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【人類学者×経営者対談】「観察」が組織に与えるインパクト(前編)

「人類学的なものの見方」は組織や人にどんな変化をもたらすのでしょうか?シリーズ「人類学者×組織」では、人類学者が組織へ与えるインパクトを探ります。

今回は、人類学者である比嘉夏子とImpact HUB Tokyo代表の槌屋詩野の対談です。

比嘉は2020年11月から顧問人類学者としてImpact HUB Tokyoに関わっており、両者は協業を模索してきました。今回の対談では「観察」という行為から、社員が得た気づきと組織的な重要性について考えます。

Impact HUB Tokyoについて

多様な働き方や業種、文化や価値観を持つ人々が集まるコミュニティ拠点。単なる「コワーキングスペース」という枠組みを超え、互いに学びや経験、悩みや失敗までも共有でき、それらが価値として循環する有機的なコミュニティとして展開している。また、世界約100都市に展開するグローバルネットワーク「Impact HUB」の一員であり、2013年の開設以降、800人を超す起業家やスタートアップチーム、アーティストやデザイナー、フリーランサーなどが集まり、数々のコラボレーションを生み出しながら今も拡大を続けている。

対談者プロフィール

槌屋詩野

槌屋詩野 
株式会社Hub Tokyo 代表取締役&共同創業者
国際協力NGO勤務を経て、シンクタンクにて環境・社会的責任投資分野で事業プロデューサーとして活動。その後、途上国および欧州で日本企業のソーシャルビジネスを担当する。2012年より東京に戻り、Impact HUBの東京拠点「Impact HUB Tokyo」を設立。2013年より起業家育成プログラム「Team360」や海外からの起業家プログラムを担当し、年間数十名の起業家たちをサポートしている。近年、塩尻市「スナバ」、浜松市のイノベーション・ハブ拠点などのコミュニティ立ち上げを支援。数年前より長野の飯綱高原に移住し、東京と地域の多拠点をシームレスに移動しながら会社経営を続けている。
紹介記事:https://note.com/hubtokyo/n/ne3cac3228891

比嘉プロフィール画像

比嘉夏子 
人類学者,  博士(人間・環境学, 京都大学)株式会社Hub Tokyo顧問 
ポリネシア島嶼社会の経済実践や日常的相互行為について継続的なフィールドワークを行う他、企業等の各種リサーチや共同研究に参画。著書に『贈与とふるまいの人類学―トンガ王国の〈経済〉実践』(単著、京都大学学術出版会)『地道に取り組むイノベーション―人類学者と制度経済学者がみた現場』(共編著、ナカニシヤ出版)などがある。人類学的な調査手法と認識のプロセスを多様な現場に取り込むことで、よりきめ細かな他者理解の方法を模索し、多くの人々に拓かれた社会の実現を実践的に目指す。
紹介記事:https://note.com/meshwork/n/n5ba24a788953


組織・環境の変化 ー対応する手段としての観察ー

比嘉:今日は改めてお話できることを楽しみにしていました、よろしくお願いします。

槌屋:この取り組みに関して振り返りができるのは良い機会だと思っています。お願いします。

比嘉:そもそも、「顧問」として企業に関わるのは人類学者としても、ビジネス側の人にとってもかなり珍しい状況ではないかと思います。まずは人類学者を顧問として迎えようとした経緯についてお伺いします。Impact HUB Tokyo(以下IHT)ではどんな事情があったのでしょうか?

