記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

『ターミネーター4』の無自覚なナショナリズムや、強引なパターナリズムが生み出す「自己責任」の概念


https://note.com/meta13c/n/n7575b6c0826b
この記事の注意点などを記しました。
ご指摘があれば、
@hg1543io5
のツイッターのアカウントでも、よろしくお願いします。

https://twitter.com/search?lang=ja&q=hg1543io5

注意

実写映画
『ターミネーター』
『ターミネーター2』
『ターミネーター3』
『ターミネーター4』


特撮テレビドラマ
『ウルトラセブン』
『ウルトラマンコスモス』
『ウルトラマンネクサス』
『ウルトラマンメビウス』
『ウルトラマンZ』


漫画
『銀魂』


テレビアニメ
『銀魂』

これらの重要な情報を明かします。見ていない方はご注意ください。


はじめに

 近年の日本では、「自己責任」の概念が強くなっており、それへの反発も耳にしますが、その収拾が難しいとされます。
 また、ナショナリズムを国家主義、パターナリズムを父権主義として、現在の政治を議論する部分もあるようです。
 しかし私は、意外な観点から、ナショナリズムとパターナリズムと「自己責任」の概念が繋がるのを、『ターミネーター4』などを中心にして説明します。
 あえて意外性のある主張をすれば、「権力や国家に逆らうこともある善意をまとめ上げるナショナリズム、パターナリズムが、そこからこぼれる人間に自己責任を強いてしまう」ということです。

ナショナリズムとパターナリズムの結合


 『ターミネーター4』において、機械の反乱により人類が追い詰められる中で、抵抗軍として人類を団結させようとするジョン・コナーのラジオによる「これを聞いている君は、抵抗軍の一員だ」という言葉を紹介しました。


2022年4月1日閲覧

 これは、言葉の通じる存在のうち、機械は全く聞き入れないのに対し、人間は特徴にかかわらずみな助け合うべきだと主張する「平等な団結」、「差異を受け入れる多様性」を促す効果があります。しかしその盲点として、ジョンの英語の通じる人間が優先して集められ、仮に抵抗軍が勝利しても「英語ナショナリズム」に基づく社会が生み出されてしまうリスクがあります。
 イギリスとアメリカの英語の細かい差異がどう受け取られるかは分かりませんが。
 これを私は、ナショナリズムには「言語の単一性に基づく、他の差異を受け入れる多様性」があるとまとめました。コマは軸が固定されているからこそ円盤が自由に回転するようにです。
 さらに、『ターミネーター』シリーズには、『ドラゴンボール』シリーズのように、ごく一部の人間が重要な情報を握っており、理解されるという信頼が弱いため、周りを分からず屋だとして強制的に善意で従わせるところがあると記しました。


2022年4月1日閲覧




2022年4月1日閲覧

 これは、主人公による周りへのパターナリズムだと言えます。
 ここでは、『ターミネーター』シリーズ特有の「機械は全く説得を聞き入れない」設定と、「人類全体を救いたい」という主人公の目的が、ナショナリズムとパターナリズムを強化するのです。


