目的地を定めない旅〜合宿へ〜【後編】
ロゴ制作の一環として、私たちは「徒歩旅行"Wayfaring"」に出ることにしました。前編は一日目のことでしたが、今回は二日目です。
二日目(2021年9月某日)
決めていた時間よりも少し遅めに起きて、前日に買い込んだ食材でしっかり目の朝食を食べる。丹那ヨーグルトのパッケージがかわいい。
のんびり準備をしていたら、チェックアウトの時間が迫ってきた。あと数十分で出なければ!と思っていたら、玄関が開く音がする。
「できるところから掃除させていただきますので!」
70代くらいだろうか?チャキチャキしたおばあさんが家に入ってきた!きっとお掃除を頼まれている方で、少し早めにいらっしゃったんだろう…私たちは追い立てられるようにして、宿泊所をチェックアウトした。
私たちは駅に荷物を預け、ブラブラと歩くことにした。
民俗学者・宮本常一の言葉を思い出しつつ、まずは高いところに登ってみることにした。高いところから、町の全貌を見たい。
坂を登っている途中で、交差点の角にあるガス保管庫に目が留まった。ガス保管庫の壁には、なにやら絵が書かれている。80~90年代を彷彿とさせる味があるヤシの木、夕焼けっぽいオレンジ色。絵の上部には「インドネシア料理 ジュンバタンメラ」と書かれており、店までの略図も載っていた。
今も「ジュンバタンメラ」は現存しているのだろうか?
すこし引っかかりを感じつつも、先に進み、坂を登りきると、神社にたどり着いた。
神社の手前の道からは、海や宇佐美の町が見渡せた。私達が歩いていたエリアはこの規模感だったのか…
「あそこが駅で、あの辺りが宿泊したところですかね」
「あ、ピンクのビルが見えますよ!」
「やっぱり海と山が近いんですね…」
「そういえば、海の方に行ってないですよね。海の方に行ってみますか」
私たちは元きた道には戻らずに、海の方に下っていくことにした。
私はジュンバタンメラが気になったので、先頭を歩き、あの壁画の地図を思い出しながら、北側の道を選んだ。
選んだ道は、比較的大きな道で、標識によると国道のようだ。
昔の街道を無理やり相互通行できるよう舗装したようで、道幅がギリギリだ。歩道がほとんどない。道路に面するように家が立ち並んでいる。しかし、タンクローリーなどが頻繁に行き来するため、あるくのが少し怖い。
橋の手前で、河川敷を下ることができる道が出てきたので、少しホッとした。国道を外れ、その道を歩く。右側には河口の割に小さな川に水が流れており、心地いい。左側は石垣になっており、少し歩くと教会の看板がみえた。
何人かの人が教会の方へ登っていき、今日が日曜日だったことに気がつく。
教会の角を抜けると、そこは海だ。
一気に視界が広がり、「わー海だー」という気分になる。雲はあるが、少し青空が見える。右手には砂浜が広がっており、サーフィンをしている人が見える。
左手側は遊歩道になっており、その先に漁港?のようなものが見える。
私たちは何も言わないが、なんとなく左に足をすすめる。
海岸線を歩いていくと、突然、漁師町に入ってきた感じがする。
道幅が狭まり、なにか大きな建物があると思ったら、漁協の建物だった。
釣りに来た人が、船にのって沖に出ていこうとしてるのが見えた。貸船などをやっているのかもしれない。楽しそうだ。
港の中を進んでいくと、防波堤などで釣りをしている人が何人かいる。釣り人を見ると、週末って感じがするのは、私の祖父がいつも週末に釣りをしていたからだろうか。
漁港の奥の方に進んでいくと、道が続いていた。まだ先がありそうなので、とりあえず進んでみる。奥のほうから若い人々の声が聞こえてくる。BBQでもしているのかな?
生け垣が立派な家の前を通り過ぎると、ウエットスーツがたくさん干された場所に出た。ダイビング施設があるようだ。沖に出る船に乗る人々で少し混雑している。
漁師町と、漁港の風景が連続していたはずが、突然リゾート風の建物があらわれたので、びっくりした。
とてもキラキラした人々がいるので、おっかなびっくりではあったが、どんな施設なのか気になり、のぞいてみると、「バリ料理サヤン」の看板が!
そろそろ昼時で、お腹が減っていた私たちは、バリ料理店に入ってみることにした。
ダイバーたちが来ると、人がいっぱいなるであろう、広めの店内には、ほとんど客がおらず、私達と、女性の一人客、ダイビングショップのスタッフたちだけが座っていた。
ランチを注文し、しばらく海を眺める。
いい景色だ…
ナシゴレンなどが運ばれてきて、そういえば、と気がつく。ここがあの「ジュンバタンメラ」なのではないか?