槌屋:そうですね。おそらく、人類学者を組織に加えた理由を考えるには、IHTの組織としての歴史をお伝えしたほうがよいと思います。IHTは設立当初から多様な働き方に寛容で、リモートで働くことも普通でした。しかし、近年、数世代社員が変わり、今のチームは価値観をリモートで共有することが難しい人々だと感じはじめたのです。

比嘉:なるほど。

槌屋:コロナ禍になり、物理的にユーザーと会えなくなると、チームのアイデンティティの基盤が揺らいだように見えました。コロナ禍初期は社員が右往左往していたことを覚えています。「これから、仕事はどうなるか」「消費行動が変化したらどうしよう」「お客さんに役立っているのかな」などと考え、自分たちの自己肯定感が下がり、不安になっていました。

比嘉:チームで提供している価値が不明瞭になってしまったため、自己肯定感が下がってしまったのかもしれませんね。

槌屋:そうかもしれないです。そこで、「今後のあるべきコミュニティの姿とコミュニティ・ビルディングのあり方」をリサーチしながら議論することにしました。しかし、ユーザーの生活や、ユーザーを直接見ることがリモートでは難しいことに加え、机上での議論だけでは不安の解消が難しい事がわかってきました。

比嘉:直接人に出会えない歯痒さは私も感じています。また、机上の議論だけでは不足することもよくわかります。

槌屋:コロナ禍という環境の問題だけではなく、そもそもの組織的な課題もあったと思います。IHTのチームは、共感力は強いのですが、ユーザーの感情がどのように引き起こされているのか、その感情を受け取った後に、どうしたらよいのか、そうした思考を社員が自律的に行えるようには、組織として準備ができていなかった。

比嘉:そうだったんですね。

槌屋:そこで、人に対する距離の保ち方や関係性の築き方を観察を通して、学ぶことが重要ではないかと考え始めました。

比嘉:なるほど、そこで人類学につながっていくわけですね。

槌屋:そうです。当初は、「観察のやり方」を社員に知ってもらおうと思い、人類学者を顧問として起用することにしました。
まあ、のちに、人類学者を起用することは、「観察の方法を学ぶ」といった表層的なものではなかったと気がつくのですが(笑)。

比嘉:そうなんですね(笑)。槌屋さんからお話をもらった当時、IHTが「コワーキングスペース」というラベルを貼られている状態から少しずつ変化しようとしている時期だと聞いていました。またコロナ禍の影響もあり、顧客が対面で得られるユーザーエクスペリエンス(以下UX)と、リモートで得られるUX、両方の視点が必要だという話も伺いました。そうした転換期において、観察の重要性も高まり、私が招かれたと認識しています。

槌屋:そうですね、多くの企業がオフラインからオンラインへ事業の場や顧客との接点の場を移す中で、観察の重要性は相当高まり需要は増えたと思います。なので、我々は先駆けて比嘉さんに相談できたのはラッキーでした。
ビジネスの現場や顧客との接点は目まぐるしく状況が変化しており、そのカオスな状況を現場にいるチームは常に捉えています。それを「観察」というフレームワークを通して行うと、より理解が一段高まる。そのようなことをチーム全員が身をもって理解できたことが大きなインパクトでした。

各自の視点に価値がある

槌屋:IHTに来られた当初、比嘉さん自身はどのような発見がありましたか?

比嘉:そうですね、はじめてIHTの人たちと話した際、「観察」や「気づき」ということに関して最初に受けた質問が、「何を見るんですか?」「どうすれば気がつくのですか?」という直球なものだったんですね。
それは他の方からもよく寄せられる質問なんですが、「結局みんなここを知りたいのか!」と思ったことを覚えています。

槌屋:人類学者が何をみて、何に気がついているのかを知りたい、ってことですよね。世の中にはそういう人は多いと思います。

比嘉:企業の方々とのプロジェクトを始めると、ほぼ必ずと言っていいほどこれと同じ質問ををもらうのですが、いつも説明が難しいと思っていました。

何をみて、何に気が付いているのかは言語化が難しい領域です。そして、人類学ではあらゆる出来事を個別的なものとしてとらえるので、一般論を提示するのはとても難しいのです。

槌屋:そうでしょうね。

比嘉:なのでIHTのチームにも、「今、何をしているの?」「何に困っている?」「何を知りたい?」のような質問をこちらから投げかけ、まずは対話を試みました。

私から質問をしたり、対話を試みることは、「これが人類学のリサーチ方法です」と一方的に教えるようなこととは大きく異なります。IHTのチームが普段見ようとしているけれど、上手くいっていない部分をヒアリングするところから始めたんです。

