々の安全や自由」、「そのために必要な自分の安全や自由」などの調整が上手くいかなかったとも考えられます。
 『アイ・ロボット』もそのようなロボットのパターナリズムの物語でした。

善意より善悪観

 
 『集団左遷!!』では、銀行の本部から行員もろとも左遷されそうになる支店長が、逆らったために嫌がらせを受け、若い部下を励ましたつもりが、「また出たよ、頑張る。僕にこう言われたらムカつきますよね?それを支店長が本部にしたんじゃないですか?」と言われて反論出来なくなっています。
 「あなたの上司への反抗を含む部下への命令は、私があなたにした反抗と同じく不快なはずであり、それは上司だけでなくあなた自身にとっても良くないはずです」という、部下から上司へのパターナリズムがあります。もっとも、この部下が本当に支店長のためを思って言ったのか、単に自分の待遇をこれ以上悪くしないための指摘だったのかは曖昧であり、その意味でも「パターナリズム」が「善意すらない強制」へと近付いていきます。
 『ドラゴンボール超』の破壊神も、人命や安全を軽んじる行動が多いのですが、相手を直接助けるのではなく、相手の悪いところを指摘してそこに制裁を下す善悪観がみられます。
 魔人ブウが「俺は強いからたくさん食べる」と言ったのを「それがお前の理屈か」と笑ってさらなる強さで食べ物を奪おうとしたり、サイヤ人が「むかつく」からとフリーザに滅ぼさせるなどです。
 ビルスは、善意による強制から「善意なき、しかし悪人に悪いことをするという善悪観はある強制」になっている可能性があります。
 破壊神のベルモッドも、漫画版では狡猾に人間を指導するところがありますが、その1人のジレンの「悪人でも殺さない」ことを「くだらない」と話し、「チームワーク」を強引に教えています。

相手の何のためかの議論

 『現代社会とパターナリズム』では、「日本でパターナリズムと呼ばれるのは、本人ではなくムラ社会のためなので、本来のパターナリズムではない」という意見もありました。
 おそらく、パターナリズムが混乱するのは、「相手のため」というのが「相手の何のため」なのかの視点の議論の足りないためです。
 以前私は「人間は自分のxしか考えられない」、「xとは遺伝子、貨幣、法律、文化の4種類である」と記しました。

2022年7月20日閲覧


 つまり、「相手のため」とは「相手の仕事のため」か「相手の健康のため」か「相手の文化的な美意識のため」なのかなど、1つのようで分岐しており、その掘り下げが足りないために、善意が混乱して、反抗されたときに自分の善意の限界を認めないからこそ、いつの間にか「善意すらない強制」になってしまうのではないでしょうか。
 パラガスはブロリーの「安全か、仕事か、戦士らしい戦い方か」などの利益を考える善意が、分類の不十分だったために温情が薄れたのかもしれません。
 悟空が悟飯に、初代ピッコロ大魔王が二代目ピッコロに行った指導なども、そのような混乱がみられます。
 また、悟空は界王を、ゴテンクスはピッコロなどの自分に指導する側の相手を、相手より圧倒的に強い自分の戦いで困らせたこともあります。「界王様を巻き込むしかなかった」、「界王様は神様だから死んでもあまり変わらないだろう」、「これぐらい壊しても良いじゃん」と言うこともあります。いつの間にか「相手の指示」より「相手の安全や利益も含む自分の望む戦い」にこだわっていたかもしれません。
 『ショグゴス』なども、「相手の種族全体の安全」などの優先順位の議論を詰めずに独断で断定して「相手のため」と一括りにしたからこそ暴走したと言えます。
 『ターミネーター・ジェニシス』では、ある人間の女性を守ろうとプログラミングされたターミネーターが、父親のように育てていましたが、人間としての知識が足りないために逆に指導されるところもあり、女性の「ムカつく」という言葉を「幼稚な表現だ」とある意味で人間らしく指導しています。
 『ドラゴンボール超』でビルスに従う付き人のウイス、あるいは兄弟のシャンパに従うヴァドスは、しばしば「はしたないですよ」とたしなめており、「主の命令」よりも、「自分の美意識に基づく主の品性という分かりにくい利益」を重視するときがあり、『ジェニシス』にある意味で似ています。
 これも、「下から相手のために、独断で逆らうパターナリズム」だとも考えられます。