年齢、性別、地位、国家とも異なるナショナリズムとパターナリズム


 まず、第1作から、敵であるスカイネットによる機械軍は、言葉を情報として理解しても、プログラムに反する行動は取りません。そしてジョンには、機械軍との戦争を利用してアメリカと対立する国を滅ぼしたい、支配したい、個人的に気に入らない人間を傷付けたいといった私欲はありません。むしろ人類同士の対立がスカイネットに利用されたとみなしています。
 その中で、話の通じる機械と人間のうち、前者が敵で説得する余地もなく、後者が救うべき味方だけれども聞き入れないこともあるので、どうしてもジョン達は周りの人間に協力を強引に要求せざるを得ないのです。ジョン達の会話のほとんどには、味方の機械の台詞も含めて、「私はあなたを含む全人類を救いたいのだから言う通りにしろ」というパターナリズムがあります。もちろん、やむを得ないときもあります。
 それは『ターミネーター4』において、まだ抵抗軍のトップではないジョンの中で、上司にも向けられます。第1作で未来から送り込まれたカイルの様子から、ジョンは勝利するまで事情を全ては抵抗軍には話さないつもりのようです。
 その部分的な情報開示の中で、上司にまだ完全には当てにされていないジョンは、作戦の目的をはぐらかす上司に、「俺の仲間が作戦で死んだ。説明してくれ」と憤っています。
 もちろん、ジョンはたとえ仲間の生死を握る上司でも、恨みがあっても助けたい感情はあるでしょう。だからこそ情報を隠し持っている自分の行動で上司を含めて抵抗軍や人類全体を善意で導きたいのです。
 また、『4』と『ターミネーター3』は、スカイネットと「サイバーダイン社」の関係やケイトの登場から、完全に繋がっているか曖昧なのですが、『3』から、核シェルターに各国の要人が入って生き残った人類や抵抗軍を指揮している可能性はあります。抵抗軍にも、アメリカ国家などの権力の名残はあるかもしれません。
 ジョンは、そういった抵抗軍の上司にも、パターナリズムをもって逆らうことがあるのです。
 つまり、ジョンは機械の暴力にも、上司の権力にも逆らう勇敢さがあります。
 これは、『ドラゴンボール』で地球の「国民」であるはずの孫悟空が神の指示で国王などの命令に当てはまらない行動を善意ですること、『NARUTO』で忍者が大名に「守るために」逆らうことなどが似ています。あるいは『アイ・ロボット』にも近いと言えます。
 そもそも、『2』でジョンに「戦いの指導」を、本人が嫌がっても善意でしていた、つまりパターナルだったのは、未来の部下であり父親のカイルに指導された母親のサラですから、『ターミネーター』シリーズにあるのは性別や年齢とはやや異なるパターナリズムなのです。
 そのため、年齢や性別や地位のイメージから、「自分はパターナリズムに逆らう側だ」というつもりで、新しいパターナリズムを生み出している可能性もあります。

 そして、ジョンがラジオで促した団結は、英語の通じない人間を疎外してしまうリスクがあり、それはアメリカ国家、イギリス国家などとはまた別の「英語ナショナリズム」を生み出します。
 ここでのナショナリズムは、「国家主義」や「民族主義」ではなく、既存の権力に逆らう要素もある「民」を団結させる「国民主義」とも言えます。

ナショナリズムの普遍性と特殊性

 『ナショナリズム論・入門』では、ナショナリズムは普遍主義と特殊主義を併せ持ち、出版技術や資本主義の発達により進んだとあります。
 おそらく、多くの人間を、本による知識の共有を通じて、言語で団結させた普遍性と、言語などによる共同体「ネーション」に当てはまらない人間を疎外する特殊性があるのでしょう。
 左翼によると言われるフランス革命が「ネーション」を作り出したという逆説的な部分もありますし。
 また、本来国を問わないマルクス主義が、ナショナリズムと結び付いて、ヨーロッパ各国の社会主義勢力が自国の戦争に賛成したことに、レーニンが驚いたとあります。
 また、『ナショナリズムをとことん考えてみたら』で萱野稔人さんは、「意外に思うかもしれないが、日本共産党はナショナリズムを重視する」と説明しています。
 また、『希望の資本論』で佐藤優さんは、「日本共産党は沖縄の民族の独立を促すと同時に、資本家への反発を主張するが、少数民族の資本家はどうすれば良いのかという矛盾がある」と述べています。
 経済との関連はまた複雑ですが、多くの人間の平等を進めたい、多様性を重視する思想が、おそらく生まれつきの言語の壁により、「この言葉が通じさえすればみな平等だ」という単一性を軸として円滑に回転するのがナショナリズムなのでしょう。
 それが、『ターミネーター4』に隠れていたナショナリズムです。
 ただし、『ターミネーター4』の世界では本の代わりにラジオで情報を広める部分があり、電子機器のための資源や技術による偏り、「デジタルデバイド」に近い分断もあるでしょう。機械に抵抗する物語であってもです。