槌屋:なるほど。

比嘉:対話していくと、IHTのチームが「人類学者である比嘉なら自分たちの見えない事にもどんどん気づくのだろう」と勝手に思い込んでいることがわかったんです。ですので、人類学者といえども、他の人と違う特別なことをしているわけではない、という話をしていきました。
ただし、現場から気づきを得るためには少しだけ意識を変える必要があるので、「普段のように業務のみをやっていては見えないことがある」というテーマから、対話を深めていきました。

槌屋:なるほど!私も経営者として、まさに同じようなことを感じていましたね。チームも創業者も同じものを見ている・聞いているはずなのに、同じようには気づくことができない点に焦りを感じていました。
経営的に必要な情報を、現場で顧客と接するチームメンバーたちは感知しているかもしれないのに、彼らは「私達は創業者ほど的確に認知できない」とシャットアウトして、自分が見ていることを経営者に対して報告してくれないんです。

比嘉:社員にとっては、現場の出来事をどう捉えて、どう言語化したらいいかわからないってことですよね。

槌屋:そう!言語化。言語化できない。見ている事に価値があると思わなければ、報告できないのです。

圧縮コワーキングスペース(2)

個々の社員が、全体を見て自分なりの気づきを得る

槌屋:今、話しながら重要だと思ったのは、創業者と後から参画した社員の認識の違いです。両者はまさに「ものの見方」が異なります。創業者や初期のチームは0→1のような、立ち上げには強いのですが、スキルセット的には継続的な業務には弱いことが多いのです。

事業の立ち上げを行うような初期のチームはどんどん増える仕事に何でも対応でき、それが楽しい人。ただ、起業して数年経ってくると、業務が専門化し、段々オールラウンダーだけでは回せなくなっていくのです。経理、デザイナー、マーケターなど専門知識に長けた人々が必要になってきます。こうしたことは、会社創業後のプロセスとしてよくあるパターンです。IHTでも、現在は専門知識に長けた人々とオールラウンダーの混合チームで編成されています。

比嘉:なるほど。組織として成熟し、社員が入れ替わっていく中で、専門的な知識やスキルを持つ社員が増えていくのですね。

槌屋:創業者や初期のチームのような人は、全てが自分ごとなので、場に入った途端、気がつくんです。「こうであるべきなのに、なってないじゃん」と。

一方で比嘉さんと出会う前のチームは、同じ場を見ているはずなのに「発見」できなかったんです。フィルターがかかっているというか。

比嘉:わかります。

槌屋:彼らも同じ情報に接しているのに、気づけない。世間でいう「経営者マインドを持て」ということではなく、オールラウンダーになって欲しい、ということでもありません。専門的な部分は残したまま、顧客に起きている事に気づき、自分ごととして、自分の職務につなげて積極的に考えていけるとよいなと思っていました。それはずっと思っていたことです。

今回、比嘉さんを顧問に迎え「観察」のしかたや態度をコミュニティビルダーに伝えてもらったことで、彼らの顧客への接し方も変化し、「気づく」ことができるようになってきたと思います。経営者がすべてに気づく必要がなくなったともいえますね。

比嘉:現場に変化も起きているようで、なによりです。槌屋さんの、そういった変化への認識についてもう少し教えてもらえませんか?

槌屋:そうですね、私達は経営のフィロソフィーに「諸行無常」という考え方を持っていまして。(笑)

例えば、コロナ禍の変化を、多くの人々は直線的で、ある特定の地点で急に変化が起きたと認識していたと思います。しかし、経営者である私達は、常に、瞬間瞬間に変化が起きていると捉えているんです。

持続可能であるというのは、右肩上がりに一直線であるということではなく、変化し続けることだと考えています。動き続ける線を維持し続けることが重要です。微分のように変化し続ける線を常に計算し続ける必要があるのです。経営側にいない人は、自分たちが思い描いた未来がある点で急に直線的に変わってしまったように感じるから、不安に思うのでしょう。

「目に見える変化は大きく見えるが、実は変化が常に起き続けている」ということを認識し、自分がどう仮説検証するのか。変化する状況の中で常に仮説を立てて、観察し、検証しつづけることが重要だと捉えています。

比嘉:たしかに、状況や環境は刻一刻と変化していますし、一時的ではなく継続的に観察することでこそ、何かが捉えられると思います。槌屋さん自身は、現場において変化を観察し続ける重要性を、最初から認識されていたのでしょうか?