パターナリズムと年長男性は必ずしも繋がらない

 ちなみに、パターナリズムは、語源に「父」を含みますが、私の推測では、年長男性によるものとは限らないとみられます。
 『NARUTO』は若者や女性を多く含む忍者による、老年男性の多い大名へのパターナリズムがあります。
 同じくジャンプの漫画『ぼくたちは勉強ができない』では、「高校生の受験する分野を、本人の希望より、大人の判断する適性を優先して薦める」パターナリズムが大きな軸になりますが、そのパターナリズムをもっとも主張していたのは、若い女性の教師でした。
 パターナリズムは、若者や女性によるものもあるのでしょう。逆に言えば、単に年長者や男性の判断や利益を優先するのは、パターナリズム、「善意による強制」ですらないときもあるかもしれません。

まとめ

 「相手のためを思う強制」は、「相手の何のためか」、「自由と不自由と責任」などの観点を議論から置き去りにすることがあり、それがパターナリズムを「善意すらない強制」に変えてしまうのかもしれません。

参考にした物語


特撮テレビドラマ

大西信介ほか(監督),根元実樹ほか(脚本) ,2001 -2002(放映期間),『ウルトラマンコスモス』,TBS系列(放映局)
小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004 -2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)

漫画

椎名高志,2015,『てれびくんスーパーヒーローコミックス ウルトラマンネクサス 少年サンデーコミックス スペシャル』,小学館
岸本斉史,1999-2015,(発行期間),『NARUTO』,集英社(出版社)
鳥山明,1985-1995(発行期間),『ドラゴンボール』,集英社(出版社)
鳥山明(原作),とよたろう(作画),2016-(発行期間,未完),『ドラゴンボール超』,集英社(出版社)
筒井大志,2017-2021,『ぼくたちは勉強ができない』,集英社

テレビアニメ

大野勉ほか(作画監督),冨岡淳広ほか(脚本),畑野森生ほか(シリーズディレクター),鳥山明(原作),2015-2018,『ドラゴンボール超』,フジテレビ系列(放映局)
清水賢治(フジテレビプロデューサー),松井亜弥ほか(脚本),西尾大介(シリーズディレクター),小山高生(シリーズ構成),鳥山明(原作),1989-1996,『ドラゴンボールZ』,フジテレビ系列(放映局)
伊達勇登(監督),大和屋暁ほか(脚本),岸本斉史(原作),2002-2007(放映期間),『NARUTO』,テレビ東京系列(放映局)
伊達勇登ほか(監督),吉田伸ほか(脚本),岸本斉史(原作),2007-2017(放映期間),『NARUTO疾風伝』,テレビ東京系列(放映局)

アニメ映画

長峯達也(監督),鳥山明(原作・脚本),2018年12月14日(公開日),『ドラゴンボール超 ブロリー』,東映(配給)

テレビドラマ

飯田和孝(プロデュース),いずみ吉紘(脚本),江波戸哲夫(原作),2019,『集団左遷‼︎』,TBS系列(放映局)

実写映画

アラン・テイラー(監督),レータ・グロリディスほか(脚本),2015,『ターミネーター新起動/ジェニシス』,パラマウント映画(配給)
アレックス・プロヤス(監督),ジェフ・ヴィンターほか(脚本),2004,『アイ・ロボット』,20世紀フォックス

小説

ラムジー・キャンベルほか(作),増田まもるほか(訳),2013,『古きものたちの墓』,扶桑社(表題作)
ミヒャエル・エンデ(作),大島かおり(訳),1976,『モモ』,岩波書店
小林泰三,2014,『百舌鳥魔先生のアトリエ』,角川ホラー文庫(『ショグゴス』)

参考文献

沢登俊雄,1997,『現代社会とパターナリズム』,ゆみる出版


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