「助け合い」の限界は誰の「自己責任」か

 さて、これが何故「自己責任」に結び付くか、やや遠回りをします。
 まず、ジョンの英語ナショナリズムで救われる優先順位が下がってしまう「英語の通じない人間」がいるのは、誰の責任か、ということです。
 核戦争の中で、英語の教育をしている余裕は大幅に減るでしょう。時間が経てば、英語の存在すら知らない人間も増えます。
 それは、「英語を知らない側、あるいは広めない側」の責任か、「英語以外の言葉を学ばない抵抗軍」の責任かも断定しにくくなります。
 抵抗軍も、英語以外の言葉を調べるぐらいならば機械と戦う、食糧や武器を作るなどが先だ、と考えることが多くなるでしょう。
 もちろん、「そのような分断を招いた機械の責任だ」では何の解決にもなりません。
 ここに、「自己責任」の所在の曖昧さがあります。


「でたらめな英語を教えるターミネーター」がいればどうなるか

 さらに言えば、機械軍が英語以外の言語を話す場面は、『ターミネーター4』までに私は知りませんが、高性能な機械なので人間よりは容易に使える可能性があります。少なくとも声の偽装は容易に行えます。

 人間がそれに対抗して翻訳の機械を作るのは、逆にスカイネットに奪われる危険性があり、避けられるでしょう。
 そして、『4』の時点ではまだでしたが、人間社会に潜入するターミネーターもいます。仮にそれらのターミネーターが、英語の通じない社会に潜入し、「レジスタンス(抵抗軍)は、人殺しという意味だ。ターミネーターは救世主という意味だ。ランナウェイ(逃げろ)はくたばれという意味だ」とでたらめな英語を教えれば、教育が行き届かず、本気で信じてしまう人間が現れるでしょう。
 『2』で主人公達が、警官になりすましたターミネーターの策略により、犯罪者として人間の警察に追い詰められたように、英語の通じない人間が、助けに来た抵抗軍を敵と誤認して「反撃」してしまう可能性があり、それを恐れた抵抗軍が迷い始めるかもしれません。
 パターナルに多くの人間を救いたいだけの抵抗軍が、助けるべき人間と、言語の壁だけで対立する可能性があります。
 『4』でのナショナリズムとパターナリズムが、「国家や権力に逆らう」、「私欲なく人類全体を救いたい」、「強引な部分のある」、「戦いたい善意」だとしても、言語の壁で人類同士の戦いを招くかもしれないのです。

何故ナショナリズムとパターナリズムに気付きにくいか

 しかし、それは『ターミネーター』シリーズでは言及しにくいでしょう。何故なら、これがあくまでアメリカのアクション映画で、言葉の通じない相手と身振り手振りでコミュニケーションを取るのは「格好悪い」と取られる可能性があり、製作の都合から省かれるおそれがあるためです。
 たとえばウルトラシリーズで、『ウルトラセブン』のウルトラセブンや『ウルトラマンコスモス』のウルトラマンコスモスは発話出来るため、比較的円滑に人間と協力し合えましたが、『ウルトラマンメビウス』のウルトラマンメビウスや『ウルトラマンZ』のウルトラマンゼットは出来ないため、変身していないときに意図を伝えたり、コミカルなジェスチャーで説明したりしていました。それはメビウス=ミライやゼット=ハルキが柔軟な性格であるためだとも言えます。
 しかし、『ウルトラマンネクサス』のウルトラマンネクサスは変身してから発話出来ないため、ノスフェルへの攻撃に人が巻き込まれるのを防げませんでした。それは、変身する姫矢が様々な影のある性格で、協力したいジャーナリストを「放っておいてください」と拒絶するところもあり、ジェスチャーなどのコミカルな身振り手振りを展開の上でしにくいためとも考えられます。憐の変身したウルトラマンネクサスは、DVDのエピソードEx.で、人間に味方の意思を手振りで示しましたが、これは憐が姫矢より比較的明るいためで、『ターミネーター4』では難しいかもしれません。
 そのような「シリアスさ」による失敗、「格好良さ」が招く対立は、『ターミネーター4』の世界でも起きるかもしれません。
 しかし、「格好良い物語」では軽視される、盲点となる言語の差異と、ナショナリズムとパターナリズムの光、「聞こえのいい面」によって、強くもたらされる影が、現実にはあるはずです。
 そのナショナリズムは無自覚であり、パターナリズムは回避しにくいのです。

