ミャンマーとそのまわり、幸せをくれる暮らしのモノとコト_Vol.12_ミャンマー・ヤンゴンのアンティーク琺瑯(ほうろう)
ヤンゴン在住4年目、4歳男子の母のイワサマキコです。
ともすれば、バタバタと過ぎて行ってしまうミャンマー・ヤンゴンでの日常ですが、日々の暮らしに幸せをくれるモノやコトを見つけるのがささやかな楽しみです。手仕事やアンティーク、伝統工芸品が大好き。
旅先で見つけたものを日常で使うのが至上の喜び。そんな日々に幸せをくれるモノやコトをご紹介します。
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田舎の古い日本家屋で生まれ育ったため、おしゃれな雑貨やインテリアというのは、私にとってはテレビや雑誌の中の世界でした。
環境がセンスを育てるという事があると思いますが、私に育ったのは、センスの良い人やセンスの良いもの、センスの良い場所に対する焦燥感にも似た強い憧れと、自分には培われたセンスがない、というコンプレックスでした。
その焦燥感とコンプレックスを原動力に、絶対に!絶対に!絶対に!素敵なもの、好きなものに囲まれて暮らしたい!と、おしゃれな雑貨やインテリアを追い求めてきました。
当時は、センスもこだわりもないと思っていたけれど、今にして思えば、あれ、かなり可愛かったかも…というアイテムが実家にはありました。それは、歯磨きコーナーに置いてあったレトロな黄色の琺瑯カップです。
何十年かの時を経て、その琺瑯カップを思い出したのは、ミャンマーでも琺瑯のアイテムをよく見かけるからでした。
琺瑯容器は、おしゃれな雑貨屋さんやレストランではなく、屋台や、ローカル感満載の地元の風景の中で、作り置きしたミャンマー式のおかずを入れたり、ミャンマーふりかけを入れたりして使われています。
それらは、決しておしゃれな食卓を演出するためではなく、本当に日常の道具として使われているのですが、その素朴さと可愛らしさに、かなり!ときめいてしまいました。
都会的でファッションもバッチリ決めていて、メイクも上手な女性はもちろん素敵なのですが、下町の駄菓子屋の店番をしている質素な女の子が、よく見るとはっとするほど美しいのを発見したような気持ちです。
そんなわけで、「私もあの琺瑯容器が欲しいな」と思っていた時に目についたのが、とあるカフェが閉店するので備品を手放します、というガレージセールの案内でした。手放す予定の備品の中には、アンティーク琺瑯のマグカップが数個あったのです!白地にネイビーの縁に、なんともレトロな花柄!
ガレージセールに行く友人に頼んで購入してきてもらい、晴れて私の元にも、琺瑯がやってきたのでした。
我が家にやってきた3個の琺瑯カップは、洗面所で歯ブラシ立てに使ったり、キッチンで、青汁スティックを入れておくのに使ったり、計量カップや小さなすりこぎを入れておくのに使ったり。
ただの飾りではなく、ミャンマーの人がそのように使っているように、生活の道具として大活用しています。
その他にも、帰国する友人からもらったクリームイエローとミントグリーンの蓋つき琺瑯カップは、オイルポットとして。
パン屋さんで購入した白地にグリーンの蓋と取っ手がついた琺瑯容器は、お菓子やナッツを入れて。
琺瑯容器が増えるたび、生活の中に美しくて可愛らしいものが取り入れられ、歯磨きしたり、料理したりという日々のルーチンが優しい時間になります。
通勤路にある駄菓子屋さん、店番の素朴な美しい少女を毎朝横目に見ると、なんだかその日いちにち頑張れる。そんな情景を想像します。
幼い私が、古い日本家屋の片隅で、琺瑯カップでうがいをする姿にも、そんな素朴な美しさがあったのかもしれません。
日々、琺瑯容器を見つめていると、焦燥感にも似たコンプレックスはいつの間にか消えていて、コンプレックスを消すためではなく、自分や家族を大切にするために生活の道具を選んでいる事に気づきます。
私は美しい。そして美しいものに囲まれるのが好きなのだ。
誰かに自慢するためでも、誰かに見せるためでもなく、ただ自分のために美しいものを探して使う事。
根深かったコンプレックスは、私に、こんな幸せな今を連れてきてくれました。
P.S.
濃い色の琺瑯容器や、三段重ねのお弁当容器もいつか手に入れたい!
パン屋さんにて。
2014年〜ミャンマー在住。IT企業を現地でやっている夫、現地のローカル幼稚園に通う3歳の息子と一緒に、日々アレコレドタバタやってます。サポート頂いたら、新しいモノコト探しに使わせて頂きたいです!