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メッシュワークのメンバーについて:比嘉夏子・水上優

私達はメッシュワークという「人々の中に『人類学者の目』をインストールしていくチーム」をスタートしました。本記事では、「私達は何者なのか?」という疑問に少しでもお答えしたいと思っています。

比嘉夏子

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人類学者。博士(人間・環境学, 京都大学)。株式会社 Hub Tokyo顧問。ポリネシア島嶼社会の経済実践や日常的相互行為について継続的なフィールドワークを行う他、企業等の各種リサーチや共同研究に参画。著書に『贈与とふるまいの人類学―トンガ王国の〈経済〉実践』(単著、京都大学学術出版会)『地道に取り組むイノベーション―人類学者と制度経済学者がみた現場』(共編著、ナカニシヤ出版)などがある。人類学的な調査手法と認識のプロセスを多様な現場に取り込むことで、よりきめ細かな他者理解の方法を模索し、多くの人々に拓かれた社会の実現を実践的に目指す。
note: https://note.com/natsukohiga
Twitter: https://twitter.com/natsuko_higa

コロナ禍の行動制限に阻まれる今こそ、自分の調査地=フィールドの記憶がより鮮明となり、その土地と人びとに思いを馳せる時間が増えました。私はオセアニアのトンガ王国という小さな島国で、足かけ15年以上、人類学のフィールドワークを行ってきました。その土地で得た、言い尽くせないほどカラフルな経験と、多様な人びととの出会いは、つねに私の糧であり支えとなっています。

私という人間のありかたと、私の持つ視点が、根本的には変わりようがないように、日常生活を営んでいるときも、トンガの村で生活しているときも、そして、日本の組織とリサーチをご一緒しているときも、自分は基本的に同じスタンスでいます。別の言い方をするなら、この世界のすべてを分けへだてることなく、同じ地平において理解することが、少なくとも「人類学的なありかた」だと私は考えています。人びとと関わりあいながら、現場において常に思考し続けるという態度は、常に同じだからです。

自分が何者かを端的にあらわすのはなかなか難しいのですが、日々の行動の特徴ならご紹介できるでしょうか。それこそ国内国外問わずどんな場面でも、私は出来事や状況に「巻きこまれやすい」性質があります。ある人はそれを「主体性のなさ」と評するかもしれませんが、私にとってそれは「積極的な受動性」ともいえる態度であり、少なくとも(幸いにして)人類学者という職業には向いているように思えます。気づいたら見知らぬ誰かの家の宴席に呼ばれていたり、誰かの家族会議のような重要な局面に立ち会っていたり、こちらから尋ねずとも道を教えてくれる人や、願わずとも何かモノをくれる人が現れたり、そうした過去の事例は枚挙にいとまがありません。

そうやってその場に身を委ねつつ呼応していると、思いも寄らない展開を迎えたり、想像を超えた出来事のなかに足を踏み入れていたりします。そのときの私はおそらく、「確固たる行動指針」を持っている人には見えないような景色を垣間見ているのではないでしょうか。そうした意味でもしかすると私の日々のふるまいも、いくらか「メッシュワーク的」であるのかもしれません。これからもみなさんの活動に積極的に「巻きこまれて」いくなかで、何かに一緒に気づいていく、そんなプロセスを楽しみながら大切にしていきたいと思っています。

水上優

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人類学者。修士(人間・環境学, 京都大学)。国際基督教大学(ICU)と京都大学大学院にて文化人類学を学ぶ。修士論文のテーマは「エチオピア西南部における鍛治職人の技法」。『Water, Wood, and Wild Things』(Hannah Kirshner著)のリサーチ協力・資料翻訳。人類学的な手法や視点をUXリサーチや企業活動と組み合わせる方法を実践・研究している。
note: https://note.com/yumizukami
Twitter: https://twitter.com/mizukami_yu

私のこれまでを振り返ると、「経験すること」に重きを置いて行動を選択してきたように思います。現場を訪れ、実際の人々と出会い、環境に埋没することで得られる感情や情報があり、そうした事象から思考を始めることが重要だと考えているためです。フィンランドへ留学をした理由も「外国人として暮らしたときの不便を経験したい」という動機でしたし、人類学を専攻すると決めた理由も、「現場から考える」という人類学の学問的な姿勢が自分とフィットするように感じたためでした。

修士課程を修了した後、進学せずに就職する決断に至ったのも「経験」を重視した結果でした。「企業で会社員として生きること」とは一体どういうことなのか?経験しなければ語れないだろう、という思いから内定承諾書にサインしたことを覚えています。

加えて、私の特性の一つとして「境界に生きている」ということがあります。これまでずっと自分がマージナル(周縁的)な存在である、と感じながら生きてきました。どこに住んでも、どの集団に属しても主流派の一員だと感じたことはあまりありません。

人類学者として生きるとはそういう事なのかも知れません。例えば、調査で南部エチオピアに住んでいたときは、もちろん外国人で、帰る場所が別にある来訪者でした。ただし、帰国して大学に戻っても、そこが自分のホームであるとは思えませんでした。就職しても、会社に対して同僚と同じような帰属意識を持っている実感はなく、ずっと何らかの違和感を感じていました。「なぜ彼らはこのように考えるのか」「なぜミーティングを開くのだろうか」などと、常に疑問に思ってしまうのです。

「境界に生きている」からこそ、出来ることがあると思っています。組織外とのつながりを構築したり、集団間の媒介となることが自然に行えるのです。これまでも、他社との共催イベントの運営者や、外部の専門家の招致企画、人類学者が産業界に対して語るセミナーの開催を行ってきました。集団と集団の境界にいる者として、普段は混じり合わないコミュニティ間の橋渡しを行っていきたいです。

メッシュワークもその活動の一部だと考えています。人類学や産業界の境界に立ち、相互の行き来を伴走していきたいと思っています。

チームとして、さらに拓かれた活動へ

アカデミアの世界にいる多くの人類学者は、単独でフィールドワークを行うのが一般的です。もちろん、一人で異文化に飛び込み、他者と出会いながらこそ思考できることがあります。

しかし一方で、私たちはチームとなり、もっと多様な人びととコラボレーションをしながら「人類学する」ことにも多くの可能性があると考えています。

それぞれに個性ある人間からなるチームだからこそ得られる気づきは、多様なみなさんとの協働によってさらに深められ、そして社会のなかに実装されていくと思うのです。

みなさんとともに、メッシュワークの旅に出かけることを私達は楽しみにしています。

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