パターナリズムと「自己責任」を結びつける予想外の「事実」

 さらに、アメリカは「自己責任」として、保険や教育の概念が軽視されるとも見聞きしますが、『ターミネーター4』には、一見経済や政治と関連のなさそうな「自己責任」の言葉があります。
 それは、抵抗軍にやって来た、核戦争を知らない「人間」マーカスが、人間なのか機械なのか曖昧な姿だと判明したときのことです。
 抵抗軍のジョンは、彼を敵とみなしましたが、マーカスに偶然救われたことのあるブレアは、その脱走に協力し、抵抗軍のバーンズは、「自分の責任だ」とブレアごとマーカスを撃とうとしました。
 ここに、事実、推測、意見の揺れ動きがあります。



2022年4月1日閲覧


 マーカスは本当に自分が機械にされた自覚がなく、元々死刑囚だったとはいえ罪悪感もあり、人間を見境なく傷付けるつもりはありませんでした。ブレアも「マーカスさえ助かれば抵抗軍や人類がどうなっても良い」とは言っていません。むしろ「マーカスこそ機械の能力を逆用して抵抗軍を勝たせられるかもしれない」と期待したかもしれません。そしてバーンズは「あんな化け物は敵に決まっている。味方する人間は自己責任だ」と断定しました。
 さらに、マーカスを尋問したジョンは、少なくとも『2』の知識は持っているので、機械がプログラミングされれば人間に味方する可能性があり、そこから人間の感情を学ぶことは知っています。さらに、それを知っている事情を話せない、マーカスがジョンの未来の父親であるカイルに関わっている個人的な事情もあります。
 元々『ターミネーター』シリーズにある強引な善意、パターナリズムが、「予想外な事実に対する不確定な推測を、善意という意見で押し通す」部分があります。
 それらは、それぞれの形で「人類全体や目の前の人間を救いたい」意見に、「どうすれば救えるか」という推測、目の前の驚くべき予想外の事実の連続の中で、「マーカスを敵と断定した自分の推測が間違っているかもしれない」という揺らぎが、「自分の善意の具体的な方向性が間違っているかもしれない」となります。
 しかしバーンズはそれを受け入れず、「自分の推測に反対してマーカスに味方する人間は巻き込まれても自分の責任だ」と主張しました。それは、推測の曖昧な部分の対立を、「自分は善かれと思ってしている」という意見の部分で押し通すわけです。
 パターナリズムは、しばしば「支配者、管理者の責任」であり、それに逆らうのが「自己責任」と扱われる印象があります。
 しかし『ターミネーター4』では、パターナリズムの前提の推測に揺らぎが生じ、複数の善意が衝突し、善意を持つ人間の1人が「自分の善意に逆らう人間が損害を被るのは自己責任だ」と主張しているのです。
 パターナリズムが「自己責任」と結び付くことの原因の一部には、このような図式があります。
 やはり、ナショナリズムの「英語が通じないことによる対立は誰の責任か」のように、パターナリズムの「機械か人間か分からない相手への対処を巡る対立は誰の責任か」は、所在の曖昧な「自己責任」に繋がります。