槌屋:比嘉さんにお願いをしようと考えていた当初は、「期間を定め、その期間ユーザーを観察し、成果をまとめよう」と言っていました。通常の「プロジェクト」ってそういうものだと思ってたんですよね。その時は。

ただ、その枠組みは本質的ではありませんでしたね。常に環境やユーザーは変化しているので、変化し続ける物事をどうやって観察し、検証を行い、日々の実践に活かすのかを考え、実践しつづける必要があると気付きました。

比嘉:そうですね。実践の中に「観察」をどのように位置づけていくのか。まさに人類学でよく言う「参与観察」だと思います。

槌屋:また、今回組織の中で「観察」を行って実感したことは、感知できることが個々人で異なるということです。ある意味あたりまえのことですが。だからこそ、チームで同じ物事を観察することにも価値があると思っています。

例えば、私と比嘉さんが同じ物事を見ていても、「比嘉さんにも気がつけないことがある」と途中で気がつきました。人類学者でも気がつくことには限界がある。それぞれの人は、ものの見方が全く違うということだと思います。

比嘉:そうですね。単独ではなく複数人の視点を重ね合わせることによって、より多角的に物事をみて、何かに気づくことができると思っています。

「観察」は人類学者の専売特許ではない

比嘉:私も当初は、人類学者として自分で現場を見るべきなのかと思っていました。けれども、IHTの社員と話してみると彼らのほうが観察者として適していると思ったのです。

現場に長い時間身を置き、何か課題感を持っているIHTの社員自身が観察者あるいはフィールドワーカーになったほうが圧倒的に良いし、私が気づけないことにもむしろ彼らのほうが気がつけると考えました。

槌屋:1回目のミーティングのあとにすぐにそう言われた記憶がありますね。

比嘉:通常の場合であれば、人類学者をプロジェクトに入れると、それでは(比嘉が)現場を見てください、何か気づきを挙げてくださいと言われます。今回、社員の方々が観察することになったのは、私も想定外でしたけど、結果的には良かったですね。

槌屋:単にデータを出してきて、それを眺めるだけでは意味がない。複数の人々が、データの先のユーザーをみて、主観的にどう思ったか、それを共有していくことが重要です。そしてその主観が組織的な一つの方針を決めるのだと思います。

比嘉:確かにそうですね。同じデータを見たときに、各自が主観的に別の解釈をしてもよいという認識が、経営者である槌屋さんと私との間で合意できていたから、このプロジェクトがうまくいったともいえます。

「人類学者が何かすごい発見をしてくれるのではないか」「客観的なデータを出してくれるのではないか」という期待から始まると、正直なところ進めていくのが難しいと感じています。

観察は人類学者の専売特許ではない、という認識を社員に伝え、それをうまく受けとめてもらえたことも、今回とても重要でしたね。

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前回の記事では「人類学的なものの見方」を導入した結果として、「顧客の経験(CX)」を理解することがやがて「従業員の経験(EX)」につながっていくというプロセスの概要をお伝えしました。

今回の記事では、人類学者の比嘉とIHT代表取締役の槌屋との対談から、人類学者が現場に入り、IHT社員と関わることによって得られたインパクトについて考えました。社員による顧客への理解が深まっていったとともに、社員自身のものの見方も意識化されていったプロセスが見いだされました。

次回の記事ではこの続編として、現場から「問い」を見いだす意義や、変化し続ける組織のありかたについて考察を進めていきます。

ご相談・ご依頼はこちらまで:info@meshwork.jp

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