食事を食べていると、海外のレストランのように、シェフが味を聞きに来てくれた。彼はインドネシアから来たそうで「コロナで里帰りできていなくて大変だ」「ここで結構シェフしてる」などと世間話をしてくれた。
彼が来る前もレストランがあったらしいが、前の店の名前まではわからなかった。
比嘉さんと私よりも、高橋さんが突っ込んだ質問を店主にしてくださり、「すごいな~わたしにはなかなかできないな…」と思っていた。
その様子を見ながら、ふと、昔の自分を思い出した。
はじめてフィールドワークした時の、バンコクの路上がフラッシュバックしていた。大きな犬を飼っている、通訳してくれた大学院生の叔母さんの家で「ピー(タイ語でオバケ)」について質問したことを…
私もバンコクで初対面の人に突っ込んだ質問をしていたのだ。
今も質問することはあるが、バンコクでの自分とはスタイルが違う気がする。昔と今で私の何が変化しているんだろう?そんなことをぼんやり考えていたら、食後のコーヒーを飲み干していた。
私たちは、砂浜を歩いてみることにした。
子供が波打ち際で遊んでいるのを見て、どうしても自分も素足で砂浜をあるきたくなったので、二人に靴を預け、自分だけ靴を脱いで海に足をつけた。
結構冷たい。もうなんだかんだ、9月だもんな…
一日歩いた足は結構重たい事がわかる。コロナ禍で在宅していたから、そんなに歩かなかったな…今日は久しぶりに「移動」ではない歩きができて良かったな。
そんなことをしていたら、帰りの電車の時間が迫っていることがわかった。急いで足を拭き、駅に戻り始める。
初日に通った駅前商店街を通り、駅に戻り、「旅のアシンル」にて用を足し、電車に飛び乗った。
熱海の貸し会議室
熱海に到着し、予約していた貸し会議室へ向かった。歩き始めると、坂が急で、建物が高く、宇佐美の穏やかさを相対的に実感する。
アップダウンが激しい道を抜け、貸し会議室にたどり着くと、とても親切な案内人が2階へ案内してくれた。コーヒーが頼めるということで、コーヒーを注文して、会議室へと向かう。
私たちはそれぞれが撮影した写真を印刷しつつ、「徒歩旅行」の感想を話し合った。
一日目の振り返りでも感じたことだったが、3人共、現実を捉える視点、プロセス、方向性が異なることを再認識した。
比嘉さんは見たものから得た情動を重視していた。しかも、強く記憶に残ったことがより重要だと考えているようだった。「その場で感じた情動を思い出すためにメモや写真を撮っている」と、自身の行動を説明していた。確かに私や高橋さんに比べると写真の量が極端に少ない。また、歩いている途中の言葉も一番少なかったように思う。その姿から、言語化や撮影で捨象されてしまうことに対して真摯に向き合っていると感じた。
一方で、私の撮った写真やメモ、言動を振り返ると、見たものを「情報」に一旦落とし込んで解釈していることが多いなと感じた。私は赤色のマンホールの写真を撮っていたのだが、赤という色そのものやその存在そのものとして受け取っているというよりも、「普通は茶色や.水色のマンホールが多いのに、ここでは赤色だから、なにか特別な情報を示しているはずだ」と考えて撮影しているようだった。無意識のうちに考え、情報化して、撮影しているのではないか?と高橋さんからコメントをもらい、なるほど確かにそうだなと思った。
高橋さんの写真は、色と形、光にフォーカスしているものが多かった。こればかりは見てもらったほうが良い気がするので、高橋さんの素晴らしい写真を引用する。
3人の視点や「ものの見方」の違い、ともに経験したことを話し合い、時間になったので、貸し会議室を後にした。
熱海駅に向かう途中、干物を見つけたので、干物を買い、電車に乗った。
こうして、メッシュワークのロゴ作成のための「徒歩旅行」に区切りがつけられ、各自それぞれの家へ「輸送」されていった。
(メッシュワーク・水上)
次回はデザイナーの高橋真美さんが、この経験をどのように理解したのか?ロゴ作成という具体的なモノに落とし込んで行く過程と共にお聞きしたいと思う。私も知らない過程が多そうなので、とても楽しみです。お楽しみに。
公開されました!第5回
メッシュワークのロゴデザイン連載一覧
第1回(メッシュワーク・比嘉)
第2回(デザイナー・高橋)
第3、4回(メッシュワーク・水上)
第5回(デザイナー・高橋)