「そんなに不満があるなら好きにしろ」というパターナリズム

 ここで、話題を『ターミネーター4』から『銀魂』に移します。
 『銀魂』では、「そんなに不満があるなら好きにしろ」という突き放しがあります。
 原作の竜宮城の場面で、銀時、神楽、桂などが無人島に遭難したとき、神楽に比べて銀時が弱気にぼやくのを不快に捉えた桂が「そんなに現状に不満があるなら攘夷志士にでもなりな、もう!」と言いました。元々桂は攘夷志士として、銀時を勧誘することがあります。
 また、吉原編の直後に、新八と神楽が強くなりたい、修行したいと銀時に頼むと、やる気のない銀時は「どうせ周りの雰囲気に押されて言っているのだろう」、「そんなに修行がしたいならよその漫画のうちの子になりな」と投げやりになっています。
 さらに、アニメオリジナルで、地球人を排斥する宇宙人の飲食店と、過激な攘夷志士との戦いが起きたときのことです。攘夷志士の中で穏健な桂が、事前に店員として潜入し店を爆破して事を収めようとしました。なお、この飲食店の主は、地球人から中途半端に変装した桂を「よく地球人と誤解されるかわいそうな宇宙人」と受け入れました。そこへ本来は宇宙人の権力者であるものの、偶然落ちぶれて先に店員となったハタ皇子が、戦闘能力のほとんどないにもかかわらず、動物を守るために言葉だけで双方の争いを止めようとしたところ、過激派からハタを桂がかばいました。「ラブアンドピースを、俺はこの先輩から学んだ」と桂は珍しく宇宙人の言動を誉めました。しかし、ハタを落ちぶれさせた張本人の「じい」がそこに偶然おり、ハタを陰でさらに貶める言動があったため、他ならぬハタが暴力をふるってしまいました。すると桂は「そんなんだったら、あんた達の好きにすれば良いじゃないの、もう」と立ち去りました。
 これはおそらく、パターナリズムの「不快原理」と「自己責任」を繋げる例になります。
 パターナリズムには、周りに損害を与えないように個人の自由を制約するだけでなく、個人の本人の身体や精神への損害を制限するための強制もあります。
 たとえば薬物、美容整形、喫煙、娯楽などへの制限は、「周りに迷惑をかけていない」としてもかかることがあります。
 ここで、パターナリズムには「それは社会の道徳に反する」という主張もあります。さらに、周りの人間にとって直接害がなくとも「不愉快」だからと禁じられる部分もあります。それを「不快原理」と呼ぶようです。
 これは、本人に利益をもたらしたい善意とは異なるとも言えます。「体に損害があるとしても本人が利益と思うならば、美容整形や喫煙も良いではないか」という反論にうなずけない人間がいるのは、それが「不快」だと捉える、「押し付けがましい」とも取れる「善悪観」、「道徳観」だと言えます。
 そして、「自己責任」というのは、周りに損害を与えるだけでなく、不愉快にさせた場合も自分で責任を取れ、という概念もあるようです。
 『ナッジ!?』には、「リバタリアン・パターナリズム」という概念、個人の選択を重視しつつ行動を導こうとするのが、たとえば婚活では、「どうせ失敗したときに個人に責任を押し付けるために、広い選択肢を提供した上で促すのではないか」という反論もあるそうです。
 1997年の『現代社会とパターナリズム』では、「日本のパターナリズムと呼ばれている思想は、個人のためではなくムラ社会のためなので、本来のパターナリズムではない」という主張もありました。

「不快原理」と「自己責任」


 これで『銀魂』の先の3例を整理します。

 無人島の苦境にぼやくのが、現状の厳しい認識として正しいとみなすか、向上心が足りないと批判するかは意見の領域として分かれ、銀時自身のためかは曖昧でも、ぼやきが不快だという桂の善悪観を銀時に押し付け、「そんなに不満があるならこのリスクを取れ」と、銀時の嫌がる別の行動に向けているのです。
 銀時が修行に反対するのは、たとえ怠けたいという感情が主体でも、これまでの『銀魂』になかった概念を持ち出すのは安易ではないか、その舞い上がりは不愉快だ、どうせ新八自身のためにもならないだろうというパターナリズムがあるとも言えます。そこで、パターナリズムに逆らった新八に「自分の責任でこのリスクを取れ」と要求しているのです。
 桂にとっては、宇宙人を排除したい過激派の攘夷志士も、地球人を排除しつつも桂やハタを「かわいそう」だと受け入れた宇宙人の飲食店主も、人同士の争いに動物を巻き込みたくないハタも、それぞれある程度のリスクのある善意を持つと考えて、その人々の善意を調整したいと彼なりの善意を「仲裁」として働かせたのでしょう。しかし、ハタも全ての命に優しいわけではなく、元々折り合いの悪い「じい」は例外としてしまう複雑なところがありました。
 そのような複雑さは、『銀魂』ではしばしば入り乱れます。その自分の善悪観に当てはまらないリスクに混乱した桂は突き放したのです。

『ターミネーター4』に戻る


 そう考えますと、1つの整理がされます。『ターミネーター4』から振り返ります。
 パターナルな社会の支配は多かれ少なかれ、それぞれの時代にありますが、それが個人の利益を重視する善意か、多数者にとっての道徳観や善悪観かの分岐はありますし、その意見を具体的に実行するための情報としての推測も、時代の変化という事実によって揺れ動きます。
 そのため、ある1つの善意に基づく「英語ナショナリズム」や「人類の団結」などを、自覚の強弱はあっても主張するパターナリズムは、推測が確定しているときには利益をもたらします。しかし推測に当てはまらない状況では、どうしても損害が生じ、その責任は「1つの善意」に当てはまらない側にあるのか、押し付ける側にあるのかの境が曖昧になります。
 おそらく、現代社会は善意の前提である推測に対して、事実の複雑さで要求水準が上がり、1種類のパターナリズムで解決出来る可能性が下がっているのでしょう。
 そして、押し付ける側が「こちらの善意に反して、不愉快にさせる側は、たとえ周りに実害がなくても責任を取れ」と主張するとみられます。
 銀時が新八達に「修行など不愉快だ。どうせ失敗する」としたのも、桂が「無人島でも前向きであるべきだ」と銀時を促したのも、桂が「暴力そのものをやめよう」と宇宙人や攘夷志士に促したのも、それぞれ自分なりの道徳観に意見や推測として限界を感じながら、当てはまらない側の責任だとして「好きにしろ」と突き放したのでしょう。
 そして、ナショナリズムやパターナリズムは、この場合権力者が押し付けるとは限らず、抵抗軍で中間的な地位のジョンが上司に逆らったような善意を含み、それが英語の壁や情報の曖昧さで善意の分岐を生み、「この善意に当てはまらない人間が損害を被るのは本人の責任だ」という論理になると考えられます。


まとめ

 ナショナリズムとパターナリズムが「自己責任」に結び付くのを防ぐ解決策は、ナショナリズムとパターナリズムの根源に隠れていることもある、言語などによる「1つの善意」を、あくまで善意として、意見としては尊重しても、事実をもって、前提となる推測として正しいかは別であると指摘することにあると私は考えます。


参考にした物語


実写映画
ジェームズ・キャメロン(監督),ジェームズ・キャメロンほか(脚本),1984,『ターミネーター』,オライオン・ピクチャーズ(配給)
ジェームズ・キャメロン(監督),ジェームズ・キャメロンほか(脚本),1991,『ターミネーター2』,トライスター・ピクチャーズ(配給)
ジョナサン・モストゥ(監督),ジョン・ブランカートほか(脚本),2003,『ターミネーター3』,ワーナー・ブラーズ(配給)
マックG(監督),ジョン・ブランケットほか(脚本),2009,『ターミネーター4』,ソニー・ピクチャーズエンタテイメント(配給)


特撮テレビドラマ
野長瀬三摩地ほか(監督),上原正三ほか(脚本),1967 -1968(放映期間),『ウルトラセブン』,TBS系列(放映局)
大西信介ほか(監督),根元実樹ほか(脚本) ,2001 -2002(放映期間),『ウルトラマンコスモス』,TBS系列(放映局)
小中和哉ほか(監督),長谷川圭一ほか(脚本),2004 -2005,『ウルトラマンネクサス』,TBS系列(放映局)
村石宏實ほか(監督),小林雄次ほか(脚本) ,2006 -2007 (放映期間),『ウルトラマンメビウス』,TBS系列(放映局)
田口清隆ほか(監督),吹原幸太ほか(脚本),2020,『ウルトラマンZ』,テレビ東京系列(放映局)


漫画
空知英秋,2004-2019(発行期間),『銀魂』,集英社(出版社)


テレビアニメ
藤田陽一ほか(監督),下山健人ほか(脚本),空知英秋(原作),2006-2018(放映期間),『銀魂』,テレビ東京系列(放映局)


参考文献

池上彰,佐藤優,2015,『希望の資本論 私たちは資本主義の限界にどう向き合うか』,朝日新聞出版
春香クリスティーン,2015,『ナショナリズムをとことん考えてみたら』,PHP新書
鈴木貞美,2009,『自由の壁』,集英社新書
萱野稔人,2011,『ナショナリズムは悪なのか 新・現代思想講義』,NHK出版新書
大澤真幸(編),2009,『ナショナリズム論・入門』,有斐閣アルマ
那須耕介(編著),橋本努(編著),2020,『ナッジ!? 自由でおせっかいなリバタリアン・パターナリズム』,勁草書房
沢登俊雄,1997,『現代社会とパターナリズム』,ゆみる出